8人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
2.マヤ
「こんにちは」
寝ころんだ僕の横にそう言って跪いたのは、先生とは全く違う人間だった。
大きさは僕より少し大きい。
毛もなんだか違う。僕のはもこもこしていて茶色いけれど、この人のは黒くてまっすぐで、ドームから差し込む日の光を反射してきらきらしている。
それに少し良い匂いもする。
しばらく観察して気づいた。
ああ、この人は女性、というやつだ。
本で見たことはあるが、実物は初めてでよくわからなかった。
ぽかんと見上げた僕の顔を覗き込み、その人は小さく首を傾げつつ言った。
「はじめまして。私はマヤ。今日からここで君の身の回りの世話をさせてもらいます。よろしくね」
「・・・。マヤ?」
「そう」
「それ、なに?」
「え? ああ、名前よ。名前、呼びあったりしていなかった? 神崎先生と」
「先生のこと? 先生は、先生って呼んでた。先生は先生だから」
「なるほど。確かに二人だけなら名前なんてなくても通じてしまうものね」
独り言のように呟いてから彼女は、僕の顔をまじまじと眺めて問いかけてきた。
「じゃあ、君には名前、ないの?」
「MA503」
「それが名前?」
「型番って言ってた。先生が。でも呼ばれたことはない」
「なるほど」
なるほど。これも初めての言葉だ。見上げるのに疲れて起き上がった僕は、マヤという人を眺めた。
大きな目がじいいっと僕を見つめる。なんとなく居心地が悪くてごそごそすると、唐突に彼女はぽん、と手を打った。
「君の好きなものってなに?」
「好きなもの?」
「そう。食べ物でも、色でも、季節でも。なにか好きなもの言ってみて」
「・・・・ない」
「ないの? 一つも?」
「ない」
そう言って僕は再び寝転がり、ドームを見上げた。大丈夫、敵は来ていない。
そんな僕を見下ろし、マヤはなにかを考えているようだったが、ふいに身を乗り出して僕の顔の前に顔を突き出してきた。
「ソラにしましょう」
「ソラ?」
「あなたの名前」
楽しそうに言って、彼女は僕の顔の上から首を引っ込め、人差し指で頭上を覆うドームを指さした。
「いつも空を見ているから。だから、ソラ」
「空を見ているんじゃないよ。敵を探してる」
「……そうね」
ふっとマヤの顔が今までとは違う顔になった。少し、先生に近い顔になった気がした。
「あなたはそれが役目だものね。ずうっとそうして空を見上げ続ける。でも本当にそれって正しいのかしらね。あなただけにすべてを負わせて」
「よくわからない」
マヤがなにを言っているのかわからない。もう一度身を起こして彼女を見ると、彼女は鼻の上にしわを寄せるようにしてから小さく首を振った。
「いいえ、いいの。じゃあソラ。今日は私が腕によりをかけておいしいものを作るから。夕ご飯、楽しみにしててね」
夕ご飯。
これもまた聞いたことのない言葉だ。首を傾げたが、マヤは気にせず、さっさと僕の横から立ち上がり、僕の部屋から出て行った。
最初のコメントを投稿しよう!