願いごとは

1/1
前へ
/1ページ
次へ

願いごとは

「なぁ、今年の初詣もいつもの神社でいいよな? もう高校生になったんだし、新年に変わるタイミングで行こうぜ」  十一月最後の金曜日、祐は弁当の唐揚げを大きな口で頬張りながらそう聞いてきた。 「…………うん」  祐とは幼稚園からの幼馴染だ。家は学区内の端と端で歩くと結構な距離だけれど、よく一緒に遊んでいた。中学生になってからは、祐は部活が忙しくなり、ぼくも塾へ通い出し。小学生の時のように一緒に遊ぶことはなかったが、毎年の初詣は必ず一緒に近所の神社へ行っていたのだ。  そこは、神主さんも普段は違う仕事をしているくらいの小さな神社だ。初詣の屋台だって、甘酒と味こんにゃくを地元の商店のおじさんが出してくれる以外は何もない。おみくじだって、大吉が出たためしがない。  それでも、ぼくたちは小学生の時から毎年そこへ初詣に行くのだ。 「なんだよ、その答え方」  祐は不服そうな顔をして、もぐもぐと口を動かしている。 「だってさ。あそこの神社、一度も初詣のご利益があったためしがない」  ぼくは毎年、同じ事を願う。一度も叶ったことが無い願いを。 「俺は、けっこう叶ってるぞ」  あごをくいっと上げて、得意げに祐が答える。  高校も同じ学校に進学したぼくたちは、クラスは違うけれど、毎日一緒に昼食を食べる。  スポーツ推薦で入学した祐が、ぼくがいる進学クラスの教室に毎日来てくれるのだ。クラスメイトは、スポーツ推薦枠の生徒をどこか見下している節があって、もれなく祐に向ける目もそうだった。最も、ぼくも祐もたいして気にもしていなかったけれど。 「祐の願い事は毎年違うの?」  何となく気になって、ぼくは聞いてみる。 「いいや、同じ。雅紀は?」 「ぼくも、同じ」 「ふうん。お前のことだから、何か神様が困るような事でも願ってるんじゃないのか?」  呆れた声を出す祐に、ぼくは曖昧な笑みを返す。 「困るような事でもないと思うんだけどな」  それでもぼくはきっと、今年も同じ事を願うだろう。 「祐、ごめん。今日は一緒に食べてる暇が無いかも」  いつものように、昼休みの鐘が鳴ってすぐに教室に来てくれた祐に、ぼくはごめんと片手を上げる。 「何かあるのか?」  ぼくは鞄の中から、可愛らしい犬のシールが貼られた封筒を取り出して見せる。 「呼び出し」 「入学してからこれで三回目だ」  封筒を見た祐の顔が、またかと言わんばかりに不貞腐れていく。  特に仲の良い女子がいるわけでもないし、どちらかというと友達も少ない方だ。それでも、優しそうだとか真面目そうだとか、他人はぼくのことをそう評価する。 「行くのか?」 「昼休みが終わっても待ち続けたら可哀想じゃない」  もし、祐が行くなと言ってくれたら行かないのにと、ぼくは毎回少しだけ期待する。 「……何て答えるんだ?」  上目遣いにちらりとぼくを見て、それから視線を窓の外に移し、祐はぼそっと呟く。  いつもそうなのだ。行くなとも言わず、断れとも言わず、ぼくの答えを気にするだけだ。 「わからない」  いつもと違うぼくの答えに、祐は弾かれるようにこちらを見た。  そうだ。神様が願いを叶えてくれないのなら。  自分が行動するしかないのだ。 「断らないのか?」 「だから、わからないって言ってるだろ」  思いがけず強い口調になってしまった自分に驚いた。祐は更に驚いたみたいで、信じられないというように目を見開いている。 「もう約束の時間だから行くね」  わずかに祐の腕が動いた気もしたけれど。ぼくはわざと見ないふりをして教室を出た。      リビングでは、両親と妹が年末の歌番組を見ている。ちょうど妹が好きなアイドルグループが歌っているみたいで、二階の部屋まで聞こえるくらいにキャーキャー騒いでいる。  あと十五分くらいで新年を迎える時間だ。本当なら今頃、祐と一緒に神社へ向かっていたはずなのに。ぼくは今、部屋でひとり参考書を開いている。文字通り開いているだけで、勉強は全く進んでいないのだが。  あの日から、祐は昼休みにぼくの教室へは来なくなった。そのまま冬休みに入ったから、ぼくは祐の顔をしばらく見ていなかった。  これで良かったんだ。だって、毎年の初詣の願いは「祐との今の関係が壊れますように」だったんだから。そうすれば、ぼくは苦しみから解放されると思っていた。  それなのに、ちくちくと胸が痛み続けるのはなぜだろう? 「ちょっと出かけてくる」  リビングに声をかけて、ぼくはコートとマフラーを手に取り急いで玄関を出た。  吐く息で眼鏡が白く曇るのも気にせずに、ぼくは走った。  神様はきっと、ぼくの願い事が嘘だと気付いていたのだろう。だから今まで願いを叶えてくれなかった。  