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「シェリー=オルウェン、今日この場でお前との婚約を破棄する」
この国の第三王子であるエディリオンは、薄ら笑いを浮かべながらそう言い放った。エディリオンの側には、公爵令嬢ダリアの姿がある。
エディリオンの側近たちやダリアの護衛騎士が、恋人同士のように振る舞う二人をシェリーから守るように取り囲んでいる。
(これはいったい、どういうことかしら?)
何が起こったのか分からない。
今日シェリーは、久しぶりに婚約者のエディリオンに誘われて王宮の夜会に参加していた。
以前、夜会会場で運命的な出会いをしたエディリオンから熱烈に望まれて、シェリーは婚約をした。しかし、婚約をしたとたんにエディリオンから連絡が来なくなり少し不安になっていたので、夜会へのお誘いはとても嬉しかった。
それなのに、夜会当日になってエディリオンから『エスコートはできない』と短い手紙が届いた。父や弟が「代わりにエスコートしようか?」と申し出てくれたが、手紙には『必ず一人で来るように』とも書かれていたので、戸惑いながらもシェリーは一人で夜会会場へと向かった。
シェリーが会場に入ったとたんに、会場全体の空気が張りつめた。
会場の中心には、婚約者のエディリオンの姿が見える。
「エディ、先に来ていたのね」
近づき声をかけると、エディリオンはシェリーを振り返った。その青い瞳は、いつもシェリーに向けられていた温かな眼差しではなく、見たことがないくらい冷ややかだ。
(私、エディを怒らせてしまうようなことをしてしまったのかしら?)
シェリーが不安になっていると、エディは別の女性を側に引き寄せた。いつもシェリーを目の敵にしてくる公爵令嬢のダリアだ。
「たかが伯爵令嬢ごときが、私に気安く声をかけないでもらおうか?」
侮蔑を含んだ声は、シェリーに愛を囁いてくれた優しいエディリオンの声とは思えない。
「……エディ?」
シェリーがエディリオンの名前を呼ぶと、エディリオンの代わりにダリアが答えた。
「今、声をかけるなって言われたでしょう? 本当に失礼な女。ねぇ、エディ」
そう言うとダリアは、エディリオンの腕にしなだれかかった。微笑みを浮かべたエディリオンは、シェリーに語りかけていたような甘い声でダリアに答える。
「そうだね、ダリア」
クスッとダリアが微笑むと、エディリオンも愛おしそうにダリアに微笑みかけた。
「社交界の華は君だよ、ダリア」
勝ち誇ったダリアの笑みを見て、シェリーはようやく事態が飲み込めた。
(ああ……。私、エディに利用されていたのね)
第三王子エディリオンの狙いは初めから公爵令嬢のダリアだったらしい。そして、そのダリアは伯爵令嬢の分際で『社交界の華』と讃えられるシェリーのことを良く思っていなかった。
(だから、私を口説いて婚約者にしてから、ダリアに言い寄ったのね)
エディリオンは、かつてシェリーの髪をなでた手で、ダリアの髪を優しくなでた。
「シェリーなんかより、ダリアのほうがずっと魅力的だよ」
その言葉を言うためだけにシェリーは利用された。
ダリアは、第一王子の婚約者にもなれるほど身分が高い令嬢なので、普通に口説いても第三王子が相手にされる可能性は低い。
エディリオンはダリアの心を射止めるために、薔薇の花束や愛の言葉ではなく、シェリーの無様な姿を彼女に捧げた。
権力を得るためには、良家の令嬢を妻に迎えることが一番確実で早い。
「ダリア、君の愛がほしい」
シェリーを疎んじていたダリアの自尊心は、エディの言葉で満たされたようだ。
ダリアはそっとエディリオンの腕に頭を寄せる。
「仕方がない人ね。いいわ、エディ。私たち、婚約しましょう」
幸せそうに微笑んだエディリオンは、もうシェリーの存在など忘れたようだった。
――シェリー、愛しているよ。君が側にいてくれるだけで私は幸せなんだ。
そう言ってくれた人は、もうどこにもいない。
涙が滲みシェリーの視界が歪んだ。貴族たるもの感情をあらわにしてはいけない。必死に涙をこらえながらシェリーは淑女らしく美しい礼をとり、しっかりとした足取りで会場をあとにした。
オルウェン伯爵家の馬車に乗り込み、一人になってからようやく静かに涙を流した。
騙されて悔しいのか、エディリオンの愛が全てウソだったことが悲しいのか、傷ついたシェリーには分からなかった。
**
その美しさに誰もが見惚れるオルウェン伯爵家のシェリーが、第三王子に一方的な婚約破棄を告げられたことは、あっと言う間に貴族中に広まった。あれほど社交界の華と讃えられたシェリーは、もう社交界に居場所はない。
シェリーの父が怒りで顔をどす黒くしながら、書斎机を叩いた。
「シェリーに恥をかかせ社交界から追い出し、ダリアに取り入る。これが奴の狙いだったのだ!」
シェリーが「お父様、申し訳ありません」と頭を深く下げると、母が「どうして騙された貴女が謝るの」と涙を浮かべる。
「私が、愚かでした……」
麗しい王子様に、優しく口説かれ嬉しくなって、ついその気になってしまった。それだけではない。シェリーは幼い頃から、目立つ外見のせいで妬まれたり、嫌がらせをされたりすることもあったので、同じく目立つ外見のエディリオンの言葉を簡単に信じてしまった。
――シェリーの気持ち分かるよ。私もこの外見で苦労してきたから……。
輝く金髪に澄んだ青い瞳を持つ王子様も、人知れず苦労してきたのだとシェリーは共感してしまった。
「お父様。オルウェン家の名誉を傷つけてしまい、大変申し訳ありません」
シェリーの瞳から涙が一筋流れると、母が優しく抱きしめてくれた。
「貴女は何も悪くありません」
母の言葉に父も「そうだ! シェリーは何も悪くない」と同意してくれた。
「今回の件はあまりにも酷い! 第三王子含め、王室には私から正式に抗議文を送っておく」
しかし、父の送った抗議文は全て無視され、何のお咎めもなく第三王子エディリオンと公爵令嬢ダリアの婚約が成立した。
それを聞いた弟カイが「相手の不貞による一方的な婚約破棄にも関わらず、慰謝料すら支払われないのは、いったいどういうことですか!?」と怒っている。
そんなカイを見て、シェリーは『私もカイのように、お父様やお母様と同じブラウンの髪だったら、こんなことにはならなかったのかもしれないわ』と自身の外見を嘆いていた。
両親とは似ても似つかないプラチナブロンドの髪と、緑色の瞳を持って生まれてしまった。仲睦まじい両親が浮気するわけもなく、調べた所、どうやらシェリーだけが、遠い昔に他国から嫁いできた金髪緑目の先祖の血を色濃く継いで、先祖返りをしてしまったということらしい。
ブラウンの髪や瞳が一般的なこの国では、他の髪色はとても目立ってしまう。そのため、物珍しさから社交界でもてはやされてしまった。
その結果が、今のこの状況だ。シェリーは自らの外見を呪わずにはいられなかった。
父は怒りをこらえるように言葉を告げた。
「王室からは、今回の婚約破棄は私たちオルウェン家に非があるとのことだ。第三王子との婚姻の際に相応しい持参金を用意できないのが理由だ」
