しゃっくり

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「やっぱり健吾くんと付き合ってるんじゃん」  合唱部からの帰り道、齋藤涼子が冷やかすように言った。  涼子とは高1の時に同じクラスだった。2年生にになってクラスが分かれてしまったけど、今でもお昼休みは一緒に過ごしている。 「だから違うってば。あいつが悪ふざけしてるだけで、全然そんなんじゃないし」 「えー、そうなの?」  涼子が疑いの目を向けてくる。  ひどい。友達の言うことが信じられないのか。 「でもさぁ、健吾くんが細見さんにピアノの弾き方教えてる時、澄麗、気が気じゃない感じだったじゃん」 「それは、細見さんのことが心配で」  本当だ。  やたら距離が近かったし。  私たちが音楽室を出る時、健吾はまだ細見さんと話していた。  シスコンの健吾のことだ。庇護欲を掻きたてられたのかもしれない。 「そんなこと言って。健吾くんを取られちゃいそうで心配なんでしょ」  涼子がしつこく絡んでくる。 「違うから。やめてよ、涼子まで」 「おい」  涼子に必死に否定していると、後ろから走ってくる足音とともに声がした。 「置いてくんじゃねえよ。人のこと合唱部に誘っといて」  健吾だった。  最悪。 「細見さんはどうしたの?置いてきたの?」  タイプなんだったら、細見さんと帰ればいいのに。  いっそ、細見さんと付き合ってくれたら、私が変な噂を立てられることもなくなる。 「細見?ああ、千香か。別に、一緒に帰ることもねえだろ」 「ひど。普通置いて帰る?」 「お前に言われたくねえよ」  涼子が肘で私の脇をグイグイと押してきた。  見ると、意味深な笑みを浮かべている。 「何?」 「いーや、何でも?そっかあ、それで最近付き合い悪いんだあ、澄麗は」 「違う、それはーー」 「じゃっ、邪魔しちゃ悪いし、先行くね。バイバイ」  涼子は勘違いしたまま、私に手を振って、駐輪場の方に走っていってしまった。 「お前、最近付き合い悪いのかよ?もしかして俺のせい?」  健吾がニヤつきながら訊いてくる。  こいつにだけは誤解されたくない。 「違うから。陽介がーー」  慌てて理由を説明しようとしたら、 「分かってるよ、そんな必死に否定しなくても」 と、遮られた。  顔から笑みが消えて、どうでもよさそうな表情になっている。 「陽介を義信さんと二人にしたくなくて、遊びに誘われても断ってんだろ」  ……その通りだけど。 「何で、何であんたがそんなこと知ってんの?」  義信さんは、ゲイかどうか以前に、いくらお母さんが連れてきた人だとはいえ、私たちにとっては得体の知れない男なわけで。陽介が義信さんと二人きりになってしまわないように、私は最近まっすぐ家に帰るようにしている。  でも、そんなこと、健吾にはもちろん、誰にも言ったことないのに。 「飼い主様のことは何でも分かるぜ。犬は嗅覚が鋭いからな」 「ちょっと、真面目に答えて」  健吾の腕を取って追及したら、 「真面目に答えてる」 と、真顔で返された。  何だと。本当に犬だってこと?  不可解すぎて固まった私の手を払いのけるように、健吾はゆらりと私から遠ざかった。 「ついでに言っとくけど、お前と付き合ってるつもりねえから。勘違いすんなよ」  ポケットに手を突っこみながら、そんなことを言って、スタスタと歩きだした。 「……は?」  あまりの言われように、一瞬フリーズした。 「はあ?心外なんだけど」  すぐに我に返って健吾を追いかける。 「周りに勘違いさせてるのはあんたじゃん。私じゃなくてそっちに言ってよ。私は被害者なんだから」  追いついてそう反論したら、健吾は面倒くさそうにため息をついた。 「向こうが勝手に勘違いしてんだろ。それとも、勘違いされて困ることでもあんのか」  ……勘違いされて困ること?  パッと思いつかなくて、言葉に詰まる。  そんな私を見て、健吾は微かに笑ったようだった。 「馬鹿だな。あるって言っときゃいいのに」 「だって、嘘は良くない」  私のお母さんは嘘が大嫌いだ。小さい頃から、嘘だけはつくなと徹底して教えこまれた。  面倒を避けるために小さな嘘をついてしまうことはあるけど、何だか今は嘘をついてはいけないような気がした。   「嘘って。本当に困ってねえのかよ」  健吾は少し戸惑ったみたいに、そう念押ししてきた。 「だって。困るって……、何?」  困るという言葉がゲッシュタルト崩壊しそうだ。 「はは。そんじゃあ、当分は犬の面倒見るんだな」 「い、意味が分からない」 「ははは」  その笑い方は、私を馬鹿にしてるにしては力なく、面白がってるにしては、どこか寂しげで。  私はなぜかそれ以上、追及できなかった。
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