スリッパ

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スリッパ

 学校の昇降口の靴箱を開けたところで、私はフリーズした。 「おう」  そんな私に遠藤が声をかけてくる。 「この前は美緒が悪かったな」  美緒って誰だ。  一瞬そう思って、石川さんのことだと気づいた。 「本当だよ。めっちゃ気ぃ遣ったんだから」  二人のバチバチに挟まれて、生きた心地がしなかった。 「付き合ってるのオープンにするの?」  全ては遠藤の秘密主義が招いたことだ。 「いや。周りから変な想像されたくねえから……ん?」  私が立ち止まったままなのを見て、先に行こうとした遠藤が不思議そうにする。 「上履き、家に忘れてきちゃって……」  洗うために連休前に持って帰ったのを、家に忘れてきてしまった。 「あー、来客用の玄関でスリッパ貸してもらえるよ」  遠藤も経験があるのか、指を差しながらそう教えてくれた。  スリッパは苦手だ。  私は足の幅が人よりも狭いみたいで、スポスポと脱げてしまう。  足を持ち上げても付いてきてくれなかったり、逆に足を踏み出した勢いで遥か彼方へ飛んでいってしまう。 「あ、健吾」  私を追い抜かそうとしたのを呼び止めた。  健吾に会うのは連休の初日以来で、何だか久しぶりだ。  振り向いた健吾は、何だか不機嫌な顔をしている。 「上履き忘れてスリッパ借りてきたんだけど、うまく歩けなくて……」  だから、できれば肩を貸してほしい。 「ふーん。がんばれ」  気のない応援の言葉を残して、健吾はさっさと歩いていこうとした。  でも、その次の瞬間、私のスリッパが健吾の横をすごい勢いで追い抜かしていって、健吾がその場で立ち止まる。 「ごめん。拾って」  そう頼んだら、健吾はスリッパの方に歩いていって、拾ってくれた。 「拾ったけど」  こちらを振り向いて、そんな意地悪なことを言う。 「も、持ってきてよ」  情けない片足立ちでは、強気に出るわけにもいかない。 「はいはい。俺は犬だからな」 「わざとじゃないもん」  ゴチャゴチャ言いながらも、健吾は私の足元にスリッパを置いてくれた。 「何でそんな歩くの下手なんだよ」  やっと普段の健吾の調子に戻ってきた。  一瞬そっけなく見えたのは、眠かったからかもしれない。 「ああ、スリッパがブカブカすぎてんのか。もっとすり足で歩けよ。足を無駄に持ち上げるから脱げるんだ」  私の歩き方を見て、そうアドバイスをくれた。  健吾って、昔から割と面倒見のいい奴なのだ。陽介にも良くしてくれるし。 「ホントだ。すり足だったら歩ける」 「だろ?」  地面に擦りつけるようにして足を前に出せば、スリッパは脱げない。  天才だ、健吾。 「そうだ、健吾。遠藤が言ってたんだけど、あんたも変な想像されたりするの?」  健吾にそう尋ねたのは、教室まで一緒に行ってほしいからだった。話題は何でも良かった。 「……は?」  健吾はドン引きしたみたいだった。 「遠藤が何て?」  喋ってはまずかっただろうか。  でも、口に出してしまった以上、後には引けない。 「付き合ってるの公言したら周りから変な想像されるからやだって、遠藤が。変な想像って、何なのかな」 「知るか、馬鹿」  怒られた。  先に行こうとする健吾を、再び呼び止めた。 「健吾、階段はすり足で上がれないよ。どうしよう」 「ああ?もうスリッパ脱げよ」 「やだよ、足の裏が汚れるじゃん」 「何なんだよ、その足の裏だけ潔癖なの」 「普通だと思うけど」 「で、俺にどうしろっつうんだ。俺が手ぇ貸さなくても、手すりあるだろ」 「おんぶして」 「馬鹿」  ひど。朝から2回も馬鹿って言われた。 「何なんだよ、今日は。すげえ絡んでくるじゃねえか。俺の魅力に気づいたか?」 「うん」  素直に肯定したら、健吾は階段の一段目に足を引っ掛けてつんのめった。 「でもお前は一生誰のことも……てか、何だよ、魅力って」  こちらを振り向いて、怒鳴るように尋ねてくる。 「だって、陽介に頼まれたから、私と同じクラスにしてもらったり家に来たりしてくれてたんでしょ?めっちゃ良い人じゃん」 「何だそら」  健吾は一気に興味を失ったようだった。  自分が訊いたくせに。 「ほら」  私に手を差し出してくる。 「飼い主を危険から守るのも犬の勤めだったな」  階段を上るのを助けてくれるのらしい。  やっぱり優しい。 「って、何その絆創膏!」  右手のほとんど全部の指にベージュ色のテープが巻かれている。 「ああ?これは……まあ、気にすんな」 「ボクシング?もう、ほどほどにしなよ」  すごく痛々しい。 「いいから。さっさとしねえとホームルーム始まるぞ」  躊躇する私の手を掴んで、健吾は私を教室がある3階まで引っ張り上げてくれた。
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