「それはあの卑劣な王子がいらないと言ったからでしょう!? 姉様と婚約する前に、それについては後から問題にしないと契約を交わしたはずです!」
「契約書を偽造され、各所に全て手回しされたあとだった。敵は初めからここまで計算しつくしていたのだ。我々にはもう何もできない。これ以上騒ぎ立てると、正式に王室と公爵家から訴えられてしまう」
「姉様を傷つけられて、このまま泣き寝入りしろと……?」
両手を強く握りしめ、弟は強く歯をかみしめた。この場にいない母は心労から寝込んでしまっている。
(お父様、お母様、カイ。私のせいでごめんなさい……)
自分のせいで家族の名誉がこれ以上傷つけられる訳にはいかない。このままにしておけば、オルウェン伯爵家は王族に無礼を働いた貴族として苦しい立場に追い込まれてしまう。
(そんなことはさせないわ)
シェリーはソファーからゆっくりと立ち上がった。
父に「シェリー大丈夫かい?」と聞かれたので「はい」とシェリーは力なく微笑んだ。
「少し……気分転換に出かけてきます」
「姉様……」
弟が心配そうな顔をした。
「人が多い場所には行かないわ。そうね……静かな森か湖にでも……」
「姉様、僕も一緒に行きます!」
「いいえ、一人で行きたいの」
悲しそうな顔をするカイに、シェリーは困ったような笑みを返した。
(大好きな家族の名誉は私が守るわ)
覚悟を決めてシェリーは馬車に乗り込んだ。
(私が自害すれば、この流れが変わるはず)
シェリーが第三王子と夜会で出会い熱烈に愛を囁かれたことは社交界でも有名だった。だから、偽造された証拠よりも、貴族が喜びそうな下世話な話題を提供してあげればいい。
婚約破棄されたシェリーが自害すれば、面白がった貴族たちは必ず第三王子と公爵令嬢が原因では?とウワサを広げてくれるはずだ。
婚約破棄されて娘を失ったオルウェン伯爵家は世間から同情が集まり、これ以上王室や公爵家から攻撃もされないだろう。
(お父様、お母様、カイ。こんな愚かな方法しか思いつかない私をどうか許して……)
シェリーをのせた馬車が森にさしかかった頃、馬の嘶きが聞こえた。シェリーが馬車のカーテンの隙間から外を見ると、護衛のためについてきていた騎士の姿が見えない。代わりに黒馬にまたがった全身黒ずくめの死神のような男がいた。
(もしかして、この馬車が襲われているの?)
急に馬車がとまったので、シェリーの身体は反動で吹き飛び馬車内の壁に叩きつけられた。すぐに乱暴に馬車の扉が開かれる。
そこには全身黒ずくめの男がいて、手に持っていたナイフを素早くシェリーめがけて振り上げた。
(私はここで死ぬのね)
元からここへは死ぬために来たのだ。オルウェン伯爵家が世間から同情を引ければこの身はどうなってもいい。
シェリーは逃げることもせずに静かに目を閉じた。
「……?」
どれほど待っても痛みがないので、うっすら目を開けると、ナイフの刃の先がシェリーの目の前で止まっていた。
顔を隠した黒ずくめの暗殺者をシェリーは無感情に見つめた。
「どうぞ」
シェリーの言葉に、かすかに暗殺者の身体が揺れた。シェリーは動こうとしない暗殺者の手にそっとふれる。
「どうかその手で、愚かな私を殺してください」
ふわりと甘い香りがしたかと思うと、シェリーはなぜか意識を失った。
**
気がつけば、シェリーは王宮の一室にも引けを取らない豪華な部屋のベッドに寝かされていた。
「……ここは?」
シェリーが呟くと、ベッドの横に控えていたのか、すぐに人の良さそうな年配のメイドが水を持って来てくれる。
「お嬢様、のどが痛みませんか? どうぞ」
言われてみればのどがヒリヒリしている。メイドがくれた水を飲むとのどの痛みは薄れた。
「眠り粉を吸いこんだとか? あれはのどが痛くなってしまうのです。旦那様が心配しておられました」
「旦那様?」
この邸宅の主のことだろうか? シェリーが首をかしげると、部屋の扉が開き黒髪の青年が入ってきた。
「旦那様、お嬢様がお目覚めになりましたよ」
黒髪の青年が無言で小さく頷くと、メイドは「では、私はお嬢様のスープを準備してきますね」とニコニコ笑顔で去っていく。
メイドが退出し、二人きりになったが青年は何も言わない。青年の左頬には、大きな古い傷跡があった。
「あの、貴方は?」
シェリーが尋ねると青年はベッドの側で勢いよくひざまずいた。
「俺は第三王子にアンタを殺すように依頼された暗殺者だ。アンタが乗っていた馬車を襲ったのは俺だ」
「貴方が……」
黒ずくめの死神のような男の正体は、意外にも普通の青年だった。
「そうですか。私はかまいませんよ。元から死に場所を探していたので」
シェリーがそう伝えると、青年は鋭い瞳を少しだけ見開いた。瞳の色は、少し赤みががったブラウンで不思議な色だ。
「だったら、アンタのその命、俺にくれないか?」
青年は深刻そうにも見えたが頬の傷のせいで表情が読み取りにくい。シェリーは、自分で死ぬのも、この青年に殺されるのも一緒だと思い少しも迷わずに答えた。
「はい、お好きにどうぞ」
青年が少しだけ微笑んだような気がするのは気のせいだろうか。
「表向きは、アンタは馬車の事故にあって行方不明ということになっている」
「そうなのですね」
それはシェリーにとって都合が良かった。今ごろ社交界は盛り上がっていることだろう。
「お願いがあります」
「……聞こう」
「私を殺した後、死体を自害したようにしてもらえませんか? そうしないと家族に迷惑がかかってしまいます」
青年は分かりやすく眉間にシワをよせた。鋭い瞳がさらに鋭くなる。
「……分かった。だが、アンタの命は俺のものだ。勝手に死のうとするなよ? オルウェン伯爵家のことは気にするな。俺が上手く伝えておいてやる」
そう言い残して青年は部屋から出て行った。
一人取り残されたシェリーは、「今は殺さないのかしら?」と呟く。
(早く殺してくれないと、行方不明の私を家族が探してしまうわ)
もしシェリーの大切な家族が行方不明になったのなら、死にもの狂いで探すだろう。だからこそ、早く家族にはシェリーの死を知ってほしい。
シェリーが死んだのだと分かれば家族も諦めてくれるはず。
「……ごめんなさい」
オルウェン家の名誉のために死ぬという言葉に嘘はない。でもそれ以上に、エディリオンを心から愛していたので、もう生きるのがつらかった。幸せそうなエディリオンとダリアを見たくない。
「最後まで、自分勝手で親不孝な娘でごめんなさい」
シェリーの瞳から涙が溢れた。一刻も早くこの生き地獄から抜け出したかった。
**
その日から、シェリーはなぜか豪華な食事を与えられ青年に囲われている。
部屋を訪れる青年は、毎回何かしらの贈り物をシェリーに渡した。それは、煌びやかな宝石やドレスだったり、甘くて美味しいお菓子だったりと、女性が喜びそうなものばかりだ。
ただ、素敵な贈り物をくれる青年はいつも不機嫌だ。愛を囁かれることもなければ、シェリーを褒めることもない。
(愛されているわけではないのよね?)
