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制服
令和2年(西暦2020年)3月30日。
「田宮さん。なにこのアクリル」
「来たらありました。そこもあそこも」
「わはあ。そっか。コロナ対策。ご飯食べる時はマスク外すからだ。でも、なんかこれ、留置場の面会室みたいだね」
「ですねえ」
博物館の昼休み、休憩室でお弁当を食べていると、受付の非常勤職員、寺本美里さんがやってきたのだった。私たちは、こうしてここでお話しながら昼食を摂ることが多い。寺本さんは私より一つ年下の茶髪の主婦。ここで働き始めたのは私より早いので、何となく敬語で話している。
寺本さんは私の前の透明アクリル板を挟んで座り、コンビニのサンドイッチを袋から出しマスクを外した。
「寺本さん。それ、使い捨てマスクですね。よく買えましたね」
私のは手拭いで作った自家製の布マスクだ。使い捨てのマスクなんて町のどこの薬局にも置いてない。
「ああ。うちはね、旦那のお父さんが朝から並んで買ってる。毎日違うドラッグストア」
「わあ」
「必要な人に迷惑かけてるのは分かってるんだけどね。ため込む性質。オイルショックのトラウマなんだってさ」
ひと月前には軽い懸念でしかなかった事態が私達に影響を及ぼし始めていた。
2月にはコロナの流行が中国から韓国、欧州に広がり、3月に入ってさらにアメリカへ。そして日本にも。県内の公立の小中高校は春休みを前に休校し、少し前には、夏に開かれる東京オリンピックの延期が決定。春のセンバツ高校野球大会も、開幕一週間前に中止が決定されていた。
この博物館だって、今は一般のお客さんを入れていない。私達職員は、それぞれできる作業をソーシャルディスタンスを取りつつ進めていたのだった。
ただそれにしても、私達が住む県については、感染者いまだに数名。この大沼市に至っては感染者はいない。やりすぎじゃないんだろうか。
「あ。そだ。南田さんのこと、聞いた?」
突然話題を変えるのが寺本さんだ。
「なんかあったんですか?」
南田あゆみさんは、27歳の博物館の学芸員。
館長からの要請で寺本さんと私と一緒に結成した荷竹坂46の責任者だ。
「4月に異動だってさ」
「え。どこに?」
「市役所」
「あれま」
「市長室だって。優秀だからね、南田さん」
市長室は激務の部署だと聞く。しかも、石器や遺跡が専門の彼女にとって、全くの畑違いだ。ちと気の毒。
「大変。でも、じゃあ。私たちの踊りには参加できるんでしょうかね」
「無理でしょう。普通に考えて」
「私達二人だけで、サイレントマジョリティーですか」
「それも、コロナの影響で実現するんだかどうだか」
はあ、と寺本さん、ため息を吐く。
「着て踊りたかったな。制服」
「はい?」
「私、こないだ実家から高校の時の制服、送ってもらったんだよ。クリーニングにも出した」
「着て踊るつもりだったんですか?」
「勿論。ああ、諦めきれない」
寺本さんは若く見えるが、それでも30歳だ。
それじゃコスプレだ。いや風俗だ。
因みに私はそんな話はまったく聞いていない。私だってせっかく覚えた踊りは披露したいけど、高校の制服を着ないとならないのなら話は別だ。
寺本さん、サンドイッチを食べ終わると、スマホに目を落としたけれど。
「あああああああ!!」
絶叫。
「どうしました?」
「志村けん、亡くなったって」
「え?嘘。コロナ?」
「うん」
まじか?ありえない。それだけは、ありえない。
「田宮さん。だめだよこりゃ。世の中、だめだこりゃ」
全然、大丈夫じゃなかったんだ、志村けんも世の中も。
「田宮さん。私、今、諦めがついた。荷竹坂46」
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