それなのに、なぜ今頃になって叶えてくれたの?  今から神社へ行くというのに、ぼくの頭の中は神様への不信感でいっぱいだ。    初めて夜中に来た神社は、初詣客もまばらで静かだった。松明こそ焚かれているが、商店のおじさんの屋台も無くて、おみくじ売り場には神主さん一人しかいない。  はぁはぁと息を切らしながら、ぼくは、鳥居の前で一礼する。手水の清め方も、祐がいたら雑だとやり直されたかもしれない。数人しか並んでいない列に加わり、ポケットの中を漁る。そこで初めて、財布を忘れたことに気付いた。 「雅樹」  後ろから声をかけられて、自分でも笑っちゃうくらいにびくりと肩が震えた。  会いたくて、離れたくて、聞きたかった声。 「祐……」 「一人?」  声が上手く出なくて、うんと頷く。 「彼女と一緒じゃないのか?」 「え? 彼女って? 何のこと?」  訳がわからなくて祐を見つめる。祐の耳はほんのりと赤く色づいている。祐は子どもの頃から、冬になると毎年寒さで耳が赤くなるのだ。ぼくはいつも、それを見て暖めてあげたいと思っていた。 「あの日告白された子。OKしたんだろ」 「断ったけど」  今度は、祐が訳がわからないという顔をしている。 「だって、どうするかわからないって言ってたから、てっきり――」  列が進んで、ぼくたちの番が来た。ためらいがちにぼくの袖を引っ張る祐の指が震えているのは、寒さのせいだろうか。 「一緒に初詣、するか?」 「財布忘れたから、ぼくはまた後で来るよ。せっかくだから祐は今お参りしたら?」  ぷっと吹き出しながら、祐は百円玉を差し出してくれた。ぼくも笑いながらそれを受け取る。  一緒に鈴を持ち、ガラガラと音を鳴らす。それから同時にお辞儀をして、同時に手を叩いて、同時に手を合わせた。  しばらくして、祐がお辞儀をした。少し遅れてぼくもお辞儀をした。  お参りの列から外れて、ふたりで境内を出る。祐もぼくも無言で前を見たまま、それでも隣に並んで歩いた。 「俺、とうとう雅樹に彼女が出来たんだと思ってた。だから昼も行かないようにしててさ」  ぽつりと零す祐の耳は、相変わらず赤い。 「よく知らない子と付き合うわけがないじゃないか」 「だって、いつもは断るって言うのにわからないなんて言うから」  今なら言える気がした。 「壊したかったんだ」 「何を?」 「祐との関係」  歩みを止めた祐を振り返る。一度願いを叶えてくれた神様なら、きっと今年の新たな願いも叶えてくれるはずだ。 「このまま祐の親友として隣にいるのがつらくて。離れたら楽になるかと思って」 「…………俺のこと、そんなに嫌だったのか?」 「違う、逆だよ」  俯いている祐の赤い耳を隠すように、自分のマフラーを巻いてあげる。この気持ちを言ってしまえば、もう暖めてあげることは出来ないだろう。これがきっと最初で最後だ。 「祐の事が好きすぎておかしくなりそうだった。親友じゃなくて、もっと先へ進みたかった。だから、こんな関係なんて壊れればいいと思ってた」  心臓が破裂しそうなほど苦しい。祐の顔を見る勇気は無くて、自分の足元を眺め続けた。 「ごめん、気持ち悪いよね。友達だと思ってた奴からこんな事言われたら」  いきなり、暖かい腕の中に閉じ込められる。それが祐の腕なんだと理解するまでしばらく時間がかかった。 「良かった」  耳元で聞こえる祐の声はいつもより掠れていて、ぼくの胸がどくりと跳ねる。 「俺の事嫌いになったんじゃなくて良かった。雅樹も俺と同じ気持ちだってわかって良かった」 「…………同じ?」 「うん、同じ。俺も雅樹が好き。友達としてじゃなくて、それ以上に好き」  これは夢なのかな? 初詣に来たのも、祐に偶然会ったのも、祐に気持ちを伝えたのも、祐から告白されているのも――。  ぼくは、コート越しに背中を思いっきりつねった。 「いってぇ!」 「やっぱり夢じゃないんだ」 「……そういう時は自分の事つねってくれよ」  さっきつねった背中に腕を回して、祐の顔を見上げる。こうしてくっついてみると、隣に並んで歩く時よりも背の差が際立つなぁなんてぼんやりと考えながら。  祐はぼくと目が合った瞬間、くしゃっと顔を歪めて笑いかけてきた。嬉しくて嬉しくてたまらない時の笑い方だ。  それから、ぎゅうっとさらに腕に力を込めて、息が出来ない程に強く抱きしめてきた。 「ちょっと。離して、祐。苦しい」 「嫌だ、離さない」 「バスケ部の腕力は侮れないな」  諦めて腕の中で大人しくするぼくに、祐は満足そうに教えてくれた。 「やっぱりあの神社、ご利益あるぞ」  ぼくも同感だ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加