日本には帰らぬ人

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日本には帰らぬ人

 三咲は、結局そんな手紙をよこしたっきりで、僕にチャンスもくれずにインド国籍を取得した。  それはつまり……  今でも認めたくない。  三咲がインドに渡ったのは、僕のためだったはずだ。  それがどうしてこうなった?  わからない。  捨てられた僕は、大学で悲しみをふりきるように勉学に打ち込み、そつなく卒業、就職して、いわゆる仕事人間になった。  仕事に集中していたかった。  自分のプライベートのことなんて、考えたくなかった。  そのうちに、ふと、高校進学時に告白してきたクラスメートのことを思い出した。  彼女はあの後すぐに別の奴と付き合い始めた。  あの時は三咲がいたから、幸せになってくれて良かったと思ったが、考えてみたら、なんという変わり身の早さだったのか。  三咲もあの手紙以降、自分からはあまり連絡して来なくなった。結婚式の記念写真などという、見たくもない物を送ってきた程度だ。僕は1人で気持ちの整理をした。  あれから十年が経ち、晩婚化が続く日本で、僕も適齢期になった。  なったけどね……。  何かの歌にあった気がする。  すなわち、  女は忘却し、  男は引きずる。  僕は苦笑いした。  三咲は僕とのささやかな恋を覚えているだろうか。  いや、忘れるわけがない。  今のダンナと出会えたのは、  僕のおかげなんだからな!  そこははっきりしていたが、  なぜだろう、大変に虚しいのだった。  この虚しさは、忘れられそうにない。    もうじき三十歳だ。  不惑の歳まで十年ほどしかない。  十年後、僕の顔はちゃんと四十の顔になるだろうか。  先の事なんて、本当にわからないけどな。  僕は肩を回して、今日も会社に向かった。  オフィスラブなんて、そうそう転がっているもんじゃない。期待もなく、ただ仕事をしに行くだけだ。  帰宅時にだけ、ちょっぴりセンチメンタルになる。 『おかえりー。』  いまは他の奴のものになった幻が、僕を待っているような……。電車の窓からの夕景に、そんな儚い夢を見る。光に満ちた時代をずっと特定の相手と過ごした、という幸せによる後遺症は、なかなか癒えるもんじゃない。 「そんなもんさ。」  誰に言われたわけでもなく、成り行きで口癖のようになった言葉を、僕はまた呟いた。                    終
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