靴下の穴

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***  土曜日の昼下がり。  お母さんは12時をだいぶ過ぎてから起きてきた。  休日はいつもこんな感じだ。平日は帰りが深夜になる分、休日に睡眠を稼いでいる。 「チャーハンを作ろうとしていたところなんですけど、食べますか?」  義信さんがそう声をかける。  お母さんの歴代の彼氏と比べて、義信さんはだいぶ他人行儀だ。やっぱり、お母さんと付き合っているわけではないのだろう。 「んーん、チャーハンの気分じゃない」  眠そうな声でお母さんが返す。  お母さんのわがままは、今に始まった事ではない。 「そうだ、駅前に新しくできたカフェ。あそこにパスタ食べにいかない?」  私に向かって思いついたように言ってきた。  せっかく義信さんがチャーハンを作る準備をしているというのに。 「いいですね。行っておいで」  義信さんが私に微笑みかけてくる。  普通、ちょっとムッとするところだと思うけど。  あ、もしかして陽介と二人になろうという魂胆か。 「陽介も行く?」  まるで私の思考を読んだみたいに、お母さんがソファーに座っている陽介を誘った。 「行かない」  秒で断られている。  だったら私もーー。  お母さんの誘いを断ろうとしたら、陽介と目が合った。 「姉ちゃんは行ってきなよ。俺、明里のところに行ってくる」 「え、でも、陽介は昼ごはんどうするの?」  私の問いに答えずに、陽介は立ち上がって、そのまま家を出ていってしまった。 「反抗期ねえ」  お母さんが、窓から陽介を見送りながら、能天気に言った。 「高校楽しい?」  向かいの席でパスタをフォークに絡ませながら、お母さんは私にそう尋ねた。  お母さんはいつも同じことを訊いてくる。 「楽しいよ」  正直、ネタ切れだ。  そうそう楽しいエピソードなんてない。  特に、健吾に絡まれるようになってからは。 「そういえば、健吾くんと同じクラスになったんでしょ?」  アイスティーが変なところに入ってむせた。  お母さん口から奴の名前が出てくるとは思わなかった。 「な、何で知ってるの?」 「だって、望月先生から電話かかってきたのよ」  望月先生というのは、数学の先生であり、私の学年の主任教師だ。去年は私のクラスの担任の先生でもあった。 「健吾くんが澄麗と同じクラスにしてくれって言ってるんだけど、問題ないかって」  ……何それ。  そんな話、聞いてない。 「そんなこといちいち確認しなくてもって思ったけど、考えてみたら一方的に付きまとってる可能性もあるものね。健吾くんに限ってそんなことないと思ったから、澄麗に聞くまでもなくオーケーしといたけど」  お母さんは流れるようにそう言った。  何で健吾に対してそんなに信用が厚いのだ。 「お母さん、健吾に会ったことあったっけ?」  私が覚えている限りでは、お母さんがいる時に健吾がうちに来たことはないはずだ。 「会ったことはないけど、智から話は聞いてたわよ」  智さんの名前を口にした時、お母さんは苦いものを口にしたみたいな顔をした。 「顔も知らないのに簡単にオーケーしないでよ」  智さんのことは軽く流して、そう抗議する。 「あら、いいじゃない。さすが私の娘だわ。男の子をそこまで夢中にさせるなんて」 「そんなんじゃないから」  私はお母さんと違う。  お母さんは、智さんと別れるまで、彼氏を切らしたことがなかった。  恋愛体質なのだろう。智さんと別れた時、お母さんは目も当てられないくらい憔悴した。  それを見て私は、お母さんのようにはなるまいと思った。 「義信さんとはどういう関係なの?」  話を変えた。  これ以上健吾の話をしたって、不毛なだけだ。 「義信?何で?」 「だって、彼氏って感じじゃないじゃん」 「やだ」  お母さんは笑った。 「いくら私でも、あんな若い子と付き合ったりしないわよ」 「うん。だから、あの人は何なのって訊いてるの」 「拾ったのよ。何だか放っとけなくて」  何だそれ。 「拾ったって、どこで?何してる人なの?」  義信さんが来て1ヶ月以上経つのに、私は義信さんのことをまだ何も知らない。 「本人に直接訊きなさいよ。そのくらいの会話力がなかったら社会で生きてけないわよ」  はぐらかされた。  お母さんは、答えたくないことは絶対に答えない。昔からそうだ。
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