25人が本棚に入れています
本棚に追加
8
「レスティ、あんたまだ決めてなかったのかい」
ミセス・ディオーペの声で我に返った。チャリコーラに向けての舞台の稽古の休憩がてら、衣装部屋の片隅で例の箱を開けて眺めて思案をしていた俺はその言葉に飛び上がる。慌てて箱を仕舞おうとすれば、座りかけたミセスに「そのままでいいよ」と苦笑された。
「いい品だね」
「そうですね」
その箱の底に敷かれた艶のある布だけでも高級品だろう箱の中には未だ手つかずの装身具が一式収まっている。首飾りに腕輪、耳飾り、指輪、チェーン様のティアラまで、踊り子の盛装に必要な装飾品は全て。身に着けて踊れば、所々に散りばめられている細かなモチーフや、モチーフを模した鈴が揺れて繊細で優美な音が鳴るだろうと思われた。
「あの方は本気だよ」
目を見れば分かる、とミセスは言ってにやりと笑った。ミセスが言う「あの方」はもちろんラフィスラ王子のこと。
「あんた、「それを身に着けて踊ってほしい」って求愛されたんだろう?」
「!?」
「本人が言ってたよ。その上でそれがあんたのところにあるってことは、そういう話をされたんだろう?」
「う……ぁ、ま、まぁ……」
「私は、受けたらいいと思うけどね。あんたにとっても悪い話じゃなかっただろう?」
踊り子を買い入れる条件として、二度と踊り子として店に立たないことを求める相手はそこそこいる。いわゆる援助目的ではなく、伴侶としての話では特に。結局、娶った気に入りの踊り子が時には刺激的な衣装を身に着けて踊ったり、他の客の接待をしたりすることが見過ごせない、とする御仁は多いのだ。その点、俺は男の踊り子だし、そもそもとても人気、というわけでもないので心配をされなかったのかもしれないが、ラフィスラ王子の言う「やりたいのなら踊り子を続けてもいい」という申し出はかなり破格の話だった。けれど。
「……あの方、は、王族ですよ……?」
「いいことじゃないか」
「そう、なんですけど、そうじゃなくて……!」
伝説に擬えて、踊り子と王家の婚姻やそれに準ずる関係性は歓迎されるけれど、ここ近年はそういった話もとんと聞かなかったし、そもそも俺は異端の男の踊り子で、そんな俺が、側妻だとしても王族に関わってもいいのだろうか、という不安の方が強い。それを口にするとミセスは笑った。
「あの方がいいと言うんだ、大丈夫だよ。それに、あんたもあの方自体がだめだとはひとことも言っていないしね」
「!」
にやにやと笑うミセスに指摘されて頬が熱を帯びる。実際、ラフィスラ王子を王子と知らずに過ごし、彼をフィルと呼んでいた頃、彼と話すのは楽しかったし、毎週、彼が来るのを密かに心待ちにしていた。それを見透かされているみたいで居心地が悪い。
「――あんたがね」
ミセスが口元に笑みを浮かべながら口を開く。
「初めてウチに来た日。とんでもない子供が来た、と思ったよ」
悪い意味でね、とミセスが苦笑する。踊り子以外でもチャリコーラや踊り子に関われる職業はたくさんある。衣装や化粧などの世話をするお針子や、ステージの音楽を奏でる楽士、荷物持ちや特に人気の踊り子のスケジュール管理をしたりする世話役や、店や舞台袖の人の出入りを調整する調整役なんかには男もたくさんいる。俺はチャリコーラになりたい一心だったから踊り子以外に興味が湧かなかったけれど。
「私でも噂でしか聞いたことがない「男の踊り子」になりたい、チャリコーラになりたい、だなんて、ってね」
踊り子になる前はチャリコーラが選出される仕組みも知らなかったから、訪ねられる範囲の店は全て訪ねた。どの店にも「前例がない」「男の踊り子は育てられない」と断られ、最後に渋々うなずいてくれたのがトゥルクオイの店主であるミセス・ディオーペだった。
「しかも働かせてみれば、あんたはあんまり愛想もないし、礼儀も微妙だったし……一人前になるまで随分とヒヤヒヤしたよ」
「す、すみません……?」
思わず謝れば「昔の話だよ」と笑われた。
「どの子だってね、ウチにいる踊り子たちは自分の子供みたいに可愛くて、だからこそ碌でもない男に渡したくはないし、良縁に出会えることを願っているよ。あんたにもね」
ミセスは元々この店の踊り子で、踊り子として引退をするのと同時に先代からこの店を引き継いだのだと聞いている。その経験がある分、店の踊り子たちへの想いも強いのかもしれない。
「だから大丈夫だよ、レスティ。あんたは、「あんたがあの方を好きか嫌いか」で選んでいいんだ」
「ミセス……」
「本音を言えば「王族に輿入れする踊り子を排出した名店」の肩書があると、ウチの店に箔がつくんだけどね。そこはあんたが気にするところじゃないねえ」
合わせる衣装の発注の都合なんかもあるから、明日までには決めてほしいそうだよ、と言い残してミセスが席を立つ。
「どちらにしても、おまえの心ひとつだよ」
「…………」
ぽんぽん、と軽く肩を叩いたミセスは、それ以上なにも言うことなく部屋を出て行った。箱の中の装身具は、ラフィスラ王子のように柔らかで品の良い輝きを放っていた。
最初のコメントを投稿しよう!