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10
「冗談だったのかと思った」
俺の挨拶に、ラフィスラ王子は「まさか」と笑った。
春の大祭の後、店自体の臨時休業と個人的に与えられた数日の特別休暇が明けて店に復帰した俺は、待ち構えていた彼に捕まった。
「もっと早く君に会いたかったけれど、店休日に店を開けろと駄々をこねる子供でもないし、君の休暇を取り上げる無粋な男にもなりたくないしね」
にこにこと笑う彼が座る位置はほんの少しだけ前よりも近い。
「大祭のステージは見たよ。思った通りよく似合ってた」
どれのことを指しているかなど問うだけ野暮だ。「ありがとうございます」と礼は述べておく。
「今日もステージに立つの?」
「はい」
答えると「本当に君は真面目だなあ」と苦笑された。
「今日の出番は早いので」
「そっか。行っておいで」
離席のために腰を浮かしながら言うと、優しい笑顔で送り出された。身支度を整えて、春の大祭以来のステージに立つ。曲は『オルク・チャリコ』、月の女神に焦がれた詩人の物語だ。今年のチャリコーラの大祭直後初のステージともあっていつもより熱心な視線が向けられる中を踊りあげて、身に着けた衣装もそのままにラフィスラ王子の元へ戻る。その衣装はチャリコーラを勤めたときに着ていたもの。
「やっぱりよく似合ってる。衣装の方も贈れば良かったなあ」
今度贈らせて、と言ったラフィスラ王子が席を立ち、手を差し出す。意図がつかめず戸惑いながらも微笑む彼の手に己の手を重ねた。
「今日はこのまま、君を攫ってもいい?」
「っ」
いたずらっぽく笑ったラフィスラ王子が、取った手の甲に口づける。舞台の上では、去年一人前になったばかりの娘が楽しげに恋の歓びを表現したステップを踏んで踊っていた。
寝室の床、色の濃い絨毯の上に星屑が散っている。ラフィスラ王子から贈られて、身に着けたままだった装身具たちだ。その星の欠片のような繊細な装身具を、霞のような薄布を幾重にも重ねて作られている衣装を、俺はひとつひとつ脱ぎ捨てていく。その様子を、寝台の端に腰かけたラフィスラ王子は眺めていた。
「——男の踊り子は、旧い記録と記憶の中にしかいません。だから、ミセスは俺を育てるにあたって、旧い記録を辿り、先代の男の踊り子やその人を知る者を探したそうです」
この寝室に入るのは初めてだったが、この屋敷には覚えがあった。以前、薬を盛られて前後不覚になった時に担ぎ込まれたのがこの屋敷の客室だった。客室とは趣からして違うこの部屋はラフィスラ王子の使う寝室だそうで、部屋の中に薄く漂う香りは確かに彼が身にまとう匂いと同じだった。
「そうして辿り着いたのが、この刺青の存在でした。女の踊り子とは違い、たおやかさと優美さに欠けると言われる男の踊り子がそれらを手に入れるためのまじないの一種だと聞いています。それでもチャリコーラには到底届かないだろうとは言われましたが」
下着も脱ぎ落として、なにも身に着ける物のなくなった身体を少し旋回させる。わずかばかり左膝を折れば、左の太腿の内側に入っている刺青(それ)が露出した。花を模しているのだと聞いているが、俺には円がいくつか集まって重なった形にしか見えない。
「呪墨(しゅぼく)だね」
「ええ」
普通の刺青とは違い、呪墨は呪術の素養がある呪墨師にしか入れられない刺青で、その印にはまじないがかけられているという。入れる模様はもちろんのこと、入れる場所や施術をする日時なんかにも厳密な決まりがあるそうで、俺も施術の時は占いで日取りを決めた覚えがある。
「だから、俺は男でもなければ女でもありません。……そんな身でも良ければ王子の慰み物に」
俺の話を聞いた王子は「慰み物で終わるつもりはないんだけどなあ」と苦笑した。その表情のまま小さく手招きをされる。
