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斎藤さん
令和元年(西暦2019年)9月9日。
日本の小都市、大沼市。大沼市郷土博物館。
鉄筋2階建て、築30年。博物館としては小さな建物。その応接室。
埃っぽいソファに座った老人、斎藤さんを前に、私はしゃがんで床に置いた段ボールから、雛人形を一つ一つテーブルに出していた。
「ええと。田宮さん?でしたよね。パートの方ですか?」
博物館に勤める職員はみな基本スーツだけれど、私はジーパンにTシャツの私服。そこに、博物館の名前の入ったエプロンをしている。私はこの博物館に火曜日から金曜日まで、週4の非常勤の収蔵係として勤めているのだった。
「はい。すいません、私で。館長、じき戻ってくると思いますから」
「いいのいいの。よろしくお願いします。どうですか?人形。こちらに引きっとっていただけそうですかね。ダメならゴミになっちゃう」
そう言って、白髪を掻きながら斎藤さんは笑う。
本当なら館長が斎藤さんに対応することになっていたのだけれど「ちょっと代わりにお願い」と雛人形の事を私に託し、収蔵庫に入ってしまったのだ。
「娘がね、生まれた時に買ったんですよ。昭和42年だね」
「と言うと、52年前」
「すごいね。ぱっとすぐ出てくるの。西暦に直さなくてもいいんだ」
「はい。仕事柄ですかね。これ、昭和42年の雛人形なんですか」
「うん。懐かしいね。田宮さんも親御さんに雛人形なんて飾ってもらった?」
「私はなかったです。団地だったし。周りの子も持ってなかったかな」
「時代は変わるもんですね」
「日本の習慣がすたれていくのは残念なんですけどね」
「えらい。流石博物館に勤めてらっしゃるだけある。田宮さん、おいくつ?」
「女性に年齢を聞くなんて」
「あ」
「なんて。大丈夫ですよ。私、31です。平成3年生まれ」
「そうですかあ」
会話が途切れ私は再び、段ボールの中の人形や道具を慎重にテーブルに置き始めた。昭和40年代の雛人形か。
この年代のものなら何度かここに持ち込まれたことがある。日本がベビーブームに入って大量に作られ家庭に飾られたメーカー品。木製ではない、プラスチック製。価値がないわけではないが、これなら収蔵庫にすでに2セットある。保存状態もこれはちょっとひどい。そもそも雛人形のセットが普通のミカン箱二つに収まるわけがないのだ。まるで幼児のがらくたおもちゃ箱。修学旅行の学生の部屋のように折り重なって倒れている人形たち。着物が破れた三人官女の一人。鼓を失った五人囃子の一人。右大臣の首はどこだ。
これじゃ、おそらく館長は受け取らないだろうな。
「ダメかな。やっぱこれ」
「いや。私からはなんとも」
「ははは。無駄な時間を取らせちゃったみたいだ」
そう言って窓の外を見る斎藤さん。窓の外は風に揺れる竹林。
この市はかつて、竹の産業で栄えていたのだと言う。
斎藤さん、ぼそっと話し始める。
「実は雛人形はついでで。今日は竹の話を吉田館長にしに伺いました。田宮さん。竹台で今年の春、竹の花が咲いたのは知ってます?」
「あ。はい。広報で見ました。竹の開花は120年に一度だとか」
大沼市は、大雑把に竹台地区と竹下地区の二つに分かれる。竹台と言うのは、段丘状になっている大沼市の、丘の上の町の事。この博物館のある段丘の下は、竹下と呼ばれている。
「竹台で今年、竹が開花したって言うことは、来年は竹下なんですよ」
「え?」
「来年、竹下の竹が咲きます。ここ、竹下じゃ、今年咲かなかったでしょ、竹の花。来年が開花です」
「ホントですか?」
「ホントです」
「一体どうやってそんなこと」
「それは、もう、我が家で曾祖父から祖父に、祖父から父に、父から私に」
「へえ」
「それでですね」
その時、ばたんとドアが開いて、吉田館長が戻ってきた。
分厚い黒縁眼鏡に、つるつるの頭。その手の中には、ぼろぼろになった縦長の古文書があった。
「斎藤さん、見つかりましたよ、記述。確かにあったようです」
そう言って笑う館長は、古文書専門の学芸員でもあったのだ。
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