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____「そっか。四十九日終えたんだね」
「はい」
始業前のほんの一時が、今の私にとって人生で一番の癒やしだ。
勤めている、輸入雑貨を取り扱う商社「イチセコーポレーション」。
その守衛さんである仁さんと世間話をするのが心の拠り所となっている。
入社当時、落ち葉拾いを手伝ったことがきっかけで仲良くなった私達。
仁さんは70代とは思えないほどいつも溌剌としているし、何より温かく私の話を傾聴してくれる。
随分前からこの会社を守り続けているそうで、昔は海外の骨董品や絵画などが主な取引商品だったなんて裏話も教えてくれるのだった。
「まだ気持ちの整理つかんでしょう」
控えめにかけてくれた言葉に、静かに頷いた。
私の気持ちに寄り添ってくれるのは、世界中で仁さんだけだ。
最愛の理解者も、この世から居なくなってしまった。
「でも、働ける場所があるだけ幸せです。ここの会社好きですし」
何より仁さんが守っている会社だから。
「嬉しいこと言ってくれるねえ。僕もここ思い入れあるんだよ」
仁さんは缶コーヒーを啜った。
こうして一緒にコーヒーを飲んでくれる人がいなかったら、今頃どうなっていたのかと考えるとゾッとする。
ひらりと銀杏の葉が舞い落ちた。
これからどんどん寒くなる。
夢の中で見る光景のように、冷たくて暗い季節がやってくる。
心細さを振り払うように私もコーヒーを呷った。
「でも、まさかこんなに不幸が重なるなんて思いもしなかったです」
精一杯戯けて見せたつもりだったけど、悲しそうな顔の仁さんを見て猛省する。
冗談でもこんなこと言うもんじゃなかった。
いくら仁さんがなんでも聞いてくれるからって。
「う……」
言った本人が感傷的になって、泣いてしまうなんて。
結婚を約束していた同い年の彼。
大学時代から交際をしていたから、お互いもうなんでも知っていると思っていたし、何をするにも楽しくて居心地が良かった。
これから一緒に住んだらもっと愛が深まるだろうと疑わなかった。
だけどその日、母が交通事故でこの世を去った日、私は彼のマンションで幼なじみと再会した。
彼女とは小学校の時からの親友で、それこそなんでも話せる仲だった。
青春時代のほとんどを彼女と過ごし、共に支え合ってきたのに。
『ごめん。止められなかった』
泣きながら謝る彼女の顔をまともに見れなかった。
まさか彼女に何気なく彼を紹介したあの日が、二人にとって運命の出会いになっていたなんて、愚かな私は知る由もなかったから。
「前ちゃん」
仁さんの優しい声にハッとする。
気づけば、温かい手がそっと私の頭を撫でていた。
「……大丈夫。少しずつでも前に進もう。お母さんも絶対、味方になってくれてるから」
母と同じことを、同じトーンで言う仁さんに涙が止まらず、うんうんと何度も頷いて手で頬を拭った。
「それに、男なんていくらでもいる。……なんなら僕が紹介するよ」
最後の冗談だけ仁さんらしくて、やっと笑うことができた。
今はこの時間さえあれば良い。
少しずつ少しずつ、前を向くために。
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