貴族の世界では、愛は言葉で語り、態度で伝えるものなので、青年が何のためにシェリーに贈り物をくれるのか理解できない。
それなのに、今日も青年は大きな薔薇の花束を抱えているので、シェリーは首をかしげた。
(喜ばせておいて、絶望に落とす……とかそういう殺し方なのかしら?)
暗殺者の考えることは分からない。
「あの、いつになったら私を殺してくれるのですか?」
そう尋ねると、青年はいつもシェリーから顔をそらして「……アンタの命は俺のものだ」と不機嫌な声になる。
「でも、こんなにたくさん素敵なものをいただいて、毎日おいしい食事をいただいていると、いつか死にたくなくなるかもしれません」
「そ、そうか」
左頬にある大きな傷で分かりにくいが青年は笑ったようだ。
「私を殺さなくて良いのですか? 貴方は第三王子に私の暗殺を依頼されたのですよね?」
シェリーが尋ねると、青年は口元をニヤリと歪めた。
「ああ、あの男か。安心しろ、もう王子ではないからな」
青年の言葉の意味が理解できず、シェリーは不思議そうに青年を見つめた。青年の頬が少しずつ赤くなっていくような気がする。青年は視線をそらして咳払いをした。
「アンタみたいな綺麗なお姫様は知らないだろうが、俺はこれでも裏の世界では権力者なんだ。アンタを陥れた連中は一通り……な?」
「一通り?」
「アンタは知らなくていい」
青年は、それ以上は教えてくれる気はないようだ。
「私を殺さないなら、貴方の目的は?」
しばらく黙り込んだ青年は、覚悟を決めたように口をひらいた。
「一度でいい……俺の名前を呼んでくれ」
「貴方のお名前をですか?」
そういえば、黒髪の青年の名前をシェリーは知らなかった。シェリーは青年に向かって淑女らしくお辞儀をした。
「申し遅れました。私はオルウェン伯爵家のシェリーと申します」
「知っている。暗殺対象については、事前に調べつくすからな」
「そうでしたか。貴方のお名前は?」
青年は「っ」とか「ぅ」とか言ったあとに「……ス」と呟く。
「申し訳ありません。良く聞こえませんでした。もう一度、教えてくださいますか?」
「う、ハルスだ! ハルス!」
吐き捨てるように言われ、シェリーは「何か不快になることをしてしまいましたでしょうか?」と尋ねた。
「いや、違うっ! そうじゃない!」
「少し落ち着いてください、ハルス様」
「俺は落ち着いて――」
ハルスは鋭い瞳を大きく見開いた。
固まってしまったハルスに不安になり、シェリーが「ハルス様?」ともう一度呼ぶと、ハルスの頬がカァと赤く染まる。
「ハルス様?」
「……ハルスでいい」
「ハルス? 敬称がいらないということは、もしかして、私と親しくなりたいということですか?」
ハルスは赤い顔のまま無言でうなずく。そこでシェリーはようやくハルスの行動を理解した。
(そうだったのね、ハルスは私とお友達になりたかったのだわ。だから、愛を囁かず、贈り物だけをくれたのね)
第三王子に裏切られた今、純粋な好意がとても嬉しい。気がつけばシェリーはハルスに微笑みかけていた。婚約者に裏切られてから、シェリーは初めて笑ったかもしれない。その笑みを見たハルスはさらに驚いて息をのむ。
「じゃあ、堅苦しいのはおしまい。私のこともシェリーって呼んでね」
無言でうなずいたハルスは、耳や首筋まで赤くなっていた。
**
【ハルス視点】
シェリーが笑ってくれた。
その笑顔を見たとたんに身体が熱を持ち、ハルスは冷たい手足に急に血が通ったような不思議な気分になった。
ドクドクと心臓が大きく脈打っている。それは初めて人を殺したときの感覚に近いような気がしたが、不快感がなくただ生きているという実感だけが湧いてくる。
今、シェリーの部屋から出たばかりなのに、もうシェリーの顔が見たくて仕方がない。
(こんなつもりじゃなかった……)
シェリーを囲ってからというもの、仕事にまったく手がつかなくなっている。
(まぁ、元から俺が直接手を下すような大きな仕事はめったにないが)
ハルスは、表向きは酒場経営をしながら酒や情報を売り買いしている青年実業家ということになっているが、その裏では、どんな後ろ暗い仕事でも金さえ積めば引き受ける暗殺業も行っていた。
組織が大きくなってからは、頭首のハルスが現場に出ることはなくなったが、どうしてもハルスに直接殺してほしいという依頼が舞い込んだ。
初めは断ったが、依頼主が自分が第三王子だと明かしたので、面倒くさいことになりかねないと渋々ハルスが出て行った。
第三王子からシェリーの暗殺依頼を受けたとき、すぐに断れば良かったのかもしれない。
第三王子が婚約者のシェリーを利用して公爵令嬢に取り入ったことは裏社会ではすでに有名な事だった。
このまま二人が結婚すると、第三王子が公爵家の後ろ盾を得るので、『王位継承をめぐり王室が荒れそうだ』『バカな王族のおかげで俺達の仕事が増えそうだ』と仲間内で笑っていたらこれだ。
騙して利用し捨てた女を殺そうとしている第三王子には、暗殺業をしているハルスですらあきれてしまう。ここに依頼に来る貴族連中は、裏社会で生きる者よりさらに醜く、もはや人とは思えない。
「……暗殺理由をうかがっても?」
第三王子は「そんなことを聞いてどうする?」とハルスを見下すように睨みつけたが「まぁいい」と教えてくれた。
「シェリーは誰よりも美しく優しいんだ。婚約破棄された傷物でも喜んで妻にと望まれるくらいにな。そんな良い女が私以外の男のものになるのが許せない。だから殺すんだ」
(コイツ、腹の中まで腐りきってやがる)
目の前の男の腹を裂いたら吐き気をもよおすくらいの悪臭が漂いそうだ。
王族や貴族というのは、この第三王子のようにお綺麗な顔に豪華な衣装をまとっているが、中身はどれも醜悪な化け物だ。
だから、ハルスは『どうせ、このシェリーってやつも化け物だろ。せいぜい化け物同士で殺し合って、俺に金を落としてくれ』と思い依頼を引き受けた。
引き受けたからにはと、暗殺対象のシェリーについて調べたが、何も悪質な情報は出てこなかった。それどころか、シェリーの父オルウェン伯爵は慈善事業に力を入れる珍しい貴族だった。
(……まぁ、もう引き受けちまったし)
暗殺に良い悪いもない。仕事だから殺す。ただそれだけだ。
(どうせこのシェリーってやつも、殺されると分かった瞬間、善人の仮面が外れてなりふり構わず命乞いをしてくる)
そんなことを考えていると、都合よくシェリーが馬車で出かけた。まさか命を狙われているとは思っていないようで、護衛騎士を二人しかつけていない。
こちらは念のため十人で仕留めようと思っていたが、それほどの数はいらなかったようだ。馬車を先回りした仲間が、護衛騎士の馬を射った。
馬が高くさお立ちになり、騎士が落馬した所を、仲間が数人がかりで仕留めていく。残った仲間が馬車の行く手を塞ぎ馬車を止めた。
(あとは俺の仕事だ)
美しすぎる高貴な女性というのは厄介で、その姿だけで暗殺者すら魅了されてしまうことがごくまれに起こる。
殺すはずの対象者に同情し、共に逃げてしまうのだ。ハルスの元にも一度だけ、とち狂って暗殺対象の貴族令嬢と逃げた同業者を始末する依頼がきたが、ばかばかしくて断った。
(バカな奴らだ)
ハルスは勢い良く馬車の扉を開いた。そこにいる女性は確かに美しい。だが、美しいだけの外見にはなんの価値もない。
(どうせ中身は化け物だ)
ナイフを振りかざすと、叫び声を上げて逃げ出すと思った。それなのに、シェリーは逃げもせず静かに目を閉じた。予想外だった。だから、振り下ろしたナイフを止めてしまった。
ゆっくりと開いたシェリーの瞳は、今まで見たどの宝石よりも美しい。輝きをまとう不思議な瞳がハルスを見つめている。
「どうぞ」
可憐な声だった。ただ凛としていて意思が強そうでもある。
(どうぞ?)
