桃色星

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 私が次に訪れた星も、変わった星だった。何せこの辺鄙(へんぴ)で、不便な三千万㎢ほどの小さな惑星に、娘がたった一人で暮らしていると言うのだから。しかも、成層圏に入った途端に、結構な気流の嵐に見舞われて、冷や冷やしながらの宇宙船(ふね)の運転になるおまけ付きだ。  一般的に見れば、この規模の惑星に一人暮らしなら、とても裕福な人物が人生を謳歌(おうか)しているだとか、富豪とか王族クラスの人物の避暑地(ひしょち)とか、リゾート地として利用する広さだ。  しかし、この惑星では、そうはいかないのだ。その理由の一つとして、人が生きていく上で、欠かせない酸素の濃度だ。この惑星は、酸素の割合が十パーセントほどと、常人であれば、酸素マスクが必須な値で、人間が暮らすには向いていない。  そして、この小さな惑星は、雨が全く降らないのだ。正確には、この惑星には、水分が殆ど存在しておらず、惑星全体が乾燥しきっている。海もなければ、川もない。惑星全体が、乾いた砂と岩石で覆われていて、これでは(ろく)に作物も育たない。(ゆえ)にこの惑星では、とても避暑も出来ないし、リゾートなんてもっての(ほか)なのだ。  当然、空港なんてものは存在しなので、私はこの惑星での目的地で、唯一の建造物に影響がないように、数キロメートルほど離れた所に着陸した。そして、しっかりとバリア型の生命維持装置を付けて、この惑星に降り立った。  ポツンと見える小さな平家建ての家。隣には、家の数倍の大きさの納屋が見える。私は、その家を目指して歩き始めた。やはり砂と岩石だけが存在しているだけで、所々に何かの稲のような植物が枯れて残っているが、実は付いていないし、完全に枯れてしまっていて、触るとボロボロに崩れてしまった。  私は、何だか切ない気持ちになってしまった。『生命維持装置を付けていなければ、呼吸もままならない、こんな過酷な惑星に娘が一人で住んでいるなんて…』と想像してしまったからだ。この境遇を自分に置き換えると、『とても自分では、無理だ…』と勝手にブルーな気持ちになってしまったのだが、それでも私は、その家へと歩みを進めた。  その家に近づくにつれて、ガシャンガシャンと大きな機械の作動音が聞こえてきた。どうやら納屋の中で、何かの作業が行われているようだ。私は、空いていた吊り戸から、そっと納屋の所の中を覗き込んだ。中では一人の華奢(きゃしゃ)な娘が、(せわ)しなく働いていた。  何やら、山のように積まれた、ゆるい三日月型の十四、五センチくらいの大きさの褐色の実を、大きな()(すく)っては、せっせと機械に放り込んでいた。私がその様子を仰視(ぎょうし)していると、娘が私に気が付いた。私は、咄嗟(とっさ)に問いかけた。 「不思議な穀物ですね」  娘は嬉しそうにニコッと微笑んで言った。 「これは“チコン”と言って、この星の固有種で、この星でもしっかり育ってくれる唯一の穀物なんです」 「へぇー。今は何を?」 「種蒔きの準備です。まだ、予定まで終わっていなくて…」 「良かったら、私にも手伝わせてもらえますか?」 「え、良いんですか…?」 「ええ。私は、貴女(あなた)に会いにこの星に来たので」 「では、是非…!」  彼女は、嬉しそうに私の申し入れを受け入れてくれた。もちろん、私は取材を兼ねて詳しい話し聞きたかったからの申し入れだ。そして、私は思惑通り、この仕事を体験しながら、彼女から色々な話を聞く事に成功したのだ。 「へぇー。じゃあ、この星を相続(そうぞく)しちゃったんですか」 「はい。今でも、たまに後悔する事もあるんですが…」 「んー、お世辞にも良い星とは言えないですからね…。この星の環境での自給自足だと、今時、全宇宙(どこ)に行っも、かなり低い水準ですよ」  彼女は、少し複雑そうな顔をして言った。 「私の母もお婆ちゃんも、私の家系が代々続けて来た、歴史のあるライフスタイルです。  