ナカガワラさんにとってのわたし

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「わたしがクスノキさんに出会ったのは……」  あれは、わたしが高校入学してすぐのこと。  仲の良くない両親が、さらに悪化し離婚。高校生活にの馴染めず、家でも学校でも最悪の状況だった。  どこにも自分の居場所がない気がして……。  なんとなく、生きているのが馬鹿馬鹿しく感じた。 「……死んじゃおっかな」  その日、学校を無断欠勤し、まだ両親が仲良かった頃によく通っていたスーパーマーケットの立体駐車場に向かった。  ふらふらと屋上まで上がると、懐かしさと共に悲しみや寂しさが押し寄せてきた。 「……飛び降りたの?」  ナカガワラさんがいつの間にか前のめりになって聞き入っていた。  その姿が、なんだか殺し屋っぽくなくて笑ってしまう。 「ふふ、いいえ。飛び降りませんでした」 「ぐっ!!!」  はあはあと発作の出たナカガワラさんは、顔を赤くしながら後退していく。その姿を横目に、わたしは続ける。 「クスノキさんが、声を掛けてくれたんです」 「死ぬのか」  わたしは驚いて振り返った。  少し赤みががった長めの髪を後ろで束ねている、ガタイの良い男性。彼は確かにわたしに話していた。 「死ぬのかと、聞いている」  男性が指した指先を辿ると、わたしは落下防止柵の外側にいた。いつ跨いだのだろう。 「あ……あの……」 「自覚のない死には、意味がない」 「意味? そんなもの」 「必要だ。何を考え、至ったのか。生きているのか、死にたいのか、本当に死ねるのか」 「……」 「……この高さでは、死なない」 「嘘。だって、ここ六階だもん」 「下を見てみろ。花壇がある。お前では、花壇を避けることなど出来ない」  下は……怖くて見れなかった。見たフリするのがやっと。 「……花壇なんて避けるから」 「無理だ。その恐怖では、正気になった今、飛び降りれない」  どうしてわかったのだろう。拳を握り締める。悔しい。 「……死ぬこともできない」 「……俺とゲームでもするか?」 「ゲーム?」 「勝てたら、あの店で何でも奢ってやる。死ぬのは、ゲームの後でも良いだろう」  そう言って指した先には、話題のパンケーキ屋があった。クラスの子たちが楽しそうに話していた店だ。  行ってみたい。けど、このおじさん、誰なんだろ。あんなファンシーな店に入れるのだろうか。 「……俺はクスノキ。ゲームのルールは簡単だ。そこから、俺のいる、ここまで来ること」 「そんなの……」  簡単だった。けれど、馬鹿にする素振りもなく同情するでもない真剣な表情をしていたクスノキさんの勝負に、考えてからわたしは乗ることにした。 「それでそれで?」  ナカガワラさんは、いつの間にか前のめりに戻っていた。  甘いもの好きだもんね! と。 「美味しかったです、あのパンケーキ。特別な味がしました」 「いいなぁ、俺も来世はパンケーキになりたい……」  なぜ? そんなに好きなのだろうか。そう思ったが、言わないことにした。 「それから、ちょこちょこ会うようになって……その度に美味しいものを食べさせてくれました。わたしも、いつの間にか死ぬことを忘れていて」 「クスノキの仕事は知っていたの?」 「……いいえ。でも、なんとなく勘づいていました。でも、それでも良いんです。クスノキさんはわたしの恩人ですから! あの日、あの場所で一度死んだわたしは、パンケーキを食べて産まれ変わったんです!」 「……そう。だから、クスノキが好きなの?」 「……好き? わたしが、クスノキさんを?」  好きとは、なんだろう。  恋愛感情のことだろうか。この人が、わたしに向けているもの? 夏菜が、夢見ているお嫁さんってこと? 「……違うの?」  ナカガワラさんは信じられなさそうに目を見開いた。 「それは、恋愛感情ですか? それなら、違います。クスノキさんは……もっと大きな存在です!」 「大きなって……どういう意味? 尊敬ってこと?」 「尊敬……そうかもしれません。恋愛は恋する感情がなくなってしまえば、興味が消えてしまいますけど、クスノキさんは違います! これからもわたしの太陽みたいな神様みたいな人なんです!」  へへん、胸を張ったつもりだった。  クスノキさんはわたしの中で相当でかいものだと告げられたから。どうだ! と。 「ふーん。そうなんだ……ふふっ」  ナカガワラの反応は予想外だった。  てっきりクスノキさんが嫌いなのかと思っていたが、そうでもないらしい。  ニヤニヤ、そしてアハハ! と声が大きくなり、一通り腹を抱えた後、わたしにうっとりとした視線を向けた。 「やった……やったぞ! クスノキ殺したら嫌われると思って葛藤していたけど、まさか、恋愛関係など微塵も無かったなんて! はーー、やっぱり俺たちは運命なんだ……君にとっての恋愛と、俺にとっての恋愛……はぁ」  ん? よくわからない。早口でそれでいてぼそぼそとガッツポーズしている。 「あの」 「俺たちは運命なんだよ!」 「うわっ」  急に瞳を輝かせ、高揚しているナカガワラさんに手を取られた。少し体温の低い両手で握り込まれる。 「みのりちゃんとクスノキは、恋愛関係じゃないんだよね? 恋人でも、片想いでもない!」 「え……はあ、まあ。わたしたちの関係は、例えるなら神と信者ですかね」 「それなら、何も問題はないよ!!! 俺は妻の信仰に口を出すつもりはないし、俺は何でもするさ! クスノキの依頼も受けよう!」 「本当ですか!」  わたしも歓喜した。思わず手を握り返す。  薬なのかなんなのか、よくわからない気味の悪い人だが、引き受けてくれるのであれば、現状、神に等しかった。
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