何を言われたのか理解できなかった。そうしているうちに、シェリーの手がハルスのナイフを持つ手にふれた。
そのとたんに、ハルスの心臓が大きく跳ねる。
ハルスは気がつけば、シェリーに眠り薬を嗅がせていた。意識を失ったシェリーを抱きかかえるとそのあまりの軽さに驚いてしまう。
仲間たちが集まってきた。
「頭、その女どうしますか?」
「俺が処理しておく。お前たちは馬車が事故に遭ったように偽装しておけ。護衛の死体処理も忘れるな」
護衛がいない時点で事故ではないとすぐに分かるが、そこらへんは第三王子が上手く誤魔化すことになっている。
仲間たちはうなずくと、各自作業に戻って行った。
ハルスは、抱きかかえていたシェリーを荷物のように肩にかつぐと片手で器用に馬にまたがった。
馬鹿なことをしていると分かっていたが、穏やかに眠るシェリーを傷つけることなんてできそうもない。
ハルスは複数ある邸宅のひとつにシェリーを運び込んだ。ここには、気の良いおせっかいなメイドがいるのでシェリーの世話にうってつけだと思った。
目覚めたシェリーを見た瞬間に、ハルスはまるで神に許しを請うように、シェリーにひざまずき依頼内容を全て打ちあけてしまった。暗殺者として有り得ない行動だ。
元婚約者に殺されそうになったと聞かされてもシェリーは顔色ひとつ変えない。
シェリーがいらないと言ったシェリーの命は、有難くハルスがいただくことにした。
ハルスは、シェリーの側にいれるだけで幸せだったが、シェリーは死を望んでいた。何を贈っても受け取ってはくれるが喜んではくれない。
(これは、全てあのクソ王子のせいだな)
シェリーを苦しめた第三王子を殺すことを決めた。ただ殺すだけでは気が済まない。シェリーが味わった苦しみを何十倍にもして返してやらなければ。
まず手始めにハルスは、第三王子の側近たちを一人、また一人と惨たらしく見せしめのように殺していった。そうして貴族街を暗躍しているうちに、シェリーを探し回っているオルウェン伯爵家の令息を見つけた。
(確か、カイ、だったか?)
カイはろくに寝ていないようで顔は青ざめ、目がぎらついている。第三王子の側近の一人を問い詰めていたが、相手にされず突き飛ばされた。側近はさらにカイを殴りつけようとしている。
(弟を助けたら、シェリーが喜ぶかもしれない)
そんな下心からカイを助けた。ハルスは、背後から側近に近づき、腕で側近の首を絞め落とし路地に放り込んだ。生きていたら面倒なので、念のため側近の胸にナイフを突き立てておく。
地面に座り込んだカイは、路地から出てきたハルスをぼうぜんとしながら見上げていた。
「あ、なっ?」
「……シェリーは無事だ」
そう告げると恐怖で染まっていた瞳に、生気が宿った。
「姉様が!?」
勢いよく立ち上がると「姉様は、いまどこに!? お願いです、教えてください!」と必死に頭を下げる。シェリーに会わせる気はなかったが、あまりに必死だったので、目隠しをして邸宅につれていき、遠くからシェリーの姿を見せてやった。
「ああ、姉様……良かった……」
カイは膝から崩れ落ちると、わんわんと泣き出した。
「俺が保護している。返す気はない」
「い、いいです。姉様が生きてさえいてくれれば……それで」
カイが「もしかして、第三王子の側近が変死している事件は、貴方が?」と聞いてきたのでうなずいた。
「姉様のために?」
その問いには返事はしなかったが、カイは「僕にも手伝わせてください!」と言った。カイの瞳がシェリーに似ていたのでうまく断れないでいると、カイは「シェリー姉様を苦しめた全ての人を殺したい」と言ったので、仲間に入れなかったら一人で暴走しそうだと思い仲間に入れた。
それからは、ハルスが暗殺する現場に、カイがプラチナブロンドのかつらをかぶり、女性物のドレスを着てついてきた。そして、その姿をわざと使用人たちに目撃させた。
そのせいで、「第三王子の側近たちは、シェリー嬢の呪いで殺されている」とあっと言う間に噂になった。
呪われてはたまらないと、第三王子の周りから潮が引くように人がいなくなった。第三王子の側近たちも一斉に離縁や婚約破棄をされている。
第三王子の婚約者だった公爵令嬢のダリアも、すぐに第三王子を見捨てて婚約破棄をした。
それでも、ハルスは第三王子の関係者を殺すことをやめなかった。
治まらない変死事件の責任を取らされたのか、王室にまで呪いが及ぶことを恐れたのかは分からないが、王室は第三王子を除名し辺境の地へと送った。
シェリーの弟カイは「これで姉様の仇を取れました!」と喜んでいたが、ハルスは、辺境に向かう途中の馬車を襲い、第三王子を斬殺した。
その事件を知った公爵令嬢ダリアが、恐怖のあまり修道院に駆け込んだと聞いて、ハルスは舌打ちをした。
(先にあの女を殺しておくべきだったな)
修道院に引きこもられるとなかなか手が出せない。仕方がないので、ハルスは復讐をやめた。
復讐という名の八つ当たりが終わったハルスの最近の悩みは、死ぬことをやめたシェリーの笑顔の破壊力が高すぎることだ。
「ねぇハルス、ずっとお部屋にいるのはつらいわ。私もハルスのお仕事のお手伝いをさせて?」
「うぐっ」
シェリーに微笑みかけられると、上手く話せなくなるし、全てを叶えたくなってしまう。しかし、酒場でシェリーを働かせるなんて絶対に嫌だった。
(シェリーが表に出なくてもできる仕事を新しく始めるか)
そうこうしているうちに、ハルスがこの国一番の商会を作り上げてしまうことになる。
(いつ、シェリーに正式に結婚を申し込もう)
胸をときめかせるハルスの側で、シェリーは『お友達って裏切らないし、気楽でいいわぁ。お友達のハルス、だーいすき』と心の中で微笑むのだった。
傷ついたシェリーがハルスの本当の気持ちに気がついて、受け入れるまで、もう少しだけ時間がかかる。
おわり
「シェリー=オルウェン、今日この場でお前との婚約を破棄する」
この国の第三王子であるエディリオンは、薄ら笑いを浮かべながらそう言い放った。エディリオンの側には、公爵令嬢ダリアの姿がある。
エディリオンの側近たちやダリアの護衛騎士が、恋人同士のように振る舞う二人をシェリーから守るように取り囲んでいる。
(これはいったい、どういうことかしら?)
