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マッチングアプリで知り合った相手と意気投合したYouは御洒落に気を使い過ぎて支度に手間取り約束の時間に遅れそうになって慌てふためき玄関へ向かう。すると玄関の扉がギィィィと音を立てて開いた。鍵を掛けていたはずなのに……と怯えるYouに向かって、扉の向こうから声が投げ掛けられる。
「驚かないで、怪しい者じゃない」
聞き覚えのある声だった。毎日、毎日、朝昼晩ずっと聞いている。いや、聞いているだけではない。話している。そう、聞こえてきたのは自分の声だった。
扉の隙間からYouではないYouが顔を覗かせた。ヒィッ! とYouは息を呑む。そんなYouに扉の向こうのYouが顔だけ出して言った。
「私は未来から来た。私は未来のあなた。昔の自分に警告するため、私は過去へ舞い戻った」
何を言っているのか意味が分からない、とにかく退け、そこを退け、これからデートだ、待ち合わせに遅れたせいで相手が怒って帰ったらどうする、とっとと失せやがれ、消えろって言ってんだろう! 未来の自分だろうが容赦はしない、もう一度だけ言う、そこを退け! さもないとアンモナイトみたいに絶滅させてやる……等の意味不明な脅し文句を喚き散らすYouに、未来のYouが哀れみのこもった眼差しを向ける。
「私たちの愛が地球上の全生物を絶滅させ、宇宙全体も滅亡させると、あなたへ伝えに来た」
私たちの愛が地球上の全生物を絶滅させ……何じゃそれ?
話の急展開に付いていけないYouに、未来のYouが説明する。
お節介なマッチングサイトのせいで出会ってはいけない二人が巡り合う。どうして出逢ってはいけないのか? 罪だからだ。二人の出会いは罪なのか? まごうことなき罪だ。お互いを愛する気持ちが強すぎる、それが罪、許されざる罪なのだ。愛の罪を述べる。二人の間に生まれた歓喜の泉から溢れ出る濃密濃厚な液体が地表に大洪水を引き起こす。過剰な愛のために生まれたドロドロの海が地上を覆うのだ。陸上生物は逃げ場を求めて流離った挙句の果てに愛の泥沼で溺れのたうち回って苦しみ抜き、やがて絶滅する。水鳥も例外ではない。粘調度が高くヌメヌメした特濃汁に浸った翼で空は飛べないのだ、永遠に。真実の愛の重さを知って飛べなくなった鳥は溺愛の深い水底へと、ただ沈むのみ。陸からも空からも生命は失われた。水中の生き物も二人の愛から逃れられない。二人が流した大量の汗と脂が丈夫な泡の膜となって水面上に広がり大気と海を遮断する。大気から酸素を取り込めなくなるため海の酸素濃度は低下し、酸素を必要とする水棲生物の大半は死に絶え、それを餌としている生物も最終的に絶滅する。
「だけど被害は、それだけで終わらない」
未来のYouは恐るべき予言を続けた。
「この惑星がどうなろうとお構いなしに、私たちは何度も激しく愛し合う。私たちの愛の営みを一目でも見ようと、天空の星々は地球に向けて動き出す。開闢以来、膨張を続けていた宇宙は今、太陽系の一点を目掛けて縮小を開始した。やがて全宇宙の全物質が私たち二人を包み込む。万物に見守られ高重力高密度の中で睦み合い忘我の境に没入した刹那、宇宙の全質量に光速の二乗を掛けたエネルギーで射出された精子の群れが元始の太陽の如く燃え盛る卵子と衝突した。そこに異次元へ通じるホワイトホールが発生する。暗黒の世界に生じた、たった一つのホワイトホールに、ありとあらゆる周波数が鳴り響き、それはまるでチャペルに流れるオルガンの妙なる調べのような荘厳さだった! そこで私たちは創造神の立会いの下に結婚式を挙げた。そして私たちの精子と卵子が新しい世界の、新世界の始まりを告げるビッグバンの受精卵となった!」
瞳をランランと輝かせて語る未来のYouを、現在のYouが睨みつける。
「意味が分かりません。とにかく邪魔です。そこを退いて下さい。退かないなら大声を出します」
強い口調だったが戸口のYouはビクともしない。
「駄目。ここを離れるわけにいかない」
「どうして?」
「私たちは新宇宙の因果地平で新婚旅行を楽しみながら、良心の呵責に苦しんだ。二人は今、幸せだけど……この幸福は旧宇宙に存在していた全存在の犠牲の上に成り立っているから。私たちが出会わなければ、古い宇宙は滅びなかったし、地球の皆も生きていられた」
扉の隙間からヒョッコリ顔を出したまま、Youの未来形が深い溜息を吐く。
「ハネムーン気分が消え失せた私たちは創造神にお願いした。時間を戻して欲しいと。そして」