古文書によると、昔はもっと多くの人々が、この星で生活していたそうですが、近隣の星が発展するにつれて、私の家系だけが残ったそうです。この伝統と歴史を、私の代で途切れさせるのは嫌で…。その思いだけで未だにこの生活を続けているんですよ」  複雑な想いがした。でも、私はとても貴重な体験ができたのだ。普段は話を聞くことばかりで、実際にその惑星の文化や仕事を体験する事何て滅多にないのだから。私は彼女から話を聞きながらも、年季の入った機械へ、意外なほどに軽くフワフワした、このチコンの実を放り込んでいった。  十四時過ぎに、何とか作業は終わった。 「ありがとうございます!今年は、もう間に合わないかと思っていたんですよ!」 「いえいえ。私の方こそ、貴重な体験でした」 「お陰で予定よりも早く終わったので、お茶をどうぞ」 「では、お言葉に甘えて…」  私はこの後も、このチコンという穀物のお茶を頂きながら、貴重な話を聞く事が出来た。濃い茶色のそのお茶は、独特の苦味と渋味と風味をしていて、お世辞にも美味しいとは言えなかったのだが、このお茶もこの惑星の貴重な産物なのだと思うと感慨深かった。  そして、話を聞くうちに、このチコンと言う穀物は、この小さな惑星では欠かせない唯一の穀物(もの)だという事が、彼女の話から、ひしひしと伝わって来て、彼女の想いや、この惑星の歴史、伝統に対する尊敬と敬意、覚悟を知る事が出来て、とても有意義な時間を過ごす事ができた。  そして、来たる十七時三十八分。今年も満を持して、彼女の来シーズンが始まろうとしていた。彼女は、私が見守る中、次々に機械の駆動系統(くどうけいとう)のクラッチを繋いでいった。それに連動して、無数のバルブが開き、圧縮されていた、あのチコンの実が、轟音と共に次々と空へと打ち上げられていった。  適切に熟成管理されたチコンの実は、地上約十キロメートルの上空で、地上との寒暖差と、強烈で複雑な気流によって、次々と弾けていった。弾けた実殻の中からは、二枚のピンク色の種羽を(そな)えた五ミリ程の種子が飛び出し、一年で最も速く複雑になった気流に乗って空中に広がっていく。空は、瞬く間に鮮やかなピンク色に染まっていった。 「うわー!すごい…!」 「やりました!今年も成功です!これは私のご先祖が開発しと言われている種蒔(たねま)きの方法です。気流によって種子を星全体に蒔くのです。気流は毎年この日のこの時間が、最も強く、そして満遍(まんべん)なく星全体を駆け巡りますから、それを利用しています。  この機を逃す訳にはいかないので、残りも、どんどん蒔いていきます!」  この後、彼女は一時間ほどかけて今年の種蒔きをやり遂げた。この惑星独特の気流によって運ばれた種子は、一時間ほどで、この小さな惑星の空全域を淡いピンク色に染め上げていた。私は、その光景に、ただただ圧倒されるだけであった。  一時間ほど吹き荒れた気流は、その後、何事もなかった様にピタリと止んだ。空を舞っていた種子は、次第に地上に落ちてきて、次は地表一面を、まるでピンクの絨毯(じゅうたん)を敷き詰めた様な光景に変えてしまった。あの無機質な茶色の大地の豹変(ひょうへん)ぶりに私は、また呆気に取られてしまった。 「そろそろですよ」  彼女が時計を見ながらそう(つぶや)くと、この美しいピンクの絨毯はサッと色がさめて、消えてしまった。 「え、一体何が…」  三度(みたび)の突然の変容に、理解が追い付いていない私に彼女が続けて言った。 「このピンクの種羽は、種を遠くに運ぶ役割と、養分の二つ役割を(にな)っているんです。今、役割を終えた羽は、直ぐにこの過酷な星で、種子を発芽させる為の養分になってしまったんです。  あの美しい光景は、この過酷な星で生きて行く為に、このチコンが編み出した戦略を人間(わたしたち)が利用した結果の副産物なんですよ」  私は、しばらくの間、また茶色の世界に戻ってしまったこの大地を眺めていた。先程までの光景が、まるで嘘だったのではないかと自問自答しながら…。終
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