無距離恋愛

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ナオミ  今日は病院に行った帰り道の公園で、とても綺麗な花を見つけました。これは絶対にケンジ君にも見せてあげたいと思ったので写真に撮っておきました!カメラ越しだとあんまり伝わらないかもしれないけど、ぜひ見てください!  病院で聞いたお医者さんの話では、やっぱり治すには勇気が必要ということでした。けど私は、もう治らなくてもいいかななんて思っています。それでケンジ君と離れ離れになってしまうなら、その方が私は幸せなのです。それも圧倒的に!  あと冷蔵庫にシュークリームを入れておきました!最近出来た専門店みたいで、クリームが甘いんだけどしつこくなくて、シュー生地もザクザクとしてて面白くて、とっても美味しかった!あっという間に二つぺろりと食べちゃった笑    私はノートを閉じると、その交換日記の返事を楽しみに思いながら、ゆっくりと眠りについた。 ケンジ  ナオミ、シュークリームありがとう!確かにめっちゃ美味しかった!これは確かにハマるのもわかる笑 僕もすぐに二個目に手が伸びてしまいました笑  お花の写真も、とても綺麗だった。鮮やかな青い花びらと、その上の黒い点々模様が美しいというか、あとその下のグネグネとした茎が個人的には好きだったかな。なんか生命力にあふれてる感じがして!  だから部屋出てさ、一人でその公園行ってみたんだ笑 夜の散歩ってさ、空気が冷たくて気持ちが良いんだ。深呼吸すると冷たい空気が一直線に肺の中に入ってくる。いつか二人で散歩してみたかったりなんて、夢みたいなことまで思った。  昼のその花も綺麗だと思ったけど、夜の闇の中で街頭に照らされてるその花も中々綺麗だったよ。写真もちゃんと取っておきました。  あと治すかどうかについては、やっぱりちゃんと話し合わないとかもしれないな。僕といつまでも一緒に居られるのが幸せだと思ってくれているのは嬉しいし、僕だって同じ気持ちだ。けどナオミのこれからのこととか考えたら、やっぱり治すのが一番な気もするんだ。  私は目覚め、机の上に置かれたノートを開いた。それを読みながらスマートフォンを開いて、ケンジ君が撮った写真も眺める。そして私はペンを取り、また書き始める。 ナオミ  ケンジ君、シュークリーム気に入ってくれたみたいで良かった!また今度買っておきます。  お花の写真も見ました!綺麗だった!なんか同じ花でも、違う顔を二つ持ってる気がして、なんかより一層この花が好きになった気がします。親近感?っていうか。あと私もいつかケンジ君と散歩したいです。  病気については、やっぱりまだ治したくはないなって思います。今の私にとって、ケンジ君と離れてしまうことが何よりもつらいのです。私の幸せの全てが、奪われてしまう気がして。  今のところなんとか働けていたりもするし、このことが職場の人にバレているということも一切無いわけだし、私はこのままで、いつまでもいたい。わがままなのでしょうか私は。 ケンジ  僕だってナオミのことは好きだし、これ以上無いくらいに愛している。嘘偽りなく、こうして起きている間はいつだって君のことを考えている。  僕も勿論この形は幸せなんだ。いつまでも君と一緒に居たいし、こうして日記を交わすだけでも十分なんじゃないかって思う。文字には君の痕跡が写っているし、僕は君の顔を見ることだって出来るから。  けど問題は君のこれからなんだよ。君はまだ若いわけだし、そのうち結婚だってしなきゃいけないだろう。僕は君の幸せを考えるなら、君が普通の幸せを手に入れることを考えるなら、僕は君の元から消えるべきだと思うし、それが一番だと思う。確かにそれは苦しいかもしれないけれど、僕は君のことを、君の幸せをまず第一に考えたいんだ。だから僕は君にとって、邪魔な存在なのではないかと、時々そう思ってしまうんだ。   ナオミ  私もケンジ君のことを愛しています。私にはあなたしか考えられない。  だから他の人と結婚するなんてあり得ない。私はこうしてケンジ君と日記を交換していることが、何よりも代えがたい幸せなんです。それ以外の幸せなんていりません。お願いだから私の元から消えてしまうなんて言わないで。邪魔なんかじゃない。私にとってあなたが全てなんです。 ケンジ  ダメだ、ダメなんだよ。きっとこんな形は間違っている。お願いだから僕になんて縛られないでいてほしい。僕がいなくなったとしたって、ナオミはちゃんと幸せになれる。今よりももっと。だからもう一度考えて見てくれ。君にとって何が一番の選択なのか。   ケンジ  何日か返事が無いようだからまた僕がこうして書く。  ナオミ、きちんと悩んでくれているようなら嬉しい。僕は何度だって言うけど、僕といつまでも居ることは最善の策なんかじゃない。僕はナオミのことを愛している。それは絶対に変わらない。だけど君のことを思えば、僕は消えるべきなのだと思う。 ケンジ  もしまだ悩んでいるのだとしたら気にする必要なんて無い。