別れ

1/1
前へ
/11ページ
次へ

別れ

 母子家庭だった私は、お母さんのことが大好きだった。お母さんも、私のことが大好きだった。だから、良くギュッってしてくれた。ずっと続くと思っていた。でも、小学二年生の初夏──。  私が学校から帰ると、台所の床に横たわるお母さんを見つけた。 「お母さん?」  私は、今回も冗談だと思った。死んだフリで私を脅かす悪戯(いたずら)は、お母さんの十八番(おはこ)だ。  私が心配して声を掛けると、「生きてまぁす。お母さんは死にませぇん。友恵(ともえ)マジック!」と、ちょっと良く分からないことを言って、その後「おいで、あかりちゃん」と両手を広げ、懐へ飛び込む私をギュッと抱きしめるのだ。ちなみに『友恵』は、お母さんの名前。  どうしてこんなことをするのかと、聞いたことがあった。 「そのほうが、ギュッ、の愛が五倍増しになるのよ」  なんて言っていた。幼かった私は、本当に死んでいたらどうしようと、分かっていても心配した。  だからお母さんのギュッは、温かくて、柔らかくて、優しくて。私は十倍増しに感じていた。 「お母さん、あかりはもう八歳だよ。そんなの引っ掛からないよ」  保育園の頃は、私が心配しないようにすぐに起き上がっていたけど、成長した私に合わせ間を長くとっているのだと思った。まだ横になり、じっとしている。 「お母さん、もういいよ。起きてギュッしてよ」  それでもじっとしている。  お母さんの肩を揺すった。力無く頭が上を向く。演技にしては迫真過ぎる。いい加減、目を開けて欲しい。そう思い顔を覗き込んだ。  一瞬で、ゾワッとする何かが背筋を這い上がり、身体が熱を帯び、指先が硬直した。お母さんの二つの目は、しっかりと開いていた。でも、何処も見ていない。瞬きをしなければ、小さく口も開いたまま。 「お母さん? ねぇ、お母さん!」    ──死んでる。   「嫌だ。なんで。お母さん! 嫌だよ。あかりを一人にしないで」  私はパニックになり、外へ飛び出した。歩道へ出て、街行く大人を視線だけが追いかけたが、結局誰にも声を掛けられず、その場でへたり込みシクシクと泣き崩れた。お母さんとは、それっきりだった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加