飛び込んで

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 一瀬専務のことは、面と向かって話す前から苦手意識があった。  いくら優秀で容姿端麗でも、悪い噂が絶えないのも事実。  それは彼の人間性についてだ。  ビジネスの為なら手段を選ばない冷徹さと、人を見て対応を変える姑息さ。  特に女性に対しては、その落差がえげつないらしい。 『お前なんかと』  さっきの言葉に、彼の本性は噂通りなのだと確証を得てしまった。 「ねえ前ちゃん、さっき専務に何言われたの?」  及川さんの質問にドキッとする。 「小さなミスの指摘をいくつか。なんか、私の仕事のできなさが上にも届いてるみたいで。お叱りを」  まさか、お前とは結婚しないと言われたなんて言えない。 「そうなの?前ちゃん、しっかりやってくれてるのに」  励ましてくれつつも安堵の表情を見せるから、やっぱり付き合っているのは本当みたいだ。  及川さんは女神なのに、あんな男と付き合うなんてもったいないと心の中で悪態をついた。  何を勘違いしたのか定かではないけど、とにかく二度と専務とは関わりたくない。  関わらないようにする。  そう決意したばかりなのに、早速出くわしてしまった退勤時。  仁さんに今日のモヤモヤを聞いてもらおうと立ち寄った守衛室に、彼の姿はあった。 「じいさん、いい加減にしてくれよ。ただでさえ守衛なんて勝手な真似してるのに、俺の結婚まで介入するってどういうつもりだ」  じいさん……? 「ここは私の会社だ。慎之介(しんのすけ)はお前の育成に失敗したようだから、もう黙っちゃおれん。お前は前ちゃんから大事なことを学び直す必要がある」  “私の会社”?  前ちゃんって私?    混乱し思考停止状態になった私を、専務は迷惑そうに一瞥した。  私の存在に気づいていたみたいだ。 「お前、どうやってじいさん言いくるめた?気弱そうに見えて随分強かなやつだな」 「な……」  こちらが何もわからず言い返せないのをいいことに、言いたいことを言ってばかりで。  さっきからなんなの。 「じいさんもじいさんだ。会長のくせにこんなくだらないことばっかして。しょうもない女に騙されて。こんなんじゃイチセも終わりだな」  やっぱりこの人、すごく嫌いだ。 「進!」 「仁さんのことじいさんって呼ぶのやめてもらえます!?」  頭の中の何かがプツンと切れて、彼に食ってかかる勢いで近づき睨みつけた。 「はあ?」 「仁さんはじいさんじゃない!まだまだ現役で素敵なおじ様なんだから!」 「前ちゃん……」  涙目の仁さんを庇うように二人の間に分け入り、専務に立ちはだかる。 「そこ?いや、そこじゃねーんだよ今の論点はぁ!」 「うるさい!守衛さんの仕事くだらないとか言うな!ずっと守ってくれてるのに!それに自分の会社簡単に終わりとか言うの不適切!」 「はー!?」  終わりだ。  もうこの会社もクビになる。  ……だけどなんだか、ものすっ……ごいスッキリした。  ここ数ヶ月の悲しみや怒り全てひっくるめて、申し訳ないけどこの人にぶつけている。  八つ当たりも甚だしい。  だけどやっと、自分の言いたいことを誰かに伝えることができた気がした。 「お前となんて結婚しねーよブース!」 「こっちだってお断りだよクソ専務!」  途中から小学生の喧嘩と化した私達を、仁さんは黙って傍観していた。  気づいた時には、とても満足げに微笑んでいる仁さん。 「ほら、相性ぴったり」 「はー!?」 「はー!?」  仁さんは嬉しそうに言った。 「飯でも食いに行こうか。全部説明するから」  ……何故に。
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