君のためなら僕は喜んで消えるから。  私はケンジ君の書いたそれらの日記を眺めながら、この先報われることは無いであろうこれまでの日々を思った。  私がケンジ君と出会った時期、あの時の私は追い詰められ、何らかの逃げ道が必要だった。そんな逃避の手段として出会ったのがケンジ君であり、私は彼に依存しながらここまでを生きながらえてきたのだと思う。勿論いつまでもこんな歪んだ状態でいることが、良き結末を呼ばないことは分かっていた。ケンジ君の言うことも理解できるし、彼が私のことを本当に愛し、大切にしてくれているからこそ、自分が消えるという決断をしてくれたのも分かる。だけど私には選ぶことが出来なかった。停滞し、立ち止まるばかりで、その苦しみを受け入れる勇気など持てそうになかった。  お医者さんは、少し治療の方法を変えてみましょうと言った。本格的な治癒を目指すかどうか、現時点で決めあぐねているのであればそれはそれで問題無い、それは自分でゆっくりと時間をかけて考えてみて、それから最終的な決断をすれば良いのだからと。だから今はその決断のために悩むことを助ける役割としての治療を。毎週何回か来てもらって、その度に精神を限りなくリラックスさせる治療だけ行いましょうと。  それからそのクリニックを訪れると、その度にお医者さんは私をベッドの上に寝かせ、目を閉じさせ、ゆっくりと質問のようなものを私に繰り返すのだった。あなたの名前は?どこで生まれましたか?それはどんなところでした?  そんな質問を受けながら私は、ゆっくりと自分の意識が沈んでいく感覚を覚えた。気づけば私は無意識のうちにそれに答え続けている。自分の意識の奥底が揉み解され、淀み、目を背けていた沈殿物がゆらりゆらりと浮かび上がっていくような気がした。  その治療を繰り返すたびに、私は確かに精神的な落ち着きを手に入れている気がした。ゆっくりと考えることが出来ていたが、それでもまだケンジ君に対する答えは出ずにいた。ケンジ君も私も、日記を書くことはもう無かった。   ケンジ  久しぶり。僕がこうしてこの日記に文字を記せるのも、きっとこれが最後だと思う。  突然こんなことを言ってすまない。けどこれも君のためであることを、きっと分かってほしい。  君が日記を返してくれなくなってから、僕は君がいつもお世話になっている先生の所を訪ねた。突然の来訪に先生は少しびっくりしていたけど、僕が夜の間しか起きていられないことは先生も知っていたから、すんなりと本題に入ることが出来た。  勿論話は、ナオミの中に出来てしまったもう一つの人格の、僕をどうするかという内容だ。僕はやっぱりいくら考えても、君のためには僕という人格が消えるべきだと思っていたし、二重人格に関しては権威であるという先生も、その方針には強く納得してくれた。けど流石の先生でも、二重人格の人格同士で恋人になってしまったなんてケースは初めてであったらしい。僕達の人格は君の体の中ではっきりと分断されていて直接意思疎通を取ることは出来ないから、交換日記を使ってやり取りをしていることを話してあげると、先生は興味深そうに頷いていたよ。  そして先生と僕は、君に内緒で、僕の人格を消すための治療を進めることを決めたんだ。  今でも僕は先生と夜に電話をするんだけど、どうやら治療は順調に進んでいるらしいね。確かに今の僕が随分と薄まってしまっているのが、自分でもよく分かるよ。だからきっと今晩を最後に、僕はいなくなるのだと思う。  また同じことを言ってしまうけど、僕は君を愛している。誰よりもずっと。それはいつまでも、未来永劫この先もずっと変わらない。約束できる。消えてしまった後もずっとだ。君は僕が現れたことで自分が救われたと考えているらしいけど、きっとそれは反対にも言えて、君のおかげで僕は本当に幸せだった。ありがとう。  先生が言うには二重人格の治療というのは、正確には余分な人格の消滅では無いらしいんだ。僕はこれから綻んで消えていってしまうけれど、その欠片の一つ一つは君の心のどこかに、吸収されて君の一部になれるらしい。だから僕は消えてしまったとしても、いつだって君のそばにいて、君を見守っていようと思う。  最後にもう一度だけ言わせてほしい。  短い間だったにせよ、僕は君のおかげで幸福だった。今までありがとう。僕は君を愛している。これからもずっと。  私はそのページを読み終えると、震える手を懸命に動かしながら、日記帳を胸に抱いて目を閉じた。傍らに置いたスマートフォンの中には彼が撮ってくれたいくつもの写真が眠っている。それに私の中にだって、彼のいた跡や彼自身は形を変えて、私として残ってくれている。私は痛みでしかない痛みを味わいながら、何度もそれを頭の中で繰り返した。ありがとう、ありがとうという言葉も、何度だって繰り返した。私の目の前には、久しぶりの夜が来ていた。
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