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開演
なんでセーラー服なんだよ。
なんだよ、これは。
令和2年(西暦2020年)5月9日。土曜日。
16時30分。博物館閉館の30分前。
「田宮さん。よく似合います。素晴らしい。ありがとう」
トイレで高校の制服に着替えてロビーに出てくると、CDラジカセをコンセントにつないでいた吉田館長が立ち上がり、涙声で近づいてきて、私の手を握りそう言ったのだった。
「あの。これはいくらなんでも」
「いえいえ。似合ってる、似合ってる。本当の女子高生のようです。寺本さんの分までがんばってください。あ。手握っちゃった。すいません。消毒してくださいね」
巨大な鯉のぼりが掛かり、鎧兜の五月人形に後ろから見下ろされているロビーの奥に私は立った。6人のマスクをした観客がソーシャルディスタンスを守って座る会場で、たった一人、私は寺本さんから託されたセーラー服を着て、サイレントマジョリティーを踊ることになったのだった。
3月29日夜、ドリフターズの志村けんがコロナで亡くなり、3月30日、そのことが報道された。その後も国内の感染者数、死亡者数はうなぎ上りに増え、遂に、4月7日より一か月間の緊急事態宣言が日本全土に発令されたのだった。学校官公庁のみならず、会社、商店、工場、全てがその対象となり、人々の外出は制限され、この国は一気に静かになった。
博物館もその例にもれず、引き続きお客の入館はお断りし、職員はリモートワークと時差出勤で働いていた。リモートワークのできない収蔵係の私は、時短出勤をして、そのひと月を過ごしていたのだった。
そしてその間に竹下の竹は見事に開花した。斎藤さんの言ったとおりだった。
博物館の隣には広い竹林が広がる。その多くに花がついていた。竹の葉の隙間から広がった薄茶色の、とても花には見えない星雲上の部分。それは竹林一つが一つの株なのだとすれば、彼女の120年という一生の、たった一度の恋にも思え、無性にいじらしく感じた。
コロナ蔓延の状況下、博物館主催の「バンブーフラワーズフェスティバル」については話す人が誰もいなくなっていた。だから、緊急事態宣言が開けた5月7日の朝、出勤してきた私が館長に「明後日ですからよろしく」と言われた時は何のことか全くわからなかった。それは、同じ荷竹坂46の寺本さんも同じだったようだけれど、彼女はうれしさのあまりその晩、家で踊りを練習しまくり、勢い余って滑って倒れ、その際にアキレス腱を切ってしまったのだった。
私は、今日のために館長が敷いてくれた赤い毛氈の上に立ち、改めて自分のセーラー服姿を見下ろした。まさか、寺本さんが用意していたものがセーラー服だとは思わなかった。しかも、スカートが極めて短い。そこから自らを主張して飛び出る私の二本のいわゆる生足。こんなに短いスカートを履いたのは小学生以来だ。多分、回転するところでパンツが見えるだろう。田宮留美、一生の不覚。誰が31歳の既婚女のパンツを見てうれしがるものか。この姿で私は、これから4分以上もたった一人で踊るのだ。
「それじゃ。入り口のドア、少しの間、閉めます」
そう言って、課長が大きな入り口のガラス戸を閉める。お客の入館は相変わらずお断りしていたけれど、換気の為、普段入り口のドアは開いていた。ドアを閉めたのは防音の為。音が外に漏れてしまうのはあまり良いことではない。
観客は一斉に私の方に注意を向けた。観客とは言っても、博物館の職員と斎藤さんの計6人。館長がパイプ椅子を立ち私の隣で挨拶をした。
「本日は仕事に追われる中、集まってくださりありがとうございます。ここにいらっしゃる斎藤さんのおっしゃっていた通り、竹下の竹が今年開花いたしました。120年ぶりです。今、まさに満開。これを祝しまして、120年前、240年前、360年前の先例に習い、宴を催したいと思います。名付けて「バンブーフラワーズフェスティバル」。舞台に立ってくださるのは、この方です。あたたかい拍手を」
私に拍手だ。こっぱずかしい。
私は深々と頭を下げた。
「曲は、サイレントマジョリティー。演ずるは、荷竹坂46の田宮留美さん。よろしくお願いします」
館長がしゃがみ、ラジカセのボタンを押すと流れるサイレントマジョリティー、単音ギターの前奏。
くそ。ままよ。
私は右手を胸に置き、跳びながら前進を始めたのだった。
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