何が起こったのか分からない。
今日シェリーは、久しぶりに婚約者のエディリオンに誘われて王宮の夜会に参加していた。
以前、夜会会場で運命的な出会いをしたエディリオンから熱烈に望まれて、シェリーは婚約をした。しかし、婚約をしたとたんにエディリオンから連絡が来なくなり少し不安になっていたので、夜会へのお誘いはとても嬉しかった。
それなのに、夜会当日になってエディリオンから『エスコートはできない』と短い手紙が届いた。父や弟が「代わりにエスコートしようか?」と申し出てくれたが、手紙には『必ず一人で来るように』とも書かれていたので、戸惑いながらもシェリーは一人で夜会会場へと向かった。
シェリーが会場に入ったとたんに、会場全体の空気が張りつめた。
会場の中心には、婚約者のエディリオンの姿が見える。
「エディ、先に来ていたのね」
近づき声をかけると、エディリオンはシェリーを振り返った。その青い瞳は、いつもシェリーに向けられていた温かな眼差しではなく、見たことがないくらい冷ややかだ。
(私、エディを怒らせてしまうようなことをしてしまったのかしら?)
シェリーが不安になっていると、エディは別の女性を側に引き寄せた。いつもシェリーを目の敵にしてくる公爵令嬢のダリアだ。
「たかが伯爵令嬢ごときが、私に気安く声をかけないでもらおうか?」
侮蔑を含んだ声は、シェリーに愛を囁いてくれた優しいエディリオンの声とは思えない。
「……エディ?」
シェリーがエディリオンの名前を呼ぶと、エディリオンの代わりにダリアが答えた。
「今、声をかけるなって言われたでしょう? 本当に失礼な女。ねぇ、エディ」
そう言うとダリアは、エディリオンの腕にしなだれかかった。微笑みを浮かべたエディリオンは、シェリーに語りかけていたような甘い声でダリアに答える。
「そうだね、ダリア」
クスッとダリアが微笑むと、エディリオンも愛おしそうにダリアに微笑みかけた。
「社交界の華は君だよ、ダリア」
勝ち誇ったダリアの笑みを見て、シェリーはようやく事態が飲み込めた。
(ああ……。私、エディに利用されていたのね)
第三王子エディリオンの狙いは初めから公爵令嬢のダリアだったらしい。そして、そのダリアは伯爵令嬢の分際で『社交界の華』と讃えられるシェリーのことを良く思っていなかった。
(だから、私を口説いて婚約者にしてから、ダリアに言い寄ったのね)
エディリオンは、かつてシェリーの髪をなでた手で、ダリアの髪を優しくなでた。
「シェリーなんかより、ダリアのほうがずっと魅力的だよ」
その言葉を言うためだけにシェリーは利用された。
ダリアは、第一王子の婚約者にもなれるほど身分が高い令嬢なので、普通に口説いても第三王子が相手にされる可能性は低い。
エディリオンはダリアの心を射止めるために、薔薇の花束や愛の言葉ではなく、シェリーの無様な姿を彼女に捧げた。
権力を得るためには、良家の令嬢を妻に迎えることが一番確実で早い。
「ダリア、君の愛がほしい」
シェリーを疎んじていたダリアの自尊心は、エディの言葉で満たされたようだ。
ダリアはそっとエディリオンの腕に頭を寄せる。
「仕方がない人ね。いいわ、エディ。私たち、婚約しましょう」
幸せそうに微笑んだエディリオンは、もうシェリーの存在など忘れたようだった。
――シェリー、愛しているよ。君が側にいてくれるだけで私は幸せなんだ。
そう言ってくれた人は、もうどこにもいない。
涙が滲みシェリーの視界が歪んだ。貴族たるもの感情をあらわにしてはいけない。必死に涙をこらえながらシェリーは淑女らしく美しい礼をとり、しっかりとした足取りで会場をあとにした。
オルウェン伯爵家の馬車に乗り込み、一人になってからようやく静かに涙を流した。
騙されて悔しいのか、エディリオンの愛が全てウソだったことが悲しいのか、傷ついたシェリーには分からなかった。
**
その美しさに誰もが見惚れるオルウェン伯爵家のシェリーが、第三王子に一方的な婚約破棄を告げられたことは、あっと言う間に貴族中に広まった。あれほど社交界の華と讃えられたシェリーは、もう社交界に居場所はない。
シェリーの父が怒りで顔をどす黒くしながら、書斎机を叩いた。
「シェリーに恥をかかせ社交界から追い出し、ダリアに取り入る。これが奴の狙いだったのだ!」
シェリーが「お父様、申し訳ありません」と頭を深く下げると、母が「どうして騙された貴女が謝るの」と涙を浮かべる。
「私が、愚かでした……」
麗しい王子様に、優しく口説かれ嬉しくなって、ついその気になってしまった。それだけではない。シェリーは幼い頃から、目立つ外見のせいで妬まれたり、嫌がらせをされたりすることもあったので、同じく目立つ外見のエディリオンの言葉を簡単に信じてしまった。
――シェリーの気持ち分かるよ。私もこの外見で苦労してきたから……。
輝く金髪に澄んだ青い瞳を持つ王子様も、人知れず苦労してきたのだとシェリーは共感してしまった。
「お父様。オルウェン家の名誉を傷つけてしまい、大変申し訳ありません」
シェリーの瞳から涙が一筋流れると、母が優しく抱きしめてくれた。
「貴女は何も悪くありません」
母の言葉に父も「そうだ! シェリーは何も悪くない」と同意してくれた。
「今回の件はあまりにも酷い! 第三王子含め、王室には私から正式に抗議文を送っておく」
しかし、父の送った抗議文は全て無視され、何のお咎めもなく第三王子エディリオンと公爵令嬢ダリアの婚約が成立した。
それを聞いた弟カイが「相手の不貞による一方的な婚約破棄にも関わらず、慰謝料すら支払われないのは、いったいどういうことですか!?」と怒っている。
そんなカイを見て、シェリーは『私もカイのように、お父様やお母様と同じブラウンの髪だったら、こんなことにはならなかったのかもしれないわ』と自身の外見を嘆いていた。
両親とは似ても似つかないプラチナブロンドの髪と、緑色の瞳を持って生まれてしまった。仲睦まじい両親が浮気するわけもなく、調べた所、どうやらシェリーだけが、遠い昔に他国から嫁いできた金髪緑目の先祖の血を色濃く継いで、先祖返りをしてしまったということらしい。
ブラウンの髪や瞳が一般的なこの国では、他の髪色はとても目立ってしまう。そのため、物珍しさから社交界でもてはやされてしまった。
その結果が、今のこの状況だ。シェリーは自らの外見を呪わずにはいられなかった。
父は怒りをこらえるように言葉を告げた。
「王室からは、今回の婚約破棄は私たちオルウェン家に非があるとのことだ。第三王子との婚姻の際に相応しい持参金を用意できないのが理由だ」
「それはあの卑劣な王子がいらないと言ったからでしょう!? 姉様と婚約する前に、それについては後から問題にしないと契約を交わしたはずです!」
