ブックマークを外さないで

4/5
前へ
/5ページ
次へ
 知られたくなかった。  なぜかこの人には、私の恥ずかしい部分を見られたくなかった。    思わず背を丸めてしまう。  でも、それも時間の問題だと、自分に言い聞かせて…… 「……はい、そうです」 「そうか」  言葉少なく呟くだけ。  私は、今でさえだいぶ平静を保てるようになっていた。  さんざん泣いて、恨んで、怒って。  それを繰り返して、今ではもう、どうでもいい他人の昔話みたいな感覚。 「君みたいな人を振るなんて、そいつも見る目がなかったな」 「……」  むしろ私が、あいつのことを振ったのだと思いたい。  人を自分の栞としか思わないような、あんなやつに…… 「あのさ、あそことの取引、打ち切ってもいいか」 「え?」  意外な言葉に、声が裏返る。  しばらく間をおいて、話しにくそうにしていた課長は、私の顔を見ることなく、ゆっくりと口を開く。 「あそこ、効率悪いんだよ。もっといいところ探せばいくらでもあるんだよ。態度も悪いしさ」 「なぜ、そのようなことを私に?」 「いや、なんて言うか、取引先の男性と付き合ってる……からさ。その、君の面子というか」 「別に……どうぞ好きにしてください。私には、あの人もあの会社も何にも関係ありませんので」  そんなことを気にしてたなんて……  私のことなんかよりも、会社の利益のことを考えればいいものを。  取引を打ち切れば、私があいつに何かされるとでも?  二人の仲が悪化するとでも? 私がこの会社を快く思わなくなるとでも?  組織より私個人を意識するなんて、課長として、失格ね。 「そうか……」  申し訳なさそうにそう言って、無理やりの笑顔を見せる。  でも……   この人はそういう人だ。  いつも後輩や部下のことを大切にし、そしてすべて把握し理解しようと努めていた。  趣味も、好みも、行動も、性格も、生年月日も、出身地も…… 全て調べ上げて、記憶していたのだった。 「課長。これ、仕事上の会話でしょうか?」 「……いや、個人的な話かな」  続けて言う。 「業務上の内容だったら、こんな所には来ないよ」  と、今度は無邪気に笑って見せる。 「暖かいオフィスの、居心地の良い椅子にふんぞり返って、君を目の前まで呼び寄せればいいだけなんだからな」 「じゃあ、何の用事なんでしょうか? わざわざこのような場所まで?」 「まあ、その、なんだ。あれだよ。その……」 「はい?」 「まあ、いろいろあるだろうが、元気だしな! って話だよ」 仕事の時とは打って変わって、ばつが悪そうな顔で、意外な言葉を口から出してきた。 「もしかして、励ましてくれているんでしょうか?」 「……それ以上の話、なんだけどな」 それ以上? 励ます以上の事とは? 「俺はまあ、その、自分で言うのもなんだが、仕事はできる方だと思うんだよ」 「はい。そうだと思います」 「だけど、それ以外の事は、なんというのか、さっぱりでさ」 「……そのようですね」 お互い余計なことを口走ってしまったようで、無言の気まずい空気が辺りを支配する。 そしてそれを先に破ったのは課長の方だった。 「ああ、そうだ! これ拾ったんだ。返すよ」
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加