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死神は街角で甘い誘いを受ける
「あ、兄貴、お疲れ様です」
紙みたいに薄いアルミのドアを開けて特務班に戻ると、ひょろりと細長い人影が俺を出迎えた。
「戻ってたのかケン坊。ひき逃げの方はどうなった?」
「それが一応、被害者の霊みたいな物は見たんスけど、どうにも要領を得なくて……あれならドライブレコーダーの方がまだ頼りになりますよ」
ケン坊ことケヴィンは、そう言うと疲れ切ったように椅子に崩れた。
後輩のケン坊は、どういうわけか俺のことを「兄貴」と呼んで慕ってくる。リーゼントにブカブカのアロハという一昔前のチンピラみたいなこの後輩は、枯れ木のような弱々しい見た目にも拘らずダディの暴力にもしっかり(悲鳴は上げるが)耐えている。
そういうけなげな姿には実のところ俺も一目置いているのだが、忍耐力以外の部分では残念ながらまだまだ不安の残る刑事なのだった。
「まあ、捜査ってのは大半が徒労みたいなもんだからな。……ところでポッコは?」
「それが、霊への聞き込みが終わってこっちに戻ろうとしたら突然、「ごめん、ちょっと寄るところがあるから先に戻っててくれる?」って言われまして」
「寄るところ?あいつが?」
「はい、なんでも「年下の彼氏」のところだそうです」
俺は意外な答えに思わず目を瞬いた。何とあの真面目な鳩が「年下の彼氏」とは。
「こいつは驚いたな。……場末でくすぶってるかと思いきや、ずいぶんとやるじゃないか。……ダディ、こんなホットなトピック、うちじゃ初めてじゃないですか?」
「そうだな。あいつはお前と違ってこの世の人間だから、たまには生きてるやつと会話しないともたんだろうよ。聞き込みはケン坊と行くんだな」
「やれやれ、羽根を伸ばすなら非番の時にして貰いたいもんだ。……行くぞ、ケン坊」
「えっ、帰ってきたばかりなのにまた行くんスかあ?」
「まあ、そうぼやくな。聞き込みの相手は女子高生の霊だ。若いもの同士で話が合うんじゃないか?
俺がおざなりの言葉を投げかけると、ケヴィンは「苦手なんスよ、霊に質問するの」と半べそをかきながら弱音を吐いた。
※
「お嬢さん、そこにいるならちょっとばかし話を聞かせてもらえないだろうか」
俺が路地の入り口の何もない空間に向かって声をかけると、しばらくして幼い顔立ちの少女がメイドの姿で俺たちの前に現れた。
「あ……」
少女――久具募早苗は俺たちに気づくと「プルーティーポーションです。今なら一時間二千円で楽しめますけど、どうですか?」といきなりあどけない声で客引きを始めた。
「悪いけど、君が働いていたお店はもう、潰れてしまったんだよ」
俺は早苗が逃げださないよう、つとめて優しい口調で言った。
「久具募早苗さんだね?俺はこの辺りのお店に関する情報を集めている者だ」
俺が相手を刺激せぬようそっと手帳を提示すると、早苗の霊は「刑事さん……」と呟いたきり沈黙した。
「君は以前にも職務質問をされそうになって、逃げだしたことがあるね?その時の事を聞かせてくれないか」
「逃げた……」
急に姿が薄くなってゆらゆらと体を揺らし始めた早苗を見て、ケヴィンが「兄貴、もっとソフトな感じで協力をお願いした方が良くないっすか?きっとまだ自分が死んでるって事、よくわかってないんですよ」と言った。
「――そうだな。よし、生きてると思ってゆっくりと呼吸をしてみてごらん。……気持ちが落ちついたら、俺の方に向かって手を出すんだ」
早苗がおずおずと伸ばした手は俺の手をすり抜け、肘のあたりまでめりこんだ。いささか乱暴なやり方だが、自分が死んでいるということをわからせるにはこの方法が最も手っ取り早い。
「私……家に……帰りたい」
「うん、その気持ちはわかる。君にゆっくり休んでもらうためにも、俺は君を死に追いやった奴らを捕まえたい。捜査に力を貸してくれないか」
俺が心細げに周囲を見回す早苗の霊に語り掛けると、ケヴィンが「なんでもいいです。友達の話でも、学校や部活の話でも」と出番が来たとばかりに畳みかけ始めた。
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