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17巡目
◉カズオの脱落
「お世話になりました」
「おお、元気でな」
今日で久本カズオが富士を辞めた。理由は、色々言っていたけどつまるところ稼げないから。それを言われたらもうどうしようもない。雀荘で稼ぐには雀力が必要だ。カズオにはそれが足りなかった。
いや、カズオだって言うほど下手というわけではない。むしろ普通以上の雀力は持ち合わせていた。だが、東京という街ではその程度の実力でやっていけないのだ。それも、ここ『富士』となれば、少し強いくらいではやっていけないどころか、いいカモにされるのがオチであった。
カズオは自分は強いと思っていたし、実際下手ではないのだが、場所が悪い。地方の雀荘ならカズオの実力でも充分やっていけるだろうが、都内は無理だ。
「どこに行って、何の仕事に就いても、きっとここでの経験が糧になる。そんな気がしてます。勉強させていただきありがとうございました!」
およそカズオらしからぬ言葉が最後に出てきてマサルは心底驚いた。あの自己中心的だったカズオからこんな言葉が聞けるとは。
「久本さん、成長しましたね。これなら次の雀荘では上手くやっていけるんじゃないですか」
「もう雀荘はこりごりですよ」
「ウソですね。どうせまた雀荘に行くんですよ。分かってるんだそんなのは。まあ、少しの間ゆっくり休めばいいんじゃないですか」
経営者達は忙しいし、そもそも人望も無かったのでカズオのお別れ会的なものはなかった。しかし、別れを惜しむ者も1人はいた。共に成長し学んだ男。佐藤スグルである。
「久本さん今日までだって?残念です。次はどこの雀荘に行くんですか?」
今日でカズオが最後だと聞いていたスグルは丁度休みなので富士1号店の方にやってきていた。
「また、なんで雀荘って決まってるのかな。まだ決めてないよ」
「雀荘ですよ。それだけは確定でしょ。だって久本さんは麻雀が好きじゃないですか」
「そ、そうかな」
「そうですよ、当たり前でしょ。あんなに、一牌の上下に一喜一憂して。いい大人が勝った負けたで大騒ぎしてさ。ふふっ、笑っちゃうよね」
「なんだよ、年長者をばかにして」カズオは冗談っぽく怒った。
「違うよ、それがいいんだ。その素直な久本さんだからいい。麻雀が相当好きじゃなきゃそんな大騒ぎすることもないでしょ。おれも麻雀好きだからさ、だから富士を辞めちゃうのは残念ですよ」
「…本当は辞めたくないよ。でも、勝てないんだ…実力が、足りないんだよ…!脱落さ」
そう言うカズオの顔は悔しさで歪んでいた。カズオにもプライドがある。粉々に砕かれていても、ほんの少しのプライドがまだ残っているのだ。男たちはプライドを背骨に生きているのだから。
「寮に入ればいいじゃないですか。家賃が丸々浮けばなんとかなるんじゃないですか?」
「今までそれだけは避けてきたんだ。わりと潔癖症だし、若いスグルさんにはまだ分かんないかもしれないけど、私みたいなオジサンがそれをやったらお終いな、そんな予感があるんだよ」
「そうですか…」
「何にしても…私はもうここには居られない。選ばれなかったんです…富士の雀士に。私もいい歳ですからね、色々な店を見てきたが、ここは最高峰のレベル。スタッフも客も強者しかいない。強者は強者を呼ぶもので、きっとこれからもここに強者が集まる運命を感じます…そんな店です。私はふるいにかけられて、落とされた。麻雀に選ばれし戦士ではなかった。そういうことです。でも、スグルさんは違う。これから先、スグルさんには成長の可能性があります。今はまだ未熟でも、あなたなら、きっとこの街で凌いで行けるでしょう」
「そう、かな。…ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう。わざわざ私のために出向いてくれて。でも、もう行きますね」
「このあと少し呑みに行きませんか」
「誘ってくださっただけで、充分嬉しいです。でも、やめておきます。辞めなければいけないという決心がブレてしまうから…稼げない仕事はボランティアでしかありません。私はここには居られない…さよならです」
そのカズオの瞳は目一杯に涙を溜めて、ギリギリで堪えていた。
「さよなら」
いい大人が悔し涙を目に溜めている姿がスグルの脳裏に焼き付いた。勝てないとはこういうことなのだ。自分は強くならないといけない。この東京で一目置かれる雀士にならなければならない。無念そうなカズオの最後からそれを学んだスグルだった。
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