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「クレア・マクダビット公爵令嬢!我がアダム・ルセインの名において、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティに響き渡る美声に、会場に集まった者たちは度肝を抜かれた。
そして、声を発した主と、呼ばれた相手に視線が集中する。
1人は、この国の王子。傍らにはピンクのフワフワ髪をした少女がいる。
1人は、この国の公爵令嬢。王子の婚約者。
突然始まった騒動に、出席者達は静まり返る。
王子も公爵令嬢も、人の注目が集まるのには慣れているようだ。
王子は威風堂々としており、対峙する公爵令嬢は、真っ直ぐに王子を無言で見つめていた。
ピンク髪の少女だけが、おろおろと視線をさ迷わせていた。
しん、と静まり返って、どのくらい経っただろうか。
もう2.3分経っているのではないか。ちょっと長くないだろうか。
なんかこう、誰か何か喋って欲しい。主にクレア嬢。
周りがそう思うのだから、当然王子はもう少し早くからイライラしていた。
「クレア、なんとか言ったらどうだ」
「……」
「返事をしろ!」
「……」
王子に怒鳴りつけられても、クレアは王子を無言で見つめ続けるだけ。王子のイライラは募るばかり。
出席者達も、何故無反応なのか訝しみはじめる。
ふと、令嬢達が囁き出した。
「よく考えたら、この場でお返事など出来ますかしら?」
「言われてみれば、そうよね」
「婚約は家同士の取り決めですもの。王家と公爵家ともなれば、何か高度な政治的理由があってもおかしくありませんわよね」
「そもそも殿下は、陛下に奏上なさっているのかしら」
「えっ、まさか、殿下の一存でこんな騒ぎを?」
令嬢達の囁きを聞いて、一気にざわめきだした。
王子とはいえ、こんな大事なことを勝手に宣言しても大丈夫なのか?
しかも、2人での話し合いならまだしも、こんな場所で?
陛下と公爵閣下がいないのを見計らっているのでは?
そんなにまでして、破棄したいのは、あの令嬢のためか?
周りでのヒソヒソ話に、ピンク髪の少女は更におろおろし、王子も狼狽え始めた。
「ち、父上はわかって下さる!公爵も、クレアさえ受け入れれば頷くはずだ!」
それを聞いて、またざわめく。
それでは話が通っていない事になるのではないか。
それは問題ないのか?
いや、低位貴族の婚約ならまだしも、政略結婚を、そう簡単に破棄できるのか?
出来たとしても、クレア有責でなければ多額の慰謝料が発生するはずだが、殿下は払えるのか?
余程の理由がなければ、公爵閣下はもちろん、陛下も納得しないのではないか?
出席者達の視線が、王子に一斉に向かう。会場中から、答えを聞かせろとばかりに注目されて、流石の王子も焦燥した。
「理由は、理由はある!クレアは、このマリアに嫉妬して、マリアをいじめたのだ!そのような女は、私の妃に相応しくない!」
王子の言葉を聞いて、今度はクレアに一斉に視線が集まる。その視線は、純粋な疑問や好奇心もあったが、いくらか侮蔑や敵意を孕んでいた。
それに気を良くしたのか、王子が続けた。
「この女は、身分を笠に着てマリアを侮辱したのだ!」
「あの、例えばどのような?」
勇気ある令息の小さな問いかけに、王子は胸を逸らして、クレアを指差しながら言った。
「貴族令嬢に相応しく振る舞え等と、マリアにしつこく叱責したのだ!」
マリアを知らない学生はいなかった。何しろ学園中の噂になっていたからだ。
王子を初めとして男を侍らせて、令嬢達から顰蹙を買っていた。
走るし跳ぶし、動作音がうるさいし、大口を開けて笑う。
ちょっと何かあればすぐ泣く。
「え?言われて当然じゃないか?」
「確かに言いたくもなるよな」
「走ってきたマリア嬢にぶつかられたことがある」
「私は菓子を勝手に取られましたわ」
「それは注意されても仕方がないわよね」
「平民って、みんなそうなのか?」
「僕は田舎者だから周りの友達はみんな平民だったけど、マナーはともかく人のものをとったりする子なんかいないよ」
「そうよね。身分以前の問題じゃないの」
マナーや常識の出来ていない人に、注意して何が悪いのか。
疑惑の目がマリアに注がれて、マリアは小さく悲鳴をあげて王子の後ろに隠れた。
それを見て、さも敵の前に立ちはだかるごとく、王子が一歩前に出る。
「それだけではない!マリアの教科書を破り捨てたり、泥水をかけるなどした!挙句には階段から突き落としたのだぞ!大した怪我がなかったからよかったものの、これは殺人未遂だ!」
教科書云々はともかく、流石に階段から突き落とすのは酷い。
これは流石に擁護することは出来ないだろう。格下相手だからと言って、そんな暴力を堂々と振って許されるわけが無い。
「それは確かに大事件ね」
「ええ、大事……あら?そんな事件の噂、あったかしら?」
出席者達は頭を悩ますが、記憶になかったらしい。
「そんな事が、いつありましたの?」
勇気ある令嬢の問に、王子が憤然として答える。
「先週の放課後だ。生徒もほとんど残っていなかったから、知らぬのも無理はないが」
なるほど。犯人とマリアしかおらず、目撃者すらいない可能性だってある訳だ。
それなら噂にならないのも頷ける。大方マリアが王子達に泣きついただけで、犯人探しはろくにしていなかったのだろう。犯人探しをしていたなら、絶対話題になったはずだ。
あれ?
