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「やあレスティ。今回も無事チャリコーラ候補に残れたらしいね。おめでとう」 「おかげさまで」 季節は初夏に差し掛かろうという頃の夕刻、開店とほぼ同時に顔を見せたフィルはそう言って微笑んだ。この頃、チャリコーラ候補は俺を含め5人ほどに絞られていた。この後も、素行や踊りの技術、人気や見目などの複数の要素を見極められ、最終的に王の御前で腕前を披露する《御前選定》を経て、適性を認められたひとりだけが春の大祭でチャリコーラを名乗って舞を奉納することになる。 「今日は、外へ食べに行こうと思うんだけど、どう?」 「ステージの予定が……」 今日の出番は最後から二番目。ステージに穴を空けるのは論外として、その時刻の頃までに戻るか、出番を早めてもらうか。そう思いながら返事をしようとした俺の耳に、店の隅で雑談をしている踊り子たちの声が聞こえた。 「なんで、アレが残ったんだか」 「仕方ないわよ、あの子、ミセスに気に入られてるもの」 「男のくせにチャリコーラに執着して、見苦しいわね」 彼女たちはこの前の選定でチャリコーラ候補から漏れた踊り子たち。話しているのは俺のことだろう。最近の彼女たちの噂話には、俺の話が良く出てくる。もちろん、良い意味ではなく、陰口の部類だ。 「——出ましょう」 「出番はいいの?」 「今日の出番は閉店前の頃なので」 のんびりしているフィルのことだから、気にも留めないだろうし、気が付いたとしても俺のことを言っているとは思わないかもしれないが、俺の陰口が囁かれているところをあまり聞かせたくなくて彼を急かす。彼はそれに気づいた様子もなくうなずいた。 「ミセスに許可を取ってきます」 「ああ、じゃあ待ってるよ」 ひらひらと手を振って見送るフィルに背を向けて、店の奥にいるミセス・ディオーペから外出の許可を取るために通路をゆく。その間にも「異端の踊り子のくせに」とか「本当は潔白ではないのではないか」などとささやく声があちこちから聞こえてくるが全て聞こえないふりをした。 ミセスに外出許可を取り、フィルに連れられて店を出る。連れられて向かった先は《プレーナ》、王都でいま一番人気があると言われる大衆酒場だった。人気というだけあって店は盛況で、テーブルの間を店員が忙しく行き来している。既に飲食を始めている他の客たちのテーブルを覗き見れば、美味しそうな料理が並んでいた。プレーナの食事は美味しいらしいと噂では聞いていたし、一度食べてみたいな、とは思っていたのだが、これだけ混雑していると食事をするのが遅くなるのではないかという不安が先に湧いてくる。そう思っている間にフィルが店員に声をかけ、席に通されてしまった。 「踊る前に酒は嫌だって言ってたよね。お茶と果実水、どっちがいい?」 踊り子たちの中には、踊る前であっても気にせずに酒を飲む人もいる。でも、俺は酩酊しながら踊りたくはなくて、出番の前はどれほど時間が空いていても酒は飲まないことにしている。軽く言っただけのそれを覚えていたフィルを意外に思いながら穀物を煎じたキーアン茶を注文する。それとフィルがラナ酒を注文すると、店員は他の注文も聞かずに去っていった。飲み物と料理をセットで頼むのが普通だろうにいいのだろうか、と思いながら様子をうかがっていると、さほど待たずに店員が戻ってきた。ふたり分の飲み物と、大きな盆にいっぱいの料理を手に。 「踊る直前に食べたくない、って言ってたから、レスティが食べられそうな料理を先に頼んでおいたんだ。好きなものだけ食べて」 「覚えてたんですか」 踊り子としてのプライドを満たすための些細なこだわりを覚えられていたことに驚きを隠せず、思わずそう口にするとフィルは「君のことだもの」と笑った。 「それに、君が誰よりも綺麗に踊るためのことだからね」 「……!」 踊り子の中にも「踊りを踊る者」としての仕事を玉の輿や金稼ぎの手段としてしか見ていない者がいるように、客の中にも踊り子を「踊りを踊る者」として見ていない客がいる。俺も踊る前に酒は飲みたくない、と主張して酔客に恫喝されたことがあるし、それが怖くて己の主義主張を捻じ曲げてしまった踊り子を何人も見た。 「伝統に則った女性の踊り子たちも優雅で華やかだとは思うんだけど、君の踊りは、そうだなあ、しなやかで瑞々しい、っていうか。力強さが違うんだよね」 俺の無言を気にした様子もなく、彼が俺の踊りをそう評す。彼とこうして食事をするようになってしばらくになるけれど、未だに面と向かって褒められる気恥ずかしさには慣れなくて、照れをごまかすようにキーアン茶をすする。 