現在のYouが現在形で叫ぶ。
「誰か助けて! 変質者です! 火事です! 誰か来て! 警察と消防を呼んで!」
未来のYouが扉を大きく開け放つ。玄関の向こうには見慣れた風景の代わりに光り輝く球体があった。その球体の中にヒトの胎児が浮かんでいる。Youは声もなく欠伸をする胎児を眺めた。赤ん坊を起こしちゃうと可哀想だからと言い、もう一人のYouが扉を閉めつつ玄関に入る。
「今のは、何?」
そう呟いたYouに玄関先のYouが答える。
「目覚めの時を待つ、新たなるビッグバン」
ビッグバンとは宇宙を創成したとされる大爆発である。それがヒトの胎児だったとは……アインシュタインなら驚いて舌を出しただろうし、ホーキング博士ならビックリして病気が治ったかもしれないとYouは考えた。
「ここは未来にだけつながっている玄関だから、隣近所には何も聞こえないし、警察に連絡は取れない。そもそも逮捕されるようなことは何もしていないし……そう、生まれてくる子供にも罪はない。だけど、親は別。自分たちの行為に責任を持たないといけない」
だから未来のYouとパートナーは創造神に頼んで、圧縮され一体化した二人を離してもらった。あまりにも強く抱き合ったがゆえに、エンゲージリングで作った知恵の輪のように肋骨が絡み合い、二人の心臓も一つになっていたので、さすがの創造神も二人を分離するのに苦労した。漫画の神様が創造した天才外科医を招魂し、どうにか二人の分離手術を成功させたが――目玉が飛び出るような額の手術代を請求されたのは言うまでもない――その名医でも二人を元通りの姿に戻せかった。
未来のYouは着ていた白い貫頭衣の三分袖を肩まで捲り上げた。
「腋を見て」
「真っ黒ですね、処理していないんですか?」
「私の体の半分は暗黒物質で出来ているから」
それで足りない部分を補ったそうである。そんな大変な手術を受けてまで体を分離し、さらに時間を遡って過去へ戻ってきたのは……昔の自分を運命のパートナーから引き離すため。
「悲しくて苦しい決断だけれども、この世界を守るためだから」
この出会いは諦めてほしいと懇願する未来のYouを今、Youは無言で見つめている。
下記のうちから好きな方を選べ。そして選んだ項目をコピー後、コントロールキーとFキーを同時に押しペーストして検索、ピックアップされた箇所へ移動せよ。
★諦める
☆諦めない
〔★諦める〕
君が運命の恋を諦めると、未来のYouは微笑んだ。
「辛くて悲しいことだけど、それで良かったと思う。その決心で、この宇宙は守られた。地球の全生物が救われた。本当にありがとう。新しい素敵な出会いが待っているはずだから、それを信じて。それじゃ」
目的を果たしたので、未来のYouは玄関を離れた。その直後、脳内にテレパシーが届く。テレパシーを送ってきたのは分離したパートナーだった。そのパートナーも昔の自分に出逢いを諦めるよう説得しているのだが、難航しているとのこと。
未来のYouがテレパシーを返信する。
〈こっちは諦めた、別の出会いを探すって言ってる。そう伝えて〉
まもなくパートナーからテレパシーが来た。向こうも断念したそうだ。
〈良かった。それじゃ予定通り再合体手術を受けましょう! あなたと離れるのは、どんな理由があっても嫌だと分かった。あなたと一緒じゃないと寂しい。もう離れたくない。私は今すぐこの時代を離れるから、あなたも早く未来へ来てね。すぐにでも一つになりたい。誰に見られたって平気。神様に笑われたってきにしない。もう我慢できない、耐えられない。お願い、未来で待っているから、すぐに来て〉
用を済ませた未来のYouは過去と永遠に決別し、永久不変のパートナーの帰りを待つため光速の二乗の速さで未来へ帰還した。
〔☆諦めない〕
世界が滅んでも、宇宙が終わっても、この恋は終わらせない――と、Youは未来のYouに宣言した。
「あなたは後悔する。それでもいいの?」
「後悔しない。本当の愛なら、決して後悔しない」
その言葉を聞いた未来のYouは微笑んだ。
「その決意があるなら、もう引き止めない。逆に応援する。運命のパートナーと結ばれるために、全力で頑張って」
Youは未来のYouに礼を言った。相手はニコッと笑って手を振り玄関を出ていった。Youも後に続く。外にあるのは見慣れた風景だった。しかしYouの目には、先程垣間見た愛の証が焼き付いている。Youは二人の運命に向かって足を踏み出す。
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