シャトーブリアン

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シャトーブリアン

令和2年(西暦2020年)5月17日。 「これ、なんだ?留美」 「わかんないよ。肉の塊」 「シャトーブリアン、って書いてある」 「シャトーブリアン。なんだろね」 その日曜日のお昼過ぎ、斎藤さんが娘さんを連れて我が家にやってきた。 私が預かっている雛人形をやっぱり引き取りたいと、先日の「バンブーフラワーズフェスティバル」の際、伺っていたのだった。 三人官女に着せる丁度いい着物の生地が見つからず修理が滞っていた私は、少しだけ時間をもらい集中的に人形を直して、先ほど二人にそれを渡したところだったのだ。二人はそのお礼にと、ずっしり重い肉の塊を置いて行った。 「人形が肉に変わりましたか。わらしべ長者みたいだ。留美、尊敬した」 「ふふ。弘和さんに誉められた」 「いいことしたね」 「うん」 雛人形は、斎藤さんより娘さんにとって大事な品物だったらしい。斎藤さんの娘さんは、もうすぐ生まれるお孫さんのために、来年、私が修理した雛人形を飾るそうだ。「なんでも新しいものがいいってわけじゃないですよ」と娘さんは言ってくれた。 ひとセットの雛人形が、斎藤家の世代を伝ったのだ。 「斎藤さん、すごい誉めてたね、こないだのサイレントマジョリティー。好評だったんだ。留美、あの後なんにも言わないからあえて聞かなかった」 「うまくできたみたい。弘和さんのおかげだよ。ありがとう」 先週の土曜日、サイレントマジョリティーを踊り切った私は、ちゃんと記録に残すからね、と館長にその文面を見せてもらったのだ。 <折からのコロナによる集会自粛の為、規模も時間も縮小されたが、竹下地区の120年ぶりの竹の開花を祝う「バンブーフラワーズフェスティバル」が大沼市郷土博物館にて開催された。舞踏大変麗しく、観衆の心を深く動かした> 我ながらこっぱずかしい言われようだけれど、この簡潔な文章を紙とハードディスク、二つの形で収蔵庫に収めると館長に聞いたときは少し誇りに思えた。120年ぶりの竹の開花を祝う今回の宴の主役は、間違いなく私だったのだ。 「私、少し心境が変わったよ」 「ん?何が?」 肉の塊の置いてあるテーブルの前のソファに私たちは並んで座っていた。 「次の竹の開花は120年後。西暦2140年」 「うん。俺たちはこの世にいないだろうね」 「でも、うちのひいおばあちゃんはすごかったんだぜ、ってちょっと言われたいって思った」 「あはは」 弘和さん、肉の塊の表面を包装の上からぴしゃぴしゃ叩いている。 何をしてるんだ。 「な。留美。先週踊った時、セーラー服着たんだって?さっき斎藤さんに聞いて初めて知った」 「・・・はい」 「だから俺に言えなかったんだ、その日の事」 「はい」 「写真ある?動画とか」 「・・・あるよ。どっちもある」 「見せて」 「やだ」 「見せてって」 「やだ」 「見せて」 「もう」 仕方ない。 私は館長に送ってもらった動画を弘和さんに見せた。 弘和さん、スマホの画面をじとっと黙って見てる。 でもその時、私は弘和さんの履くスウェットの股間の変化に気づいてしまったのだ。 「あ!弘和さん!」 弘和さんは黙ったまま立って肉の塊を冷蔵庫にしまうと、あっちとこっちのカーテンを引き、私の横にぴったりくっついて座った。 「留美。濃厚接触は避けねばならないご時世ではありますが」 「男ってホントに」 「ダメ?」 「ダメなんて言ってない」 「ひ孫にすげえばあちゃんがいたって言われたいんだよね」 「はい」 「では」 弘和さんの顔が近い。 私は静かに目を閉じ、彼に体を預けた。 終
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