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会話が途切れて、ストローでアイスティーを飲んでいると、「そうだ」と、お母さんが何かを思い出したように口を開いた。
「あの子、知らなかったのね」
それだけ言って、パスタを口の中に運んでいる。
あの子って誰だ。知らなかったって何のことだ。
何の糸口もなくて、お母さんが口の中のものを飲みこむのを待った。
「陽介」
と、お母さんは口を紙ナプキンで拭きながら、ひと言だけ付け足した。
「陽介が、何を?」
焦れる私をさらに待たせて、アイスコーヒーのストローを2回吸った後、お母さんはやっと続けた。
「父親のこと」
「……え?」
答えが想像の斜め上すぎて、咄嗟に言葉が出なかった。
「え、まさかお母さん、喋ったの?」
陽介の父親のことは、敢えて話していなかったのかと思っていた。
知らなかったのねって、そんなデリケートな話、私が勝手に話すわけにはいかないではないか。
「喋ったっていうか、ほら、義信を初めてうちに連れてきた時よ。その時にあなたたちのことを話して、陽介の父親のこともーー、澄麗はその場にいなかったわね」
そんなの知らない。
春休み中だった。その日、私は涼子と映画を観に行っていて、家に帰るなり義信さんを紹介されたのだ。
「な、何で……」
パスタの上にフォークを置いて、テーブルに手をついた。
「何でそんな軽はずみなことするの?え、陽介はどこまで知っちゃったの?」
「どこまでって、全部よ。澄麗と父親が違うことも、陽介の父親がつまらないサラリーマンだったことも、陽介が生まれた途端に澄麗のことをいじめるようになったから離婚したことも」
ひどい。
陽介は何も知らなかったのだ。
そんなことをいっぺんに聞かされて、どれだけ傷ついただろう。
「そんな怖い顔しないでよ。男の子なんだから、そのくらいどっしり受け止められるようじゃなきゃ」
「男も女も関係ないよ。まだ中学生なんだよ。そんなこといきなり言われて、ショック受けないわけないじゃん」
陽介がお母さんに対して急に反抗的になった理由が分かった。今まで以上に明里ちゃんのところに入り浸るようになったわけも。
「澄麗は昔から良いお姉ちゃんねえ」
娘の動揺をよそに、お母さんはのんびりした口調で呟いた。
「そんなに甘やかしたら、弱い子になっちゃうわよ」
そうたしなめるように言って、アイスコーヒーをカラカラと飲み干した。
弱いのと繊細なのは違うと思った。
陽介は、私やお母さんと違って、繊細なのだ。私たちが取るに足らないと思うようなことでも、深く受け止めて、時間をかけて一人でよく考えて、陽介なりの答えを出していく。
繊細な分、あの子は人の痛みが分かる。あの子はとても優しい子だ。
「そうそう、来週の木曜日から二泊、軽井沢のコテージを予約したから。澄麗も行くわよね?」
カフェを出て、お母さんがさも本題というように尋ねてくる。
水曜日からゴールデンウィークだ。
オンとオフの切り替えがはっきりしているお母さんは、休みの日はしょっちゅう私たちを旅行に連れていってくれる。
いつもだったら頷くところだけど。
「私はいいや。義信さん誘ったら?」
陽介は行かないと言うだろう。私がお母さんに付いていったら、陽介が義信さんと二人になってしまう。昼間は明里ちゃんのところに行ったとしても、夜は家に帰るほかないのだから。
「何で義信と一緒に行かなきゃなんないのよ。えー、澄麗行かないの?じゃあ一人で行ってくるわ」
お母さんが不満そうにブツブツと旅の計画を述べるのを聞き流しながら、陽介が傷ついているのを見抜けなかったことが、ショックでならなかった。
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