アンコールはなかった...

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アンコールはなかった...

「今までありがとう…。俺も幸せになるからさ、唯華も幸せになってね」と言って、彼は玄関から出ていった。 ドアがガチャンと閉まる音が、妙に響く。机の上には合鍵が、お揃いで買ったキーホルダーと共に置かれてあった。 私は玄関に向かって、手拍子をした。ライブみたいに「アンコールありがとう!もう1曲演奏させてもらいます」ってもう一度ステージに上がってくれないかなって願いを込めて手拍子をした。 だけど彼がもう一度その扉を開けることはなかった。パチパチと弱々しい拍手の音だけが耳に届く。手のひらが痛くなっても手を叩き続けた。 だが、アンコールなんて、いくら手拍子してもなかった...。 ここまで書いてスマホを机の上に置いた。頭の中にふわっと浮かんだアイデアが消えないように、すぐメモに残すようにしている。 「先輩、彼女出来たんですか?」と後輩の松野が声を掛けてきた。 「え、なになに!」と近くにいた同期の近藤も、手にマグカップを持ったまま近づいてきた。 「松野さんの勘違いだよ。彼女なんて出来てないよ」と僕は手を横に振り否定をする。 「だって、なんか真剣な顔をして文字打ってたじゃないですか?女の子にLINEしてたんでしょ?」と僕のスマホを指さして松野が追求してくる。 「好きな人?デートにでも誘ったの?」と近藤が更に攻撃を仕掛けてくる。 近藤は手に持っていたマグカップを机の上に置き、僕の隣に座った。松野もそれに続き、僕の向かい側に座る。 1人ならともかく2人になると、逃げ道がない。かと言って正直に小説を書いてたなんて、恥ずかしくて言えない...。 壁に貼ってある掲示物がふいに視界に入ってきた。これだ!と閃いた。 僕は掲示物を指さして「レポート明日までやから、メモしてただけだよ」と答えた。 2人の顔は明らかになーんだ、つまらないという表情をしていた。 続けて「そういや、近藤って先週結婚式じゃなかったっけ?」と話題を振った。 「え、そうだったんですか?おめでとうございます!」と松野が食いつく。 僕は話題を逸らすことに成功し、とホッとした。 「言わなかったっけ?ありがとう」と近藤は松野にお礼を言う。 「こんなのしかないけど、良かったら食べてください」と松野は近藤にポッキーを差し出す。近藤はありがとうと言ってポッキーを数本取った。 「浦野さんも食べます?」と言って、松野が僕にポッキーの入った箱を向ける。 僕は「ありがとう。そっか、今日ポッキーの日か」と言い、1本箱から取り出した。わざと今日が11月11日であることを今気付いたという風を装った。 脳内で「私たちポッキーみたいにポキッと折れちゃったね」と元カノから言われた言葉が再生される。 松野と近藤はスマホを見ながら、「ドレス姿キレイですね!」という会話をして盛り上がっていた。 その日何度目かのケンカをした。何のケンカかはもう覚えていないが、火種はゴミ出しをしてなかったみたいな些細な事だったような気がする。 用があって実家に帰っていた僕は、面倒臭いと思いながら彼女の家へ車を走らせた。 小言を言われることを覚悟しながらドアを開けたが、彼女は穏やかな声で「コーヒー飲む?」と聞いていた。 いつもと雰囲気が違うことを察した。部屋は綺麗に片付いており、僕の荷物がまとめてあった。 同棲したのはたった半年間だったが、大きな袋3つ分あった。 僕らはコーヒーを飲みながら、初めて会った日のこと、温泉旅行のことなど語り合った。 玄関先で彼女は「私たちポッキーみたいにポキッと折れちゃったね」と言った。僕は彼女の顔を見れなかった。「そうだね」とだけ答えてドアを閉めた。 「浦野さんも見てくださいよ!近藤さんとてもキレイですよ」と松野が声を掛けてきて、僕は現実に引き戻られた。 スマホには、赤のドレスを見に纏った近藤が旦那と満面の笑みで写っている写真が表示されていた。 「キレイだね」と思わず言った。僕が素直に褒めるとは思ってなかったのだろう。 近藤は「どうしたの?まさか褒められると思ってなかったんだけど」と目を丸くしていた。 「俺そこまで捻くれてないわ」 「ごめん、ごめん。ドレス着るために、ダイエットした甲斐があったわ」と近藤は嬉しそうに笑った。 「どんなプロポーズされたの?」と僕は質問をした。 「それ気になります!!!」と松野も身を乗り出してきた。 「えー、恥ずかしいよ」と言ってはいるが、話したそうにしていた。 それを察した僕は、「どこでプロポーズされたの?」と更に質問をした。 「えっとね、旅行先で星空を見ながら散歩してたときに」と答えた。 「ドラマチックやな」 「ドラマチックですね」と、僕と松野がハモり3人で顔を見合せて笑った。 「プロポーズってさ、何気ない日常でさりげなく言われるのと、演出されるのどっちがいい?」と僕は2人に向けて疑問を投げかけた。 「絶対演出して欲しいですね!」と松野が食い気味に答える。 「浦野君もプロポーズするときはサプライズ感を出してね!」と近藤からアドバイスされた。 「俺プロポーズしたことあるよ」 「えー!!!」と2人とも悲鳴に近い声をあげた。 「断られたんだ... 悲しいこと思い出させてごめん...」と近藤が謝ってきた。 「いや、その時は泣いて喜んでくれたよ。その後同棲開始してダメだったんだけど...」と答える。 「どこでプロポーズしたんですか?」と松野が質問する。 「夜の海辺でバラの花を渡してって感じやね」 「えー!!!」とまた2人とも同時に声を上げる。 「先輩って意外とロマンチックですね」 「ホントなんか意外だけど、そういうところちゃんとしてるんだね」と言って近藤は軽く僕の肩を叩いた。 「まあ結局ダメだったんだけどね」と食べ終わった弁当を片付けながら答える。 「なんで別れちゃったんですか?」 「方向性の違いかな」 「バンドマンかよ!」と近藤がツッコミを入れてきた。 僕は歯磨きセットをバッグから取り出しながら、「もう休憩時間終わるよ」と僕は壁掛け時計を指さした。 2人はまだ話し足りなさそうにしていたが、「ヤバっ!」と言って自分たちが元いた場所に戻った。 あの日僕は両手に荷物を抱えて、彼女の家のドアを開けた。唯華は玄関まで見送りにきて、「私たち、ポッキーみたいに折れちゃったね...」と言ってきた。 彼女がその時どんな顔をしていたのかは分からないが、11月11日になるとどうしてもこのセリフを思い出してしまう。 僕は車に荷物を詰め込み、彼女の家のドアを見た。彼女がドアを開けて、「やっぱり別れたくない」とか言って出てこないかなと思った。だが、ドアが開く気配はなかった。 僕たちの物語にアンコールはなかった...。歯を磨いてもまだポッキーの味が残っているような気がした。
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