「契約書を偽造され、各所に全て手回しされたあとだった。敵は初めからここまで計算しつくしていたのだ。我々にはもう何もできない。これ以上騒ぎ立てると、正式に王室と公爵家から訴えられてしまう」
「姉様を傷つけられて、このまま泣き寝入りしろと……?」
両手を強く握りしめ、弟は強く歯をかみしめた。この場にいない母は心労から寝込んでしまっている。
(お父様、お母様、カイ。私のせいでごめんなさい……)
自分のせいで家族の名誉がこれ以上傷つけられる訳にはいかない。このままにしておけば、オルウェン伯爵家は王族に無礼を働いた貴族として苦しい立場に追い込まれてしまう。
(そんなことはさせないわ)
シェリーはソファーからゆっくりと立ち上がった。
父に「シェリー大丈夫かい?」と聞かれたので「はい」とシェリーは力なく微笑んだ。
「少し……気分転換に出かけてきます」
「姉様……」
弟が心配そうな顔をした。
「人が多い場所には行かないわ。そうね……静かな森か湖にでも……」
「姉様、僕も一緒に行きます!」
「いいえ、一人で行きたいの」
悲しそうな顔をするカイに、シェリーは困ったような笑みを返した。
(大好きな家族の名誉は私が守るわ)
覚悟を決めてシェリーは馬車に乗り込んだ。
(私が自害すれば、この流れが変わるはず)
シェリーが第三王子と夜会で出会い熱烈に愛を囁かれたことは社交界でも有名だった。だから、偽造された証拠よりも、貴族が喜びそうな下世話な話題を提供してあげればいい。
婚約破棄されたシェリーが自害すれば、面白がった貴族たちは必ず第三王子と公爵令嬢が原因では?とウワサを広げてくれるはずだ。
婚約破棄されて娘を失ったオルウェン伯爵家は世間から同情が集まり、これ以上王室や公爵家から攻撃もされないだろう。
(お父様、お母様、カイ。こんな愚かな方法しか思いつかない私をどうか許して……)
シェリーをのせた馬車が森にさしかかった頃、馬の嘶きが聞こえた。シェリーが馬車のカーテンの隙間から外を見ると、護衛のためについてきていた騎士の姿が見えない。代わりに黒馬にまたがった全身黒ずくめの死神のような男がいた。
(もしかして、この馬車が襲われているの?)
急に馬車がとまったので、シェリーの身体は反動で吹き飛び馬車内の壁に叩きつけられた。すぐに乱暴に馬車の扉が開かれる。
そこには全身黒ずくめの男がいて、手に持っていたナイフを素早くシェリーめがけて振り上げた。
(私はここで死ぬのね)
元からここへは死ぬために来たのだ。オルウェン伯爵家が世間から同情を引ければこの身はどうなってもいい。
シェリーは逃げることもせずに静かに目を閉じた。
「……?」
どれほど待っても痛みがないので、うっすら目を開けると、ナイフの刃の先がシェリーの目の前で止まっていた。
顔を隠した黒ずくめの暗殺者をシェリーは無感情に見つめた。
「どうぞ」
シェリーの言葉に、かすかに暗殺者の身体が揺れた。シェリーは動こうとしない暗殺者の手にそっとふれる。
「どうかその手で、愚かな私を殺してください」
ふわりと甘い香りがしたかと思うと、シェリーはなぜか意識を失った。
**
気がつけば、シェリーは王宮の一室にも引けを取らない豪華な部屋のベッドに寝かされていた。
「……ここは?」
シェリーが呟くと、ベッドの横に控えていたのか、すぐに人の良さそうな年配のメイドが水を持って来てくれる。
「お嬢様、のどが痛みませんか? どうぞ」
言われてみればのどがヒリヒリしている。メイドがくれた水を飲むとのどの痛みは薄れた。
「眠り粉を吸いこんだとか? あれはのどが痛くなってしまうのです。旦那様が心配しておられました」
「旦那様?」
この邸宅の主のことだろうか? シェリーが首をかしげると、部屋の扉が開き黒髪の青年が入ってきた。
「旦那様、お嬢様がお目覚めになりましたよ」
黒髪の青年が無言で小さく頷くと、メイドは「では、私はお嬢様のスープを準備してきますね」とニコニコ笑顔で去っていく。
メイドが退出し、二人きりになったが青年は何も言わない。青年の左頬には、大きな古い傷跡があった。
「あの、貴方は?」
シェリーが尋ねると青年はベッドの側で勢いよくひざまずいた。
「俺は第三王子にアンタを殺すように依頼された暗殺者だ。アンタが乗っていた馬車を襲ったのは俺だ」
「貴方が……」
黒ずくめの死神のような男の正体は、意外にも普通の青年だった。
「そうですか。私はかまいませんよ。元から死に場所を探していたので」
シェリーがそう伝えると、青年は鋭い瞳を少しだけ見開いた。瞳の色は、少し赤みががったブラウンで不思議な色だ。
「だったら、アンタのその命、俺にくれないか?」
青年は深刻そうにも見えたが頬の傷のせいで表情が読み取りにくい。シェリーは、自分で死ぬのも、この青年に殺されるのも一緒だと思い少しも迷わずに答えた。
「はい、お好きにどうぞ」
青年が少しだけ微笑んだような気がするのは気のせいだろうか。
「表向きは、アンタは馬車の事故にあって行方不明ということになっている」
「そうなのですね」
それはシェリーにとって都合が良かった。今ごろ社交界は盛り上がっていることだろう。
「お願いがあります」
「……聞こう」
「私を殺した後、死体を自害したようにしてもらえませんか? そうしないと家族に迷惑がかかってしまいます」
青年は分かりやすく眉間にシワをよせた。鋭い瞳がさらに鋭くなる。
「……分かった。だが、アンタの命は俺のものだ。勝手に死のうとするなよ? オルウェン伯爵家のことは気にするな。俺が上手く伝えておいてやる」
そう言い残して青年は部屋から出て行った。
一人取り残されたシェリーは、「今は殺さないのかしら?」と呟く。
(早く殺してくれないと、行方不明の私を家族が探してしまうわ)
もしシェリーの大切な家族が行方不明になったのなら、死にもの狂いで探すだろう。だからこそ、早く家族にはシェリーの死を知ってほしい。
シェリーが死んだのだと分かれば家族も諦めてくれるはず。
「……ごめんなさい」
オルウェン家の名誉のために死ぬという言葉に嘘はない。でもそれ以上に、エディリオンを心から愛していたので、もう生きるのがつらかった。幸せそうなエディリオンとダリアを見たくない。
「最後まで、自分勝手で親不孝な娘でごめんなさい」
シェリーの瞳から涙が溢れた。一刻も早くこの生き地獄から抜け出したかった。
**
その日から、シェリーはなぜか豪華な食事を与えられ青年に囲われている。
部屋を訪れる青年は、毎回何かしらの贈り物をシェリーに渡した。それは、煌びやかな宝石やドレスだったり、甘くて美味しいお菓子だったりと、女性が喜びそうなものばかりだ。
ただ、素敵な贈り物をくれる青年はいつも不機嫌だ。愛を囁かれることもなければ、シェリーを褒めることもない。
(愛されているわけではないのよね?)