「自然に生きているものの命の強さとか生き様を垣間見させてもらっているような心地がする」 「っ」 俺の踊る様でも思い起こしているのか、どこかを見るように視線を泳がせたフィルがそう言ってやんわりとはにかむ。 「この前の剣舞なんか、特に綺麗だったな」 彼が言うのは大昔の戦争で活躍し、「戦神」とまで呼ばれた剣の達人とその彼が身を投じた戦いの伝説をなぞる剣舞『リマ・スターロ』のこと。踊りの主題が戦いであることと、主役が男であることもあって、この演目で俺の右に出るものはいない、とまで言われている、俺の代表的な演目だ。 「っ、ありがと、ござい」 「――あれ、アンタ、トゥルクオイんとこの踊り子じゃん」 唐突に隣のテーブルからそんな声がかかる。男が3人、どうも強かに酔っているらしく、呼気は酒臭かったし、呂律も少し怪しかった。 「アレだろ、異端の踊り子」 「はー、確かに、女みたいな綺麗な顔してるもんなあ」 「あれ、オマエ見たことない?」 声をかけてきたくせに俺そっちのけで会話を始めた彼らに困惑していると、男のひとりが「そうだ」と思いついたような声をあげた。 「ここで会ったのもせっかくの縁だ、なんか踊れよ」 「は……?」 突然の物言いに困惑の声が出る。プレーナは大衆酒場であってステージはないし、トゥルクオイと違ってお針子たちも楽士たちもいない。俺の踊り子としてのプライドからしたら話にもならない要求なのだが、だからこそ反応が遅れた。こういう時は即座に断るものだと、嫌というほど知っていたというのに。 「踊り子が踊るって?」 「いいぞ! 踊れ!」 そのやり取りに気づいた近くの客たちがそれに反応を示し、更にその近くの客たちが気づき、話が広がってゆく。その誰もが程よく酔っぱらっていて、気が大きくなっている。助けを求めたつもりはなかったのだが、なにかしらの迷惑がかかってしまうかもしれない、と思ってフィルを見ると、困ったような顔で返された。 「その、俺は、」 踊れません、と言おうとして口を開く。そんな俺を遮るように、庇うように、フィルが立ち上がった。 「申し訳ないのですが、今の彼は私の連れです。なので今は踊れません。彼の踊りが見たいのなら、しかるべき時に、ぜひトゥルクオイへ」 柔らかく、けれど毅然とそう言ったフィルが優雅に一礼する。その様で興を削がれたのか、盛り上がった酔客たちが文句を言いながらも退散していった。酔客たちが各々のテーブルに戻ったのを見届けたフィルが俺に席を勧め、俺はそれに従って座った。 「すみませんでした」 「なにが?」 「…………」 今の出来事など起きてはいなかった、と言わんばかりに微笑まれ、続ける言葉を失う。 「……ありがとうございます」 ようやく落ち着いた席でとりあえず感謝だけを口にして食事に戻り、鳥の肉を焼いて甘辛いたれに煮絡めた料理、ティザーニにかじりつく。この料理はどこの店にもあるし、各家庭でも作られる庶民の味ではあるのだが、たれの調合が違うのでどれひとつとして同じ味がない。トゥルクオイのティザーニは甘みが強めだが、プレーナのこれはスパイスが強めで甘みが控えめ。酒の進みそうな味だった。 「君が人気者なんだってことを忘れてたよ。私の方こそすまなかった」 「俺のは人気なんかじゃない。物珍しいから、毛色が違って目立つから、色々言われたりするだけで」 苦笑しながらキーアン茶をもうひとくち。ティザーニのスパイスのせいか、なんだか暑い。 「……レスティ、君、頼んだのは酒じゃなかったよな?」 「?」 顔が赤い、と言われてようやく己の身に力が入りにくくなっていることに気が付いた。自覚したとたんに酒を飲んだ時のような酩酊感、それから、酒を飲んでもあまり覚えたことのない多幸感と、欲が己の身を襲った。 「——薬、か。さっきの騒ぎの隙に入れられたな」 飲みかけのキーアン茶の器に鼻を近づけたフィルが言う。 「立てるかい? 今日はもう戻ろう」 「っ、ふ、」 フィルに優しく腕を取られるが、感覚が鋭敏になっているらしく、その皮膚感覚にすら吐息が零れる。ざわざわと背筋を這い上る、不快な快感の波が邪魔をして足腰が立たない。 「レスティ」 「ッ」 優しい仕草ながら抱えあげられて息を詰める。暴れないでくれよ、と囁かれたけれど、身体が熱くて重たくて、暴れられるような余裕はなかった。 ただ、根拠も理由もないけれど、フィルだけは信じられるような気がして、俺はその肩に腕を回してしがみついた。
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