「好意の意味」※ナカガワラ視点

1/4
前へ
/11ページ
次へ

「好意の意味」※ナカガワラ視点

 手を握り返された。  体温、匂い、眼前に存在しているカノジョに……俺の身体が耐えられるはずもなかった。  プシッと鼻の奥に強烈な痛みを感じた。眩暈もする。否、これは酔っているに違いない。カノジョの愛おしさに……。 「え、だ、大丈夫……ですか?」  薄れる視界の中、瞼の閉じる瞬間にもしっかりと見えた、みのりちゃんに心から祈りを送った。  いつぶりだろう。  こんなに感情が高まるのは。  いつぶりだろう。  こんなにどうしようもない気持ちになるのは。  いつぶりだろう、興奮して鼻血を出して倒れたのは。  どれもこれも、みのりちゃんが最初で最後だったはずだ。 「こんばんは」  満面の笑みで図々しくも隣の席に座った女は、俺に色目を使った。  カウンター越しにチラチラとこちらを窺うマスターと共犯だろう。もうこの店はこれないな。  薄暗いバーで、女は無視してバーボンを傾ける俺に身体を擦りつける。 「ねえ、おにいさん、お酒強いんだ? あたしと飲み比べしようよ」  香水の匂いが鼻をかすめる。  はあ、とため息をついて俺は立ち上がった。 「うるさい、寄るな」 「え、ちょっと!」  よほどの自信があったらしい女は、舌打ち後、マスターに文句を言っていた。  直接言いにこないのは、俺が何者か知っているからだろう。  この仕事は俺に向いていた。  特に努力を奮わなくとも、馬鹿の多い業界。ちょっとの工夫と身体能力の高さで成果を出せた。何よりストレス発散にちょうど良かった。  どうでもいい人間を殺すのは、虫を駆除しているのと似ていて達成感があった。してやった、俺がいらない存在を消してやった、と。  俺こそが食物連鎖の頂点だと思っていた。  その証拠に、先ほどのように寄ってくる女は数えきれないし、男もいた。美人局なんて考える馬鹿もいれば、おこぼれ欲しさに近づく輩まで。 「弱者ばっかりだな」  俺は優秀だ。見た目だって良い。  裏社会にいなくとも有名になれる。街を歩けば芸能事務所にスカウトだってされる。  どこにだって存在できる俺は、どこでだって好き勝手して良いんだ。  この仕事ができなくなっても、俺には武器がたくさんある。 「猫だ!」  どん、とすれ違いざまに誰かが、ぶつかってきた。  痛……くはない。だが、痛いフリでもして先ほど殺せば良かったと後悔していた、あのうるさくて臭い女への八つ当たりをしようと思い至った。 「痛ぇな……おい、お前、どうしてくれるん……」  そこまで言って、ハッとした。  すぐ隣に、クスノキが立っていたからだ。  有名な存在ではない。だが、写真で見たことがあった。その腕力だけでのし上がった凄腕の殺し屋。でも最近、受ける仕事を減らしていると。  向こうも気付いているだろう。  俺は用心深い方だが、写真はどこからか漏れている。何度か気に入った店に通い続けると、先ほどのような女が登場するくらいには。 「あ、ご、ごめんなさい」  睨み合っていると、ぶつかってきた人物が顔を上げた。女子高生にしか見えない女は、眉を下げた。  ……なぜ、クスノキが女子高生と?  一般人にしか見えない女は、クスノキと並んで歩いているところのようだった。 「……そういう性癖、なのか? それともパパ活?」  別に驚きはしない。こんな仕事をしている奴に、まともな人間なんて俺以外見た事がないからな。  俺の言葉を聞き逃さなかったクスノキは、眉を寄せた。嫌そうな嫌悪感が漂う。  一方、クスノキより俺に近い女の耳にも、もちろん入ったようで、目を大きく見開いたあと、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いた。予想外だったのだろう。  俺も、予想外だった。 「……え、なに。かわ」  かわいい。思わず出た言葉よりも  クスノキが速かった。  俺の視界から彼女を背に収めると、一目散に腕を引いて歩き出した。 「あ、おい! ちょっ」  必死に追うが、人混みに紛れて蛇行するように遠ざかるクスノキが、いつの間にか見えなくなっていた。 「……くっそ」  珍しく息切れをしながら、俺はカノジョの姿を思い出していた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加