貴族の世界では、愛は言葉で語り、態度で伝えるものなので、青年が何のためにシェリーに贈り物をくれるのか理解できない。
それなのに、今日も青年は大きな薔薇の花束を抱えているので、シェリーは首をかしげた。
(喜ばせておいて、絶望に落とす……とかそういう殺し方なのかしら?)
暗殺者の考えることは分からない。
「あの、いつになったら私を殺してくれるのですか?」
そう尋ねると、青年はいつもシェリーから顔をそらして「……アンタの命は俺のものだ」と不機嫌な声になる。
「でも、こんなにたくさん素敵なものをいただいて、毎日おいしい食事をいただいていると、いつか死にたくなくなるかもしれません」
「そ、そうか」
左頬にある大きな傷で分かりにくいが青年は笑ったようだ。
「私を殺さなくて良いのですか? 貴方は第三王子に私の暗殺を依頼されたのですよね?」
シェリーが尋ねると、青年は口元をニヤリと歪めた。
「ああ、あの男か。安心しろ、もう王子ではないからな」
青年の言葉の意味が理解できず、シェリーは不思議そうに青年を見つめた。青年の頬が少しずつ赤くなっていくような気がする。青年は視線をそらして咳払いをした。
「アンタみたいな綺麗なお姫様は知らないだろうが、俺はこれでも裏の世界では権力者なんだ。アンタを陥れた連中は一通り……な?」
「一通り?」
「アンタは知らなくていい」
青年は、それ以上は教えてくれる気はないようだ。
「私を殺さないなら、貴方の目的は?」
しばらく黙り込んだ青年は、覚悟を決めたように口をひらいた。
「一度でいい……俺の名前を呼んでくれ」
「貴方のお名前をですか?」
そういえば、黒髪の青年の名前をシェリーは知らなかった。シェリーは青年に向かって淑女らしくお辞儀をした。
「申し遅れました。私はオルウェン伯爵家のシェリーと申します」
「知っている。暗殺対象については、事前に調べつくすからな」
「そうでしたか。貴方のお名前は?」
青年は「っ」とか「ぅ」とか言ったあとに「……ス」と呟く。
「申し訳ありません。良く聞こえませんでした。もう一度、教えてくださいますか?」
「う、ハルスだ! ハルス!」
吐き捨てるように言われ、シェリーは「何か不快になることをしてしまいましたでしょうか?」と尋ねた。
「いや、違うっ! そうじゃない!」
「少し落ち着いてください、ハルス様」
「俺は落ち着いて――」
ハルスは鋭い瞳を大きく見開いた。
固まってしまったハルスに不安になり、シェリーが「ハルス様?」ともう一度呼ぶと、ハルスの頬がカァと赤く染まる。
「ハルス様?」
「……ハルスでいい」
「ハルス? 敬称がいらないということは、もしかして、私と親しくなりたいということですか?」
ハルスは赤い顔のまま無言でうなずく。そこでシェリーはようやくハルスの行動を理解した。
(そうだったのね、ハルスは私とお友達になりたかったのだわ。だから、愛を囁かず、贈り物だけをくれたのね)
第三王子に裏切られた今、純粋な好意がとても嬉しい。気がつけばシェリーはハルスに微笑みかけていた。婚約者に裏切られてから、シェリーは初めて笑ったかもしれない。その笑みを見たハルスはさらに驚いて息をのむ。
「じゃあ、堅苦しいのはおしまい。私のこともシェリーって呼んでね」
無言でうなずいたハルスは、耳や首筋まで赤くなっていた。
**
【ハルス視点】
シェリーが笑ってくれた。
その笑顔を見たとたんに身体が熱を持ち、ハルスは冷たい手足に急に血が通ったような不思議な気分になった。
ドクドクと心臓が大きく脈打っている。それは初めて人を殺したときの感覚に近いような気がしたが、不快感がなくただ生きているという実感だけが湧いてくる。
今、シェリーの部屋から出たばかりなのに、もうシェリーの顔が見たくて仕方がない。
(こんなつもりじゃなかった……)
シェリーを囲ってからというもの、仕事にまったく手がつかなくなっている。
(まぁ、元から俺が直接手を下すような大きな仕事はめったにないが)
ハルスは、表向きは酒場経営をしながら酒や情報を売り買いしている青年実業家ということになっているが、その裏では、どんな後ろ暗い仕事でも金さえ積めば引き受ける暗殺業も行っていた。
組織が大きくなってからは、頭首のハルスが現場に出ることはなくなったが、どうしてもハルスに直接殺してほしいという依頼が舞い込んだ。
初めは断ったが、依頼主が自分が第三王子だと明かしたので、面倒くさいことになりかねないと渋々ハルスが出て行った。
第三王子からシェリーの暗殺依頼を受けたとき、すぐに断れば良かったのかもしれない。
第三王子が婚約者のシェリーを利用して公爵令嬢に取り入ったことは裏社会ではすでに有名な事だった。
このまま二人が結婚すると、第三王子が公爵家の後ろ盾を得るので、『王位継承をめぐり王室が荒れそうだ』『バカな王族のおかげで俺達の仕事が増えそうだ』と仲間内で笑っていたらこれだ。
騙して利用し捨てた女を殺そうとしている第三王子には、暗殺業をしているハルスですらあきれてしまう。ここに依頼に来る貴族連中は、裏社会で生きる者よりさらに醜く、もはや人とは思えない。
「……暗殺理由をうかがっても?」
第三王子は「そんなことを聞いてどうする?」とハルスを見下すように睨みつけたが「まぁいい」と教えてくれた。
「シェリーは誰よりも美しく優しいんだ。婚約破棄された傷物でも喜んで妻にと望まれるくらいにな。そんな良い女が私以外の男のものになるのが許せない。だから殺すんだ」
(コイツ、腹の中まで腐りきってやがる)
目の前の男の腹を裂いたら吐き気をもよおすくらいの悪臭が漂いそうだ。
王族や貴族というのは、この第三王子のようにお綺麗な顔に豪華な衣装をまとっているが、中身はどれも醜悪な化け物だ。
だから、ハルスは『どうせ、このシェリーってやつも化け物だろ。せいぜい化け物同士で殺し合って、俺に金を落としてくれ』と思い依頼を引き受けた。
引き受けたからにはと、暗殺対象のシェリーについて調べたが、何も悪質な情報は出てこなかった。それどころか、シェリーの父オルウェン伯爵は慈善事業に力を入れる珍しい貴族だった。
(……まぁ、もう引き受けちまったし)
暗殺に良い悪いもない。仕事だから殺す。ただそれだけだ。
(どうせこのシェリーってやつも、殺されると分かった瞬間、善人の仮面が外れてなりふり構わず命乞いをしてくる)
そんなことを考えていると、都合よくシェリーが馬車で出かけた。まさか命を狙われているとは思っていないようで、護衛騎士を二人しかつけていない。
こちらは念のため十人で仕留めようと思っていたが、それほどの数はいらなかったようだ。馬車を先回りした仲間が、護衛騎士の馬を射った。
馬が高くさお立ちになり、騎士が落馬した所を、仲間が数人がかりで仕留めていく。残った仲間が馬車の行く手を塞ぎ馬車を止めた。
(あとは俺の仕事だ)
美しすぎる高貴な女性というのは厄介で、その姿だけで暗殺者すら魅了されてしまうことがごくまれに起こる。
殺すはずの対象者に同情し、共に逃げてしまうのだ。ハルスの元にも一度だけ、とち狂って暗殺対象の貴族令嬢と逃げた同業者を始末する依頼がきたが、ばかばかしくて断った。
(バカな奴らだ)
ハルスは勢い良く馬車の扉を開いた。そこにいる女性は確かに美しい。だが、美しいだけの外見にはなんの価値もない。
(どうせ中身は化け物だ)
ナイフを振りかざすと、叫び声を上げて逃げ出すと思った。それなのに、シェリーは逃げもせず静かに目を閉じた。予想外だった。だから、振り下ろしたナイフを止めてしまった。
ゆっくりと開いたシェリーの瞳は、今まで見たどの宝石よりも美しい。輝きをまとう不思議な瞳がハルスを見つめている。
「どうぞ」
可憐な声だった。ただ凛としていて意思が強そうでもある。
(どうぞ?)
