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「えーっとね、何から話したらいいか…。あ、そうだ。これ、見て。」
私がそれをカバンから出したとき、多聞くんは目を丸くした。
「え?通帳?」
そう、それは私名義の通帳だった。
多聞くんは
「中、見ればいいの?」と聞いた。私は頷く。
ページを捲って金額を見た多聞くんはギョッとしたように私の顔を見た。
普段あまり感情を出さない彼には珍しい。
「どういうこと?なんでこんな…」
まぁ、驚くよね。そこには一千万円以上の金額が記してあった。
「遺産なの。母親の。税金払ってもだいぶ残るよね。よくわかんないけど。」
「え?お母さん?亡くなったの?」
「あ、違う違う。凪子の母親は生きてるよ。私の遺伝子上の母親。数ヶ月前に亡くなったの。亡くなってから弁護士って人からもらった。」
「…そうなんだ。」
「うん。でね、そのうちの半分くらいはうちの父親と凪子の母親から受け取った慰謝料らしい。」
「…慰謝料。」
「そう。うちの父親、既婚者なのに別の女性を妊娠させて、母を捨てたの。で、母親は病んじゃったらしくて。とても私を育てることなんてできなくて。父親は私を引き取った上で母と離婚して凪子の母親と再婚したみたい。」
「………」
「母ねぇ、受け取ったお金、一切使わないで私名義にしたらしい。で、退院してから働いて、働いて。病気になって死んじゃったんだ。亡くなる前に私に会いに来てね、私が赤ちゃんの頃の写真、いっぱい見せてくれた。自分が長くないって言って。それでね、保険金の受け取りも私にしてたんだ。」
「そうか。」
「悲しいとか、怒るとか、そういうのとはまた違ってね、なんだろう、足元にあると思ってた階段が、なかったみたいな。急に地面が崩れたみたい。」
「うん。」
「たぶん、父親には母親の死は伝わってるだろうし、私が母親と会って昔のことを聞いたことは認識してると思う。私、最低の方法で伝えたから。」
「どんな?」
「母、自分が死んだら私に渡るように手配して、私が生まれた頃のDVDを送ってきた。凪子が家にいない日に私、それを居間で、両親の前で見た。中身が何なのか予想できていたのに。凄くない?陰険だよね?しかもね、その時に初めて言ったの。高校卒業したら家を出る、って」
「何か言われた?」
「なーんにも。それどころかそれ以来、父親とはほとんど会話してない。実母が亡くなったことを私に告げることもない。」
「何から話せばいいのかわからないのかな」
「それでも!」
思いがけず大きな声が出た。
「それでも!父は私に伝えるべきだった!私が生まれた意味を。」
「真愛…」
初めて多聞くんが私の名前を呼んだ。
「…彼方の言う通り、私にはその名前は似合わない。真実の愛で真愛(まな)。父が付けたのか母が付けたのかは知らない。でもそんな名前を名付けておいた数年後には別の愛を見つけて、私の母は捨てられた。そしてね、」
ポロリ、と涙が落ちるのがわかった。
「新しい母との間の子供には、これからの人生が『凪』でありますように願ったの。」
凪の日が続くことを崩壊させる嵐は私自身の存在なんだろう。
「あの家に『私』はいらない。家族の『真実の愛』を壊すのは私。」
初めて自分の気持ちを他人に打ち明けた時。
私の、女としては大柄な身体は、いつの間にかもっと大きな、名前のように大きな木のような男の腕の中に閉じ込められた。
私の心の声の多くを聞き、ただ慈しむように、包み込むその「木」に私は羽を休める渡り鳥のように止まっていた。
「真愛は優しい。普通ならどんなに暴れても親を詰って、責めても当たり前なのに。『暴露』もわざわざ妹の居ないときにしたんだな。」
「…優しい子はそもそも暴露なんかしないよ」
「それでも。真愛は優しい。誰がなんと言おうと。」
「本当に優しいのは私なんかじゃなく、ただのクラスメートに胸を貸しちゃう多聞くんみたいな人だよ」
恥ずかしかった。
「それは違う。」
多聞くんは私の頭をそっと引き寄せながら静かに言った。
「好きな女だから、真愛は。俺の。」
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