「それ、よく見せて」
「……はい」
招かれるままに近寄って、内腿の刺青を晒す。羞恥で頬が火照っているように思ったけれど、王子の視線に射止められている今、逃げ出そうという気は起きなかった。
「ッ」
覗き込まれた内腿に顔が寄せられる。唇が刺青に触れて、くすぐったさと驚きで思わず力が入った。
「可愛いね」
手首を取られて、引きかけた身体を引き寄せられる。思ったよりも強い力に驚いている間に、胸の中へ抱き寄せられていた。
「私にもあるよ」
「え」
呪墨、と皇子がささやく。
「これでもヒェリオの一族のひとりだからね」
そう言って緩く結んだ拳で叩いたのは左胸。どうやらそこに刺青があるらしい。
「見る?」
「……!」
王子がにやりと悪い顔で俺をそそのかす。触れるだけの口づけが与えられて、実感のないままに離れていった。
「その代わり、「王子」は禁止だよ」
言い終わるか終わらないかの内に身体の位置を入れ替えられて上下が反転する。
「王子……ッ、んっ!?」
「一回呼んだら一度口づけるから、そのつもりで」
俺を寝台に押し倒して唇を奪ったラフィスラが笑う。
「……じゃあ、なんて呼べばいいんですか……」
思わず途方に暮れた声を漏らすと、「好きに呼べばいい」と返された。
「ラフィスラ、でもラフィでもフィルでも好きなように」
「ラフィスラ様……っん、」
「様、も禁止」
「後出しは狡い……」
敬称をつけて呼んだ瞬間に再び唇を塞がれたので思わず唸る。額に口づけたラフィスラが「早く決めて」と俺を急かした。
「早く君に触れたい」
言いながら頬に顎先に首筋に唇が降りてくる。それらを受け止めてくすぐったさに時折声を漏らしながら、俺はもどかしく彼の上衣の合わせを開いた。露出した胸板の左側に、手のひらよりも少し小振りな刺青が刻まれていて、これが彼の言う呪墨か、と理解する。恐る恐る手を伸ばそうとすると、その手を掴まれて押し当てられた。
「君には触る権利があるよ。私の月の神(チャリコ)」
「ん、ふ……」
深い口づけを与えられ、舌を絡めて愛撫される。その不慣れな感覚に驚いている間に、熱い手が胸板に押し当てられた。そのまま皮膚を意味ありげになで上げられて、くすぐったさに背筋がざわめく。
「っあ……」
舌の動きを制限されて、飲み下しきれなくなった唾液が口の端を伝う。それを優しく舐め取られて羞恥に頬を染めた。その様すら「可愛い」と評したラフィスラが起き上がって寝台の脇へ手を伸ばし、なにかの液体が入っている小瓶を取って開け、中身を塗り付ける。
「ひっ……!?」
「少し冷たいけどすぐに馴染むよ」
花の香を移した香油だと言い、塗られたそれはラフィスラの言う通りすぐ体温に馴染んだ。温まることで立ち上る花の香りにリラックス効果でも含まれているのか、少しばかり頭がぼんやりしてきた気もする。まさか以前飲まされた薬のように興奮を催したりするような作用のものは入っていないだろうな、と不安になって問いかけると「入ってないよ」と苦笑された。
「香油の効果で身体が温まってきたのかも」
「ぁ……!」
そう言いながら腹を撫でていた手が更に下へ。皮膚を撫でられる気持ちよさで緩く頭をもたげ始めていた陰茎に、遠慮がちな指が這う。
「嫌なら言って」
「あ、あ、あ、」
そのまま陰茎を愛撫されて、強い刺激に腰が浮いた。元からあまり自分では触れない質だったから、他人の手でそうされるのは怖いくらいに気持ちが良い。その証拠に緩く頭をもたげているだけだった陰茎はすぐに勃ち上がって天を向き、とろとろと涎を零し始めていた。
「や、あ、ら、ラフィ……!」
「気持ち良くない?」
「ちが……怖い……」
