解禁曜日

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 朝6時、左腕に巻かれた時計型端末機の、いつも通り規則正しくセットされたアラームによって、私は眠りから目を覚ます。  そんなことをされずとも、すでにこの時刻に起床することは体に染み付いてしまっているので、自然と起きてしまう。  同時に妻も、息子、娘たちも部屋から出てくる。部屋といっても、一昔前まで存在していたカプセルホテルといわれるような、人1人が寝られるような空間である。  蜂の巣のような寝室から這い出てきた私たちは、お互い「おはよう」と簡単な挨拶をかわす。  そのままダイニングへと進むなかで、自動でロボットたちが服を着替えさせてくれる。  椅子に座る頃には、すでに外出できる装いとなっている。  テーブルの上には、食事の用意がすでに準備されてある。お椀の中には緑色をしたゼリー状の栄養剤。コップにはクリーム色の栄養ドリンク。皿の上には固形状の栄養スナック。  味は良く分からない。  ただ、腹とエネルギーを満たすという、この時代でいう食事とは、儀式的なものとなっている。この一掴みで人間が生きていく上で必要な、半日の栄養素が全て含まれているという。  私たちは無言でそれを口の中に入れる。数分で食べ終わる作業の後には、特にすることはない。  タブレットで今日1日のスケジュールを確認するだけだが、ほとんど毎日同じ内容なので、必ずしも見る必要もない。  むしろ今日は何か変わった事件でもあるのでは? というちょっとした期待を込めて覗き込むのだが、近年では犯罪も起きなければ事故も大事件もない。一昔前まで騒がれた地震や洪水などの自然災害も、今ではある程度コントロールできるので心配する必要はない。 結局、どこかの国の美しい景色の映像を眺めているだけで、まもなく出勤する時間となる。  この時代、通勤ラッシュなどは存在しない。車内が満員となり入りきれず、外に溢れかえるような光景は、もう数年間目にしたことがない。慌てずのんびり出ても、確実に席に座れる。 全て中央の管理コンピューターが、適切に運営してくれるからだ。  私たちの暮らす集合住宅の前の通りに、バスが停まるのでそれに乗る。 どのバスに乗るかは、すでに決められている。 今週の私の乗車時間は、7時15分のバスだ。  左腕に巻いた端末が全てを案内してくれる。  残りの時間、出発から会社への到着時間、座るべき座席など全てを案内してくれる。  今週の妻の乗車時刻は7時30分。  学校へと向かう息子と娘は、それぞれ30分と35分のバス。 どうやら今週は、私が一番先に家を出るようだ。  「いってきます」と軽く挨拶をし、家を出る。 同じバスに乗車する予定の人たちも、パラパラと通りのバス停へと集まっていく。  1秒の狂いもなく時刻通りにやって来たバスに、私たちは回収されていく。  運転手はいない。自動運転だ。 交通網は、全て中央管理システムが運営する。そのため、交通事故も遅延なども存在しない。  座る席もあらかじめ決められている。  それは全ての国民に、だ。平等に。公平に。  どの席に座るかは、左手の端末が教えてくれる。今日は後ろから2列目の進行方向右側の窓側だ。  車内は無言。話す必要もなければ、話す内容もない。  何も考える必要はない。そのまま、ゆっくりと座っていれば、自動的に目的地へとたどり着くのだ。  8時にはオフィス前にバスが停まり、そのまま出社。  職場の人間と軽く挨拶を交わし、私は自分のデスクへと向かう。  基本的に仕事内容は、パソコンのディスプレイを眺めるだけの仕事。  システムに異常がないか、チェックをするだけの仕事だ。  仕事の合間合間には、必ず休憩が存在する。  そこでは必ず休憩しなくてはならない。  左手にはめた端末機が体調を管理し、例えば水分補給が必要と警報の点滅がなれば水分を取らなくてはならない。それを無視すると次第に音が大きくなり、周りに迷惑がかかる。さらに無視し続ければ、健康管理ロボットに強制的に連れ出され、非常に恥ずかしい思いをすることになる。  ときには血流の促進が必要と判断されれば、散歩をするように指示され、 眼精疲労が認められれば、仮眠を促される。風邪の初期症状がみられれば、薬と栄養剤が処方される。  我々は、それに従う。  それが合理的で、この社会では正しいことである。  当然である。自分の健康を管理してくれているのだから。  おかげで私は50歳を越えたこの年になっても、病気一つなく健康でいられている。  12時には昼食。  その日の必要な栄養分が計測され、それに応じたサプリメントが提供される。  17時になると退社となる。  出社の時と同様、決められたバスが会社の前までやって来て、それに乗り席に座っているだけで家の前までたどり着く。  この一日の流れを、平日の5回繰り返す。  土曜日は生涯学習の日とされている。  読書や映画鑑賞、スポーツなどに勤しむ。  これも全てスケジュールで管理されている。  いつ、誰が、何をするのか半年先の予定まで組まれている。  ちなみに今月の私の土曜日の予定は、物を作る喜びと大切さを理解するための木工作業。椅子を工作することとなっている。道具や資材は、全て家に運ばれてくる。こちらが特に用意するものはない。しかし製作したものは使用されることなく、またどこかへと運ばれてしまう。  日曜日は家族と過ごす時間。  これもすでに決められている。  次の日曜日は家族で美術館の観賞となっていたはずだ。  予約やチケットを取る必要もない。  そこへ行くために渋滞に巻き込まれることもない。  迎えの自動乗用車がやって来て、それに乗り込むだけ。  どこを観光するかは全て管理センターに任されている  実に簡単で便利だ。何も考えることのない。心配や不安の無い社会。  煩わしい人間関係や、些細な気遣い、頭を悩ます揉め事などからは、解放された。  全ての国民が効率よく時間を配分されて、管理されスケジュール化されている。  ついにこの国は、平和で幸福な理想の社会を実現することが出来たのだ。  そして今日も時刻が17時になると、一日の業務が終了する。  残業もなければ、休日出勤もない。  時間通り17時には、規則正しく席を立ちあがる社員たち。  私も例外なく退社をする。  私の乗車するバスは17時30分のバスなので、しばらくこの場にとどまる。  帰りも全員バスでの帰宅。  帰宅ラッシュなどは存在しない。  途中で寄り道などもない。必要がないからだ。  家に帰れば家族が待っている。  食事は一ヶ月ごとに献立が決まっている。  家事をする必要もない。  今日の夕飯は何を作るのかで、無駄に悩む必要もない。  料理のための買い物に行く必要もない。  1円単位で商品の価格とにらめっこし、家計簿を気にする必要もない。  衣食住と誰もが貧富の差なく平等で、何不自由なく平和に生きていける。    家に帰ればやることは決まっている。  確か今日は、私が先に入浴する番だったはずだ。  入浴時間も決まっている。基本一人15分。  入浴といっても、浴室のベッドに寝転ぶだけだ。  後は自動で頭のてっぺんから、つま先まで、自動車の洗車の要領でロボットが勝手に洗って、湯船に浸けてくれる。  家族全員の入浴が終われば食事だ。  食事の時間は15分。  今日は確か……  牛肉味のゼリーに、野菜ジュース。炭水化物の固形スナック。  それが終われば就寝だ。  家族に挨拶をし、カプセルの中に潜り込んで眠りにつく。  カプセルの中は適度な温度調節がされており、体を優しく包み込むクッションにより寝心地も最高だ。  こうして私たちの一日は終わっていく。  また明日、今日と同様のことを繰り返す。  ――――そして今日も、まもなく17時になる。
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