何を言われたのか理解できなかった。そうしているうちに、シェリーの手がハルスのナイフを持つ手にふれた。
そのとたんに、ハルスの心臓が大きく跳ねる。
ハルスは気がつけば、シェリーに眠り薬を嗅がせていた。意識を失ったシェリーを抱きかかえるとそのあまりの軽さに驚いてしまう。
仲間たちが集まってきた。
「頭、その女どうしますか?」
「俺が処理しておく。お前たちは馬車が事故に遭ったように偽装しておけ。護衛の死体処理も忘れるな」
護衛がいない時点で事故ではないとすぐに分かるが、そこらへんは第三王子が上手く誤魔化すことになっている。
仲間たちはうなずくと、各自作業に戻って行った。
ハルスは、抱きかかえていたシェリーを荷物のように肩にかつぐと片手で器用に馬にまたがった。
馬鹿なことをしていると分かっていたが、穏やかに眠るシェリーを傷つけることなんてできそうもない。
ハルスは複数ある邸宅のひとつにシェリーを運び込んだ。ここには、気の良いおせっかいなメイドがいるのでシェリーの世話にうってつけだと思った。
目覚めたシェリーを見た瞬間に、ハルスはまるで神に許しを請うように、シェリーにひざまずき依頼内容を全て打ちあけてしまった。暗殺者として有り得ない行動だ。
元婚約者に殺されそうになったと聞かされてもシェリーは顔色ひとつ変えない。
シェリーがいらないと言ったシェリーの命は、有難くハルスがいただくことにした。
ハルスは、シェリーの側にいれるだけで幸せだったが、シェリーは死を望んでいた。何を贈っても受け取ってはくれるが喜んではくれない。
(これは、全てあのクソ王子のせいだな)
シェリーを苦しめた第三王子を殺すことを決めた。ただ殺すだけでは気が済まない。シェリーが味わった苦しみを何十倍にもして返してやらなければ。
まず手始めにハルスは、第三王子の側近たちを一人、また一人と惨たらしく見せしめのように殺していった。そうして貴族街を暗躍しているうちに、シェリーを探し回っているオルウェン伯爵家の令息を見つけた。
(確か、カイ、だったか?)
カイはろくに寝ていないようで顔は青ざめ、目がぎらついている。第三王子の側近の一人を問い詰めていたが、相手にされず突き飛ばされた。側近はさらにカイを殴りつけようとしている。
(弟を助けたら、シェリーが喜ぶかもしれない)
そんな下心からカイを助けた。ハルスは、背後から側近に近づき、腕で側近の首を絞め落とし路地に放り込んだ。生きていたら面倒なので、念のため側近の胸にナイフを突き立てておく。
地面に座り込んだカイは、路地から出てきたハルスをぼうぜんとしながら見上げていた。
「あ、なっ?」
「……シェリーは無事だ」
そう告げると恐怖で染まっていた瞳に、生気が宿った。
「姉様が!?」
勢いよく立ち上がると「姉様は、いまどこに!? お願いです、教えてください!」と必死に頭を下げる。シェリーに会わせる気はなかったが、あまりに必死だったので、目隠しをして邸宅につれていき、遠くからシェリーの姿を見せてやった。
「ああ、姉様……良かった……」
カイは膝から崩れ落ちると、わんわんと泣き出した。
「俺が保護している。返す気はない」
「い、いいです。姉様が生きてさえいてくれれば……それで」
カイが「もしかして、第三王子の側近が変死している事件は、貴方が?」と聞いてきたのでうなずいた。
「姉様のために?」
その問いには返事はしなかったが、カイは「僕にも手伝わせてください!」と言った。カイの瞳がシェリーに似ていたのでうまく断れないでいると、カイは「シェリー姉様を苦しめた全ての人を殺したい」と言ったので、仲間に入れなかったら一人で暴走しそうだと思い仲間に入れた。
それからは、ハルスが暗殺する現場に、カイがプラチナブロンドのかつらをかぶり、女性物のドレスを着てついてきた。そして、その姿をわざと使用人たちに目撃させた。
そのせいで、「第三王子の側近たちは、シェリー嬢の呪いで殺されている」とあっと言う間に噂になった。
呪われてはたまらないと、第三王子の周りから潮が引くように人がいなくなった。第三王子の側近たちも一斉に離縁や婚約破棄をされている。
第三王子の婚約者だった公爵令嬢のダリアも、すぐに第三王子を見捨てて婚約破棄をした。
それでも、ハルスは第三王子の関係者を殺すことをやめなかった。
治まらない変死事件の責任を取らされたのか、王室にまで呪いが及ぶことを恐れたのかは分からないが、王室は第三王子を除名し辺境の地へと送った。
シェリーの弟カイは「これで姉様の仇を取れました!」と喜んでいたが、ハルスは、辺境に向かう途中の馬車を襲い、第三王子を斬殺した。
その事件を知った公爵令嬢ダリアが、恐怖のあまり修道院に駆け込んだと聞いて、ハルスは舌打ちをした。
(先にあの女を殺しておくべきだったな)
修道院に引きこもられるとなかなか手が出せない。仕方がないので、ハルスは復讐をやめた。
復讐という名の八つ当たりが終わったハルスの最近の悩みは、死ぬことをやめたシェリーの笑顔の破壊力が高すぎることだ。
「ねぇハルス、ずっとお部屋にいるのはつらいわ。私もハルスのお仕事のお手伝いをさせて?」
「うぐっ」
シェリーに微笑みかけられると、上手く話せなくなるし、全てを叶えたくなってしまう。しかし、酒場でシェリーを働かせるなんて絶対に嫌だった。
(シェリーが表に出なくてもできる仕事を新しく始めるか)
そうこうしているうちに、ハルスがこの国一番の商会を作り上げてしまうことになる。
(いつ、シェリーに正式に結婚を申し込もう)
胸をときめかせるハルスの側で、シェリーは『お友達って裏切らないし、気楽でいいわぁ。お友達のハルス、だーいすき』と心の中で微笑むのだった。
傷ついたシェリーがハルスの本当の気持ちに気がついて、受け入れるまで、もう少しだけ時間がかかる。
おわり
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