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「好意の意味」※ナカガワラ視点
手を握り返された。
体温、匂い、眼前に存在しているカノジョに……俺の身体が耐えられるはずもなかった。
プシッと鼻の奥に強烈な痛みを感じた。眩暈もする。否、これは酔っているに違いない。カノジョの愛おしさに……。
「え、だ、大丈夫……ですか?」
薄れる視界の中、瞼の閉じる瞬間にもしっかりと見えた、みのりちゃんに心から祈りを送った。
いつぶりだろう。
こんなに感情が高まるのは。
いつぶりだろう。
こんなにどうしようもない気持ちになるのは。
いつぶりだろう、興奮して鼻血を出して倒れたのは。
どれもこれも、みのりちゃんが最初で最後だったはずだ。
「こんばんは」
満面の笑みで図々しくも隣の席に座った女は、俺に色目を使った。
カウンター越しにチラチラとこちらを窺うマスターと共犯だろう。もうこの店はこれないな。
薄暗いバーで、女は無視してバーボンを傾ける俺に身体を擦りつける。
「ねえ、おにいさん、お酒強いんだ? あたしと飲み比べしようよ」
香水の匂いが鼻をかすめる。
はあ、とため息をついて俺は立ち上がった。
「うるさい、寄るな」
「え、ちょっと!」
よほどの自信があったらしい女は、舌打ち後、マスターに文句を言っていた。
直接言いにこないのは、俺が何者か知っているからだろう。
この仕事は俺に向いていた。
特に努力を奮わなくとも、馬鹿の多い業界。ちょっとの工夫と身体能力の高さで成果を出せた。何よりストレス発散にちょうど良かった。
どうでもいい人間を殺すのは、虫を駆除しているのと似ていて達成感があった。してやった、俺がいらない存在を消してやった、と。
俺こそが食物連鎖の頂点だと思っていた。
その証拠に、先ほどのように寄ってくる女は数えきれないし、男もいた。美人局なんて考える馬鹿もいれば、おこぼれ欲しさに近づく輩まで。
「弱者ばっかりだな」
俺は優秀だ。見た目だって良い。
裏社会にいなくとも有名になれる。街を歩けば芸能事務所にスカウトだってされる。
どこにだって存在できる俺は、どこでだって好き勝手して良いんだ。
この仕事ができなくなっても、俺には武器がたくさんある。
「猫だ!」
どん、とすれ違いざまに誰かが、ぶつかってきた。
痛……くはない。だが、痛いフリでもして先ほど殺せば良かったと後悔していた、あのうるさくて臭い女への八つ当たりをしようと思い至った。
「痛ぇな……おい、お前、どうしてくれるん……」
そこまで言って、ハッとした。
すぐ隣に、クスノキが立っていたからだ。
有名な存在ではない。だが、写真で見たことがあった。その腕力だけでのし上がった凄腕の殺し屋。でも最近、受ける仕事を減らしていると。
向こうも気付いているだろう。
俺は用心深い方だが、写真はどこからか漏れている。何度か気に入った店に通い続けると、先ほどのような女が登場するくらいには。
「あ、ご、ごめんなさい」
睨み合っていると、ぶつかってきた人物が顔を上げた。女子高生にしか見えない女は、眉を下げた。
……なぜ、クスノキが女子高生と?
一般人にしか見えない女は、クスノキと並んで歩いているところのようだった。
「……そういう性癖、なのか? それともパパ活?」
別に驚きはしない。こんな仕事をしている奴に、まともな人間なんて俺以外見た事がないからな。
俺の言葉を聞き逃さなかったクスノキは、眉を寄せた。嫌そうな嫌悪感が漂う。
一方、クスノキより俺に近い女の耳にも、もちろん入ったようで、目を大きく見開いたあと、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いた。予想外だったのだろう。
俺も、予想外だった。
「……え、なに。かわ」
かわいい。思わず出た言葉よりも
クスノキが速かった。
俺の視界から彼女を背に収めると、一目散に腕を引いて歩き出した。
「あ、おい! ちょっ」
必死に追うが、人混みに紛れて蛇行するように遠ざかるクスノキが、いつの間にか見えなくなっていた。
「……くっそ」
珍しく息切れをしながら、俺はカノジョの姿を思い出していた。
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