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てち
令和2年(西暦2020年)1月24日。
年が明けた。
まだまだ春は先だけど、博物館の庭には気の早い梅の花がちらほら。
食堂の窓の外を眺めていた私は、空になった弁当箱を持って立ち上がった。
前日、竹下の旧家の蔵から出てきた大量の古文書が博物館に寄贈されたのだった。寄贈された古文書はひとまず虫食いやカビのあるなしをチェックし、これらをクリーニングしないとならない。やることいっぱい。
そんなわけで早めに昼御飯を食べ終えると、私は2階の収蔵庫に戻った。あれ?重い扉の鍵が開いてる、誰だろ、と思うと、書棚のそばにしゃがんで震えているつるぴか頭の人影があったのだ。吉田館長だ。
「あの」
館長は初めてこちらに気づいたようで、スマホを手にしたまま、驚いた顔をしている。
「田宮さん。いつから?」
館長の声、少し震えている。
泣いていたんだろうか。これは多分、私が見てはならなかったものだ。
「今、来たところですけど。すいません。後でまた来ます」
「大丈夫、大丈夫。ごめんね」
館長は立ち上がり、スマホを胸ポケットにしまうと、黒縁眼鏡を外してハンカチで涙を拭いた。
「古文書の整理だよね。どうぞ」
「はい。あの、館長、どうされたんですか?」
「あはは。いやね」
私は靴を脱いでスリッパになった。収蔵庫の中は土足厳禁。
館長は一度しまったスマホを出して私に見せた。
スマホの画面は、なんだ、芸能ニュースじゃないか。
「え?なんですか?これ」
「てちが、欅坂46を辞めるんだよ」
「てち?」
「平手友梨奈」
「ああ」
その名前は私でも聞いたことがある。欅坂46と言うアイドルグループの真ん中にいる女の子だ。
「館長、好きなんですか?欅坂」
「言ってなかったっけ」
「聞いてませんけど」
館長、黙ってしまった。もう。
「平手友梨奈、お好きなんですね。残念」
「うん。いっぱいつらいことあったんだ、彼女。そのことを考えてたらさ、つい感極まってね。びっくりさせました。すみません」
「いえ。私は別に」
古文書を読むことにしか楽しみがないと思っていた館長がこんな。人にはこういう面がある。だから面白い。
「それよりさ。田宮さん」
「はい」
「これ」
館長は、机の上から紐で綴じた一冊の古文書を手に取った。これは、昨日搬入された古文書の内の一冊だ。「安永九年 日記」とある。誰のどんな日記なのかは表紙には書いてない。
「このあたりの名主の日記らしいんだけどね、ここ見て」
ここ見て、とページを開かれても、のたくった筆の字は普通の人にはなかなか読めない。古文書を読めるようになるにはそれなりの訓練が必要だ。
「すいません。全然わからない」
「はは。「竹開花せり。宴催し踊るものあり。面白し。百二十年前もかくの如くか」」
「え」
「あったんだよ。前の前も、その前も。120年に一度の祭り」
先日、館長が見つけた古文書は、西暦1900年、明治33年のもの。
これは、安永9年、西暦1780年のものらしい。
そして、その文面を辿ると、その120年前、西暦1660年にも竹の開花を祝って宴が開かれているらしいのだ。
「館長、1660年って言うと」
「万治3年だって」
「これすごいことじゃないですか?120年に一度の祭り、ホントにあった」
「うん」
そう言えば、斎藤さんから館長に話があったお祭りの件はどうなってるんだろう。館長が役所の方に掛け合ってみると言っていた。
「役所では、一年のイベントスケジュールは全部埋まってて、これ以上無理だって。人手もない。何より今年の竹の開花を信じてもらえなかった」
「そうですか」
「でね。僕」
「はい」
「博物館主導でお祭りができないかと今、考えたんだけど」
「わ」
かっこいい。館長。
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