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娘は口を塞がれていた。
後ろ手に縛られた腕を小刻みに動かし、深い雪山を進んでいる。足取りは軽い。猛吹雪をものともせず、樹氷のように瞳は輝いている。肌は地を埋め尽くす雪と違わぬほどに白く、頬にはしずかな生気さえ、満ちている。
娘は進む。荒れ狂う雪山で生き永らえる保証などないものを、自由を得た喜びで、懸命に足を動かす。まとわりつく不安も、構わず進む。
何が起ころうともさっきまでの自分よりはましだと確信しているのだ。
娘は死を希われてここにいる。
人間の妄信が生んだ異常な理により、猿轡を噛まされ、足を砕かれ、手を縛られて、ここにいる。
絶え間ない災厄で村は狂った。
春には獣のものらしき人死にが、夏には降りしきる雨による土砂崩れが。秋にさえ季節外れの鉄砲水が起こり、冬には荒れ狂う吹雪が、次々と人のいのちを奪った。
繰り返される脅威に疲弊し、恐慌にかられた村人は混乱の末、居もしない神への生贄として娘を過酷な冬山に放り投げることにしたのだ。
「捧げるのは若い娘だ。十五の娘なんて、ちょうど良い」
何を根拠にそう思ったのか、誰かのでっち上げに過ぎない迷信に乗せられ、愚かな村人たちは自らを正義と信じ、泣き叫ぶ娘を殴った。
娘を守る人はいない。とうの昔に家族は失った。
父は既に死んでいる。
母は私だ。
コハル。私の愛するコハル。
かわいそうな私の娘。
父が死に、母が消え、まだほんの子どもだったあの子は五年もの長きをひとりで生き抜いてきたのだ。
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