物心ついたころから踊りにしか興味がなかった。踊りの材料として、手にして耳にした物語で色恋も愛のなんたるかも覚えた気になっていたけれど、それは物語の中だけの話であって、こうして誰かと褥をともにするのは初めてだ。さっき彼に見せた刺青も、それが入っていることはミセス・ディオーペくらいしか知らないし、それがどんな形をしているのかは呪墨師と自分しか知らない。圧倒的に肉欲に対しての免疫がない俺にはラフィスラの与えてくれる快楽は気持ちが良すぎて怖いくらいだった。
「怖くないよ。触っているのは全部私だから」
「ぅ、あ、」
未だ上手く精を吐き出せずにいる俺の陰茎を愛撫しながらも、指の先は陰嚢の方、そしてその後ろへ触れるようになっていた。いくら色恋の実経験がないといっても、どうやって性交をするのかくらいは知っている。その準備が着々と整えられていくようで緊張が高まっていく。そうは言っても、何度か香油を継ぎ足しながら潤し拡げ、ラフィスラを受け入れられるようになるころには羞恥も緊張もどこかへ置き忘れてしまっていたが。
「入れるよ」
体温が上がったために強くなった花の香りはむせ返りそうなほど。腰に触れたラフィスラの手のひらが熱くて、そこから融けていきそうだと思った。小さくうなずくと、なだめるみたいに額に口づけが降ってきて、それは唇に移って深くて激しい口づけに変わった。
「あ、あああ……っ!」
指を含まされていた時よりも強い圧迫感に喘ぐ。苦しいのはラフィスラの方も同じようで、幾滴か汗が散って顔に落ちた。それを拭う余地もないまま、肚の中を押し進もうとする陰茎に鳴かされる。
「っく……」
「っあ……!」
身体の奥までいっぱいに満たされた感覚がしてラフィスラの動きが止まる。自分がなにか粗相をしているのではないかと思って問えば「大丈夫」と声が返ってきた。
「嬉しすぎて、長く入っていたいだけ」
「!」
はにかむような甘い顔で答えるラフィスラがあまりに嬉しそうで、陰茎を咥えた肚がぞくりと疼く。そのごくわずかだった疼きが小波のように身体を満たしていくのにそう時間はかからなかった。
「は、ぁ、あ、あッ――……!」
襲い来る快感の波が恐ろしくてラフィスラを呼んでその身に縋る。思考が白く灼けて身体が強張るのは分かった。
「大丈夫?」
「っ、だ、いじょうぶ……っあ……!」
「ごめん」
ゆるりと腰を使われて、落ち着きを取り戻し始めた内壁が再びざわめく。思わず腰が揺れたのをラフィスラは「可愛い、上手」と褒めた。それだけでもう嬉しくて気持ちが良くて、肚の中が疼いてしまう。
「あ、あ、あ、あ、」
生々しい水音が立つほどに内壁を擦られ、堪えきれずに声が出る。いつの間に果てたのか、吐き出した精がふたりの腹を濡らしていた。
「――レスティ」
甘く甘く愛おしそうに俺の名を呼んだラフィスラが、ひときわ強く腰を掴み自身の腰を押し付けた。最奥が濡れるような感覚に、どうやらラフィスラが中で果てたらしいと知る。
そのまましばし俺たちは言葉もないまま抱き合って、それからそっと唇を合わせた。
「王族はみんな王宮に住んでるんだと思ってた」
肌触りのいい敷布に包まりながら正直な感想を漏らすとラフィスラは軽快に笑った。
「たいていはそれぞれの宮に住んでるよ。私も帰れば滞在できる部屋は持ってるけどね」
あっちは色々と面倒くさくて、とラフィスラが言い、隣に横たわったまま俺の髪を指で梳く。
「仲が悪い?」
「そういうわけじゃないよ。でも、三男坊の私はあそこに住まう必要もないし、仕事をするにはこっちの方が動きやすいから」
「三男坊、ってことはお兄さん方が?」
俺に兄弟はいないので兄弟がいる感覚が分からない、と思いながら問うと、「いるよ」と苦笑が返ってきた。
「似てない三つ子の兄がふたり。先に生まれてきた方から順に数えて、最後に生まれてきたから三番目、ってね」
「めちゃくちゃ僅差だな」
「だろう? でもおかげで暢気に生きてるよ」
くすくすと笑いながらラフィスラが「だから君を堂々と娶れる」とのたまう。
「……本気で言ってるんだ……?」
