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しばらくの間、お互いに顔を背けて押し黙っていたが、ドンという鈍い音が聞こえたことで、2人の間の妙な緊張が解かれた。先ほど注文したビールがテーブルの上に置かれた音だ。
「お待たせしました、生でーす」
ちょうど店内が混み始めたタイミングだったため、店員は2人の不審な様子に気が付くこともなく去っていく。
「……俺、ちょっとトイレ行って落ち着いてくる」
そう言って立ち上がったのは夏野の方だった。ホッとしたような気持ちで、次第に遠ざかる胡桃色の髪を見つめながら、幸村はある言葉を思い出していた。
Glare――Domが使う特殊な目線について聞いたことがある。それを使われたSubはDomに対して従いたいという本能が引き起こされ、何も抵抗できなくなってしまうのだと。
今のがGlareだというのだろうか。幸村は首を振ってその考えを否定する。
――そもそも、俺はSubじゃない。ちゃんと検査してNeutralだって診断されたし、今までそんな風な欲求を感じたこともない。それに……夏野は本当にDomなのか?いつもヘラヘラした情けないあいつがDomだなんて信じられない。あの時は酔ってたし、俺の記憶違いかも……。
火照った体を冷やそうと、今しがた運ばれてきた方のビールを喉に流し込む。冷たさと、ピリピリと弾ける炭酸が心地よく、幸村はそれを一気に半分ほど飲み干した。おかしなことが起きてしまい、酔っていなければやっていられないというような投げやりな思いもそこにあった。
「あ、それ俺のでしょ?何してんの、幸村さん」
明るい声がして、クシャっと笑う見慣れた顔が目の前に現れる。
「うるせー。慰謝料だよ。お前、力強すぎ」
少しぎこちない雰囲気はあったものの、2人はいつもの調子を取り戻し、幸村はその場を取り繕うように仕事の愚痴を話し始めた。
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