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春の大祭、チャリコーラの演目は一種類に限られる。題目は太陽の神ヒェリオと月の女神チャリコの伝説だ。 太古の昔、昼も夜もなかった頃、太陽の男神ヒェリオと月の女神チャリコは無から生まれたとされている。まずはその誕生の歓びを、軽やかで華やかな調べに合わせて踊る。前後2段に分かれた舞台の前面で薄絹のショールを操って踊るのは今年のチャリコーラである俺。後方の舞台では、来年のチャリコーラになるかもしれない店の踊り子たちが祝福を踊る。去年はそこにトゥルクオイの踊り子たちがいて、ラフィスラ王子はこの場面を見て俺に一目惚れをしたらしいが。 軽やかにステップを踏み旋律に乗りながら視線を向けたのは、舞台から遠く離れた王宮のテラス。太陽の神の化身とされる王族はそこからこの舞台を鑑賞しているらしいが、俺の場所からは遠すぎて幾人かの人がいるようだ、ということしか分からなかった。ラフィスラ王子もあの一群の中にいるのだろう。 (一目惚れができる距離じゃないだろ……) そう思ってしまって、慌てて頭の中から彼の面影を締め出す。今は名誉あるチャリコーラの舞台のさなか。そんな私情を挟んでいる余地はない。 後ろの舞台で踊っていた踊り子たちが、踊りながらも端から順に捌けていき、ステージは次の場面へ。生まれた二柱は互いにないものを羨み、惹かれ、求め、契った。その末に生まれたものが人間だったという。これが月の女神チャリコの化身とみなされるチャリコーラが、太陽の神の化身とされる王族と結ばれることを歓迎する風潮の元になっている。現代ではそうとも限らないが、チャリコーラに選ばれるということは王の側妻になることと同義だった時代もあるらしい。 (だからって、俺じゃなくても) 今の王、ラフィスラ王子の父に当たる人物がチャリコーラを側妻に召し抱えたという話はない。その代わりとして彼は俺を側妻に召し抱えようとしているのかもしれない。――別に、俺はこうして踊っていられれば、それでいいのに。 ちりちりと小さくて高く澄んだ鈴の音が聞こえる。細い金の鎖の装身具のところどころに取り付けられた、小さなモチーフの形をした金の鈴が立てる音だ。ラフィスラ王子から贈られた、星のように輝いていたそれ。 (でも、俺は、楽しかった、から) 音楽は人間の誕生とそれに対する二柱の慈愛を最高潮の盛り上がりとして転調する。昼も夜もない世界、つまり時間の概念がない世界では彼らの子供――人間、は育たなかったのだ。それに気づいた二柱は互いの住まいを分けることを決め、そうして昼と夜に別れることとした。その悲しみと愛とをしっとりとした音楽で表し、感情を指先や傾けた首の角度にまで気を使って踊る。 王族がおわすテラスの距離から一目惚れができそうもないことはさっき確認した。あの距離からでは、俺がいまラフィスラ王子から贈られた装身具を身に着けて踊っていることも確認はできないだろう。だからきっと、あの言葉は優しい別れの挨拶だったのだ。真に受けた俺が愚かだっただけ。 舞台の真下にまで押し寄せた人々が歓声を上げたり手を振ったりとめいめいの楽しみ方で俺の踊りを見守っている。春を象徴する踊りを眺めるその表情はどれも明るい。 その歓声と視線を浴びながら、物語は終わりに向かう。人間への慈愛と太陽の神への情愛を抱えたまま、夜の世界の眠りと静寂を守る、夜の女王の気高さを踊り讃える。 普段よりも長いステージを最後まで全力で踊りきって、息を乱しながら一礼する。舞台から捌けるまでのわずかな時間で見物人たちの歓声や拍手に応え、みんなの明るい表情を眺め。――と。 「っ」 笑顔の見物人たちの中に。見知った姿を見た。 (なんで) 穏やかに緩やかにこちらへ手を振るその人はラフィスラ王子。もしかしたら去年もこうして見ていたのかもしれないと思うほど群衆に馴染んでいる。王族は王宮のテラスから見ているはずじゃないのか、とか、護衛もつけずに群衆に紛れているなんて信じられない、とか、そんなことよりも先に。 (ああ、だめだ……) ひしめき合う群衆の中に埋もれる彼を見つけ出せてしまったことにそう思った。俺は、この人混みの中からたったひとりを見つけ出せてしまうくらいには、この人のことが好きなのだ。 そう自覚しながら舞台を後にする。舞台の終盤に撒かれた紙の花弁の名残がどこからか飛んできてはらりと舞った。
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