「殿下、何故犯人を探さなかったんです?」
「そんなもの、クレアがやったに決まっているではないか!」
「目撃者がいたのですか?」
「マリアが見たのだ!」
マリアに集まった視線が雄弁に語る。状況を話せと。
「階段を降りようとしたら、後ろから背中を押されてっ」
涙目で青ざめた顔は震えている。まるでその時の恐怖を思い出したかのようだ。
「突き落とされたのは本当みたいね」
「だが、背中を押されて、犯人の顔をどうやって見るんだ?」
「あっ、言われてみれば」
またしても視線がマリアに集まる。
「か、顔は……見てません。けど!でも!突き落とされたのはホントなんです!信じてください!」
「貴様ら、マリアを疑うのか!マリアが嘘を言っているとでも!?」
「いや、信じますよ?」
「でも、それではクレア嬢がやった証拠なんか……」
「別の人かも知れませんわ」
マリアは他の令嬢からも嫌われていたし、動機があるのはクレアだけではないのだ。
「そもそも、そんな遅い時間に、クレア様は学園にはいらっしゃらないはずよ。毎日放課後は、王宮で妃教育を受けているから忙しいと仰っていたもの」
クレアと知己らしい令嬢が、少し大きめの声で言った。
「そういえば、そうだったな。いつも急いで帰っていた」
「そうなのですか?ではクレア様に犯行は出来ないのでは?」
「殿下、クレア嬢のアリバイは王宮で確認しているのですか?」
「そ、それは」
明らかに狼狽する王子を見て、出席者達は一瞬でシラケた。
勝手に思い込みで決めつけて、濡れ衣を被せている可能性大。
なんの根拠もなしに、感情だけで犯人扱いされるなど、王家の臣下となる自分達だって、明日は我が身ではないか。
不興を買ったら、自分達も断罪されるのか。ただの思い込みで?
出席者達は震え上がった。こんな人について行きたくない。だが不興を買えば、何をされるかわかったものではない。
王子に集まる視線は、侮蔑と嫌悪を孕んでいたが、それ以上に恐怖が色濃く乗っていた。
出席者達が怯えたのを見て、居丈高になるほど、馬鹿ではなかったのだろう。
王子は逆に狼狽えた。
最悪の印象を与えたことに、ここにいたってようやく気がついた。
「わ、わかった!改めて調査する!婚約破棄も今は撤回する!」
「えっ、そんな!」
マリアがショックを受けたようだが、それを王子は無視した。
そして、ずっと沈黙していたクレアに向いた。
「貴様の嫌疑が晴れた訳では無いが、改めて捜査する。婚約の件は保留だ。結果を待て」
クレアはニッコリと笑って、優雅に礼をした。
「かしこまりました」
やっと喋ったクレアは、さっさと会場を後にした。
目敏い令嬢令息も、いくつか姿を消した。
数日後
クレアの冤罪が証明された。マリアを突き落としたのは別の令嬢だった。
教科書も泥水も、クレアは無罪。
当然王家は婚約破棄を許すはずもなく、婚約は継続された。
15年後
卒業パーティの騒動で、王子の信用は失墜した。反面クレアの株はストップ高。
王子はマリアを愛妾に迎え、離宮にこもることが多く、マリアも政務には約立たず。
実質クレアが女王に等しかった。
文部も武部もクレアの支配下。元々無能だった王子は、マリアのおかげでいないも同然。
現在この国は、完全にクレアの支配下にあった。
長年の夢が叶って、クレアはほくそ笑む。
「マリア様には、感謝しかないわね」
沈黙は金、父の教えだ。お喋り好きな社交界なら、使い所によっては何もしなくても勝者になれる。
沈黙の女王。クレアを知る人は、彼女をそう呼んだ。
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