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幸村朝陽は疲れ切っていた。新卒で入社したソフトウェア開発会社の営業職に就いてから7年目、他部署の同期達はプロジェクトリーダーなどの責任ある役割を任せられているというのに、幸村の元には配下の人間どころか後輩すらいなかった。彼の会社では新卒で営業に配属されることは珍しく、幸村自身も5年ぶりの新卒配属だった。そして、丸6年経った今でも一番下っ端のままだ。
「ユキちゃーん。ビールなくなったぞぉー」
「はーい。他の皆さんも何かいりますか?はい、レモンサワーが……2つね。それから……」
すっかりできあがった課長に声を掛けられ、慌てて席を立って要望を聞いて回り、店員にそれらを注文する。
会社近くの行きつけの居酒屋、誰かの呼び掛けで自然と始まるいつもの飲み会。強制参加ではない、というのは家庭を持つ人間に対して掛けられた言葉で、独身・彼女なし・最年少の幸村に拒否権はなかった。
「失礼します。恐れ入りますが、ラストオーダーのお時間ですが……」
仕事の愚痴で盛り上がる集団に対して、店員が面倒臭そうに声を掛ける。この個室の終了時間が迫っているらしい。しかし、店員のこの言葉は、幸村にとって終わりではなく始まりを告げるものだった。
「おい、ユキ、2軒目どこだー?」
「……焼き鳥ですかね。ちょっと金払って電話してきます」
今日も夜は長い。その場で徴収した代金と伝票を持って席を立つと、レジで会計を済ませて1人店の外に出た。
生暖かい夜の風が吹く。第2四半期が始まり、この街もようやく夏本番を迎えようとしている。オフィスビルと飲食店ばかりが立ち並ぶこの街は、決算の存在がなければ季節すらも忘れてしまうほど情緒のない場所だった。
仕事にはやりがいを感じているし、上司も先輩も気さくで頼りがいがある。飲み会は多いけれど、酒は好きだし話をするのも楽しい。しかし、幸村朝陽は疲れ切っていた。男性ばかりのバイタリティ溢れる部署で下っ端としてこき使われることに、酔っ払った課長の愛溢れるお説教を聞くことに、先輩たちのノロケのような家庭の愚痴に付き合うことに。
「はぁー……癒しが欲しい。猫飼いたい」
無機質な電話の呼び出し音を聞きながら、抱いたことのない毛玉のような生き物に思いを馳せる。
――きっと、ふわふわで、あったかくて、俺のことを誰よりも必要としてくれるんだろうなぁ。
しかし、そんな甘い想像はガチャッという耳障りな音に搔き消された。
「はい、お電話ありがとうございます――」
「すみません、今から7人で伺いたいのですが――」
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