フライパンとゴマ油の火災訓練

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 ここは、山田家のキッチン。     コンロ師匠が、ゆっくりとした口調で、防災についての講義を行なっていた。 「つまりですねー、人間ってのは、すぐ忘れちゃう生き物なんだよね。ねえ、聞いてる? そこの、えーと名前は何だっけ?」 「コンロ師匠! 私の名前はフライパンです!」 「フライパン君、僕の話を聞いてたのかな?」  コンロ師匠の口調は穏やかであったが、炎が青色から、赤色に変化していた。  これは、相当怒ってるな、とフライパンは考えた。 「はい! しっかりと聞いていました!」 「フライパン君。話を聞いていたなら、僕が説明した通りにやってみたまえ」 「え、はあ」 「聞いてたんだよね? 人間が原因で火災が起こりそうなときに、どう対処すべきかってことを」  フライパンは、コンロ師匠の話を全然聞いていなかった。  世帯主の山田一郎は、朝食にフライパンを使って玉子焼きを作っていた。  そのときに、使うゴマ油の量が少なかったので、焦げが付いてしまったのだ。  世帯主の山田一郎は、洗い物が雑だった。  フライパンは、こびりついた焦げが気になってしまい、ボーっとしていた。 「は、はい! 聞いていました!」 「じゃあ、やってみて」  コンロ師匠の火力が、どんどん強くなっていく。 「では、失礼致します」  フライパンは、燃えさかるコンロ師匠の上に載った。 「どう?」 「あ、熱くありません」  フライパンは、熱くてひっくり返りたくなるのを、必死に耐えていた。 「じゃあ次は、ゴマ油君、おいで」 「は、はい。失礼致します」  ゴマ油は、緊張してガタガタ震えながら容器の中から、体を少しずつ、フライパンの上に載せた。  しかし、突然、イタズラ好きのフライパンが変顔をしたため、笑ってしまい、必要以上の量をフライパンの上に載せてしまった。 「あれ? ゴマ油君、太った?」  フライパンの下にいるため、ゴマ油の姿が見えないコンロ師匠は、ゴマ油の失敗に気付いていない。 「は、はい。少し」 「少しどころじゃないでしょう? 前回の火災訓練のときより、何十倍も太ってるみたいだけど」  そのとき、フライパンが小声で、ゴマ油に下らない冗談を言った。  コンロ師匠には、フライパンの声は聞こえていなかった。  山田家で使われるようになってから何十年も経っているので、老齢のため、小さな声が聞き取りにくかったのである。 「てめえ、大事な火災訓練の時に、下らないこと言ってんじゃねえよ。後で、ボコボコにしてやるからな」  とゴマ油は、フライパンに大きな声で言った。  コンロ師匠は、それが自分に向けられた言葉だと勘違いした。 「君、この僕に何て? ボコボコにするって?」 「い、いや。違うんです……」 「言い訳は、いけませんねえ」  コンロ師匠の火力が、最大限になった。  次の瞬間、火柱が立った。 「あー! 余計なことを言った、俺のせいだー!」  とゴマ油が叫ぶ。 「あー! 変顔した俺のせいだー!」  とフライパンが叫ぶ。 「あー! 怒りと火力をコントロールできなかった僕のせいですー!」  とコンロ師匠が叫ぶ。  数分後、「あー! 火を消し忘れた俺のせいだー!」と世帯主の山田一郎が叫んだ。  その日から、コンロ師匠と、山田家のフライパンと、山田家のゴマ油の姿を見たものはいない。       (了)
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