ブックマークを外さないで

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 課長は急に何かを思い出し、ポケットに手を入れ、あるものを取り出す。  それは…… 「しおり?」   無くなったかと思った私の栞を、どこかで拾ってくれていたようだった。 「これ、大切なものなんだろ?」  そう言って栞を差し出す。    しかし、手に握られた栞は、強く握りしめられていたことで折り曲がり、しかも走ったのだろうか、緊張でもしていたのだろうか? 汗で湿っていた。 「あっ、すまん。つい力んで、クシャクシャにしてしまって……」 「……よく分かりましたね」 「え?」 「これが私のだと、よくご存じで……」  なんの変哲もない、長方形の、ピンク色の、長細い、栞。  どこで落としたのかは分からない。  その栞が、なぜ私の物だと……   「いや、だってお前さ、新入社員として入って来た時から、その本、持ってたじゃないか」 「……」 「それにずっと挟んでいただろ?」 「……」 「いつも持ち歩いてんだから、さぞかし大事なもんだろうってさ」 「……」  そんなところまで、見ていてくれたんだ……    課長らしいといえば、課長らしい……  もしかしたら……  この人なら、私を一人の人間として見てくれる?  たんなる栞としてではなく、小説としてちゃんと読んでくれる? 「……栞は、もういらないです」 「いらない?」   「はい、もうこの本は読まないんで」 「そう、なのか?」  私は開いていた本を閉じ、そして差し出す。 「かわりに、これ読んで勉強してください」 「勉強?」 これは私の大事にしてきた、心のよりどころ。 「仕事以外のこと。先ずはこれを読んでいただき、女心を学んでください」 「ははは、分かった。徹夜して明日までに読んでくる」  嫌味なく明るく笑って見せ、素直に本を受け取ってくれる。 「また明日、待ってますので。ここで」  久し振りに感じるこの、宙に浮くような高揚感。  照れくささを隠すかのように、思わず逃げるようにして、課長一人を置いて走り去ってしまう。  課長なら私のことを……  いや、そんなおこがましいことは思わない。    失恋に弱っている私は、課長の優しさのせいで、どうやら思考が変な方へと向かっているようだった。  私の恋愛は小説のようには上手く行かなかった。  でも、  私は、あの人の役に立てれば。  あの人の為なら。  あの人の描く物語の結末をみて見たい。  そしてその為なら……    私は、あの人の、  ブックマークになっても、  いいかも……
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