一人目、体育教師(32)

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一人目、体育教師(32)

「で、さっさと話していただけますか、高槻(たかつき)先生」  あからさまに不機嫌な態度でこちらを睨みつける遠山(とおやま)(とおる)先生。職場では滅多に感情を表に出さず、自分と似ているタイプだと思っていた彼が、こんなにもピリピリとした空気を作っていることに驚く。 「話すと言うのは、先日の事でしょうか?」 「もちろんそうですよ。あなたと体育の生田目(なまため)先生が、ラブホテルから出てきた件です」  吐き捨てるように言い放った後コーヒーを啜る彼の瞳は、依然としてこちらを睨みつけたままだ。 「なぜでしょうか」 「なぜって、決まってるでしょう。健全な男女交際を指導する側の高校教師同士が、不健全な交際をしているなんて大問題です」 「不健全……」  彼の言葉に思わず頷いてしまうのは、自分もつい先日までそちら側の人間だったからだ。 「わかりました。全部お話しします」 「ありがとうございます。ちなみに、もし納得できない理由であれば、僕は学校を辞めます」 「辞めてしまうんですか?」 「はい。こんな淫らな同僚がいる職場で働くなんて無理ですから」  親指と人差し指を使って銀縁眼鏡をなおす彼の瞳は真剣だ。これは、こちらも包み隠さずに全てを話してしまった方が良いのかもしれない。  入れ替わり立ち替わり新しいお客さんの入るカフェの一角で、自分もコーヒーで喉を潤した後、一つ息を吐いて説明を始めた。 「きっかけは一ヶ月前の母の死でした」 「ストップ」  意を決して始めたのに、出鼻をくじかれる。 「どうかしましたか?」 「どうしたもこうしたもないですよ。高槻先生のお母様が亡くなられたことはお悔やみ申し上げますが、それが今回の件に関係があるとは思えません」 「それが、あるんです」  むしろ大ありなんですと、こちらも真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返すと、わかってくれたのか彼は黙って続きを待った。 「母は銀座のクラブで働いていました。幼い頃の私は、水商売をしている母を心のどこかで蔑んでいたんだと思います。その感情を拗らせた私は男性とお付き合いすることに嫌悪感を感じ、結果このように自他共に認める堅物教師となりました」    男の人にニコニコと媚びる母が嫌だった。実際は母の性格からして媚びるような態度は取っていなかったのだけれど、幼い自分にはそう見えてしまって仕方なかったのだ。 「ただ、母との関係が悪かったわけではなく、一年ほど前から体を悪くして入院した母のお見舞いにあしげく通うほど仲は良好でした。そんな中、つい一ヶ月ほど前です」  いつものように病室でたわいない話をしていると、急に母が言ったのだ。 『いい?珠希(たまき)。男は顔だとか、お金だとか、色々言われてるけど、一番大切なのは体の相性だから。最高に相性の良い相手を探しなさい』
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