「君を弄ぶ悪い王子の方がいい?」
言いながらのしかかられて思わず笑う。まだ寝室に残る香油の香りが、鼻腔を微かにくすぐった。
「俺は踊っていられればそれでいいし、踊り子として最期まで踊っていたいってことしか考えてなかったけど、」
ミメッティの一件の時に口走った本音。踊れるならどこでだっていいし、踊れるならば死んでもいい。例えば、踊ることが重罪となる世界に堕ちたなら、投獄されてでも踊りたいと思うし、足を失っても手を失ったとしても、表現する方法があるならどんな無様な姿を晒してでも踊りたい。そんな「踊ること」しか頭の中になかった俺――だったけれど。
「もしも、そんな俺でも買いたいっていう馬鹿がいるんなら、横暴で自分勝手なやつよりは誠実で思慮深いやつの方がいいな」
「君の眼鏡に適うように努力はしよう。……というわけで私はどうかな?」
「俺みたいなのを買う物好きはアンタくらいだよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
ふたりで小さな声をあげて笑う。ひとしきり笑って落ち着いたところでラフィスラがそっとそれを口にした。
「近い内に、踊り子としての君を買い入れようと思う。もちろん君の都合と店の都合もあるだろうから、数ヶ月はかかるかもしれないね」
ミセスは俺がラフィスラに輿入れることに随分と乗り気だったから、話は早く進むだろうとは思う。ただ、彼のものになったあとも店で踊り子を続けたいという俺の要望が通るかどうかの不安はある。一度輿入れしたものの事情があって戻ってきた人は何人か知っているけれど、そうではない人が踊り子を続けていた例は見たことがなかったからだ。それを素直に言うと、ラフィスラは自信ありげな声をあげた。
「君は初めて男のチャリコーラに上り詰めた踊り子だよ? 新しい舞台を開拓するのは得意のはずだ」
できるよ、と額に口づけられながら囁かれれば悪い気はしない。
「君は踊り子を続けながら話を進めて。きちんと君を娶った暁には小さな婚礼も挙げよう。私の実家が実家だから少し大掛かりになってしまう可能性もなくはないけど」
「ヒッ」
数年前に見た傍系王族のお嬢さんの嫁入りの光景を思い出す。あの時は街中お祝いムードで、パレードなんかもあって、式典が進む度に号外が撒かれて大変な騒ぎだった。「小さい婚礼」がどの程度を指すのか、ラフィスラの言動からはうかがえないが、ああいうのは困る。
「たかがいち側妻にそこまでしてもらういわれは……」
「…………側妻……?」
「え……?」
俺の遠慮にラフィスラが目を丸くする。わずかに沈黙が流れ、次に立った音はラフィスラの大きな溜息だった。
「私は、側妻を娶るつもりはないよ」
「へ」
「君のことは、正妻として娶るつもりだし、君以外には誰もいらない」
「は」
真剣なまなざしの瞳の奥に、間抜け面の俺が映っている。
しかし、そうなのだとしたら、スキャンダルどころの話ではない。常識的じゃない、と困惑する俺を彼は笑い飛ばして抱きしめた。
「前例のないチャリコーラと、前例のない同性の正妻を娶る第三王子。お似合いじゃない。ふたりで楽しく踊ろうよ」
「うぇ……うわっ!?」
ラフィスラがにやにや笑いながら、敷布の上に俺を転がす。
「でも今は、もう少しだけ。……私のためだけに踊って」
包まっていた敷布の隙間から差し込まれた手が、内腿の刺青の上を辿る。熱っぽい視線とその仕草に色事の気配を感じて思わず身を震わせた。
「……すけべ……」
「なんとでも」
照れ隠しにつぶやいた抗議の言葉は笑い飛ばされる。ようやく知ったその熱を求めて、俺はそっとラフィスラの背に手を回して口づけをねだった。
20220914初出
20221111再掲
鳥鳴コヱス
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