『コロッケ』

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 幼稚園に着いた頃にはバス組の子供たちも居て、すでに園内から活気な声が飛んでいた。  通りすがりに「おはようございます」と会釈する保護者の方々に、私も同じように挨拶をする。過ぎ去る保護者に小さな手を大きく振る子供を見て胸が苦しくなる。  離婚を考え出したのは一年前のことだ。  元々程よい距離を保っていた私たち夫婦は結婚や出産につれて次第に離れていき、気づけば程遠い、他人の存在になっていた。  多忙な夫は仕事から帰ってすぐ寝て、朝日が上がり切る前に家を出るので、家族で会話というのもめっきり減っていた。  それに加えて、近くに住んでいることが理由で度々家に訪れる義母との関係もけして良くはない。 「朝海さん。こんなにごちゃごちゃしてたらいざ使おうとした時出来ないじゃない」 「朝海さん。今日は午後から雨が降るって天気予報で言ってたじゃない。私が来たから良かったものの」 「朝海さん。子供にこんな冷凍もののご飯あげて。私たちの時なんか毎日作ってたのよ」  朝海さん、朝海さん。いつしか、名前を呼ばれるたびに背筋が張り詰めるようになっていた。  夫の時間が空いた時に相談しても、「母さんは昔からああだから」と言われた時は呆れてしまった。自分の家にいるのに落ち着かない。  苦しい日々に耐えられなくなった私は離婚を申し出た。  夫は「わかった」とすんなり受け入れたが、親権は自分が持つと言い出した。私は必死に反論したが、夫はさも不思議そうに口を開いた。 「専業主婦で過ごしてきた君が育てるのは無理があるんじゃないかな」  仕事ばかりで家のことはほとんど見ていなかった夫にそんなことを言われる筋合いはない。あなたに愛海の子育てができるとも思わない。  しかし、絶句した口は、そのまま開くことができなかった。  心の中で、社会で生きていく自信がなかった。仕事を辞めて五年はけして短くはない。今から就職活動をして愛海を一人で育てる、それは思い切りでできるほど並大抵のことではない。  出来るだけいつもの顔で、爪が皮膚を貫きそうなほど強く握った拳を隠して、私は愛海の親を諦めた。  無性に悔しかった。我が子と離れなければいけないこと、育てられない自分の弱さ。  愛海のことを一番にと願いながらも、私は自らの不安で娘を手放すことにした。  こんな親は最低だ。  私は自分の最もなりたくなかった卑怯な大人になった。
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