第12話 機械人形のアトリエ

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第12話 機械人形のアトリエ

 青年と猫との邂逅(かいこう)から(さかのぼ)ること3時間前。  ミシェルはパリ郊外の邸宅を訪れていた。  市内から無人タクシーで1時間半。かつての城塞都市の面影を残す街並みは世界遺産に指定されている。  中世にタイムスリップしたような石造りの建物が連なる街。  季節が終わり株だけを残した名産の薔薇が、静かに冬を耐え忍んでいる。  そんな街の一角に、門を固く閉ざす(おごそ)かな豪邸があった。元は古い貴族の別荘だったとか。  広大な庭を進むと、水の張っていない不気味な大型噴水が現れる。そのすぐ後ろの一段高い場所に、ルネサンス調のクラシックな造りの屋敷があった。  夜ということもあり、その出来過ぎた雰囲気に圧倒されそうになる。  対称美を誇る大きな両扉を開け、石材が美しいアーチを描く中庭を抜けた先――そこがフランチェスカのアトリエだ。 「よく来ましたねM2。さあ、こちらへ」  オペラ座の怪人よろしく、仮面とローブで全身を隠すフランチェスカが、両手を広げてミシェルを招き入れる。  M2……二番目のミシェル。この簡素な作品名は、クロエの前ではけして口にしない。  ライトアップされた試験台へ招かれ、荷物を置いたミシェルは素直に従う。  室内に所狭しと並ぶ義足や義眼が、創造主の最高傑作をじとりと見つめた。  ミシェルは無感動に衣服を足元へ落とす。一糸纏(いっしまと)わぬ姿になり、用意されていた検査着へ素肌を通す。  サイバーサングラスを外した瞳が照明の光を吸い込み、七色に(きら)めくディスパージョンを放った。 「ノエルがいないのは、残念です」  世間話のつもりなのだろうか。それともミシェルの疑念を承知であえて(あお)っているのか。  感情が乗らない声に視線だけを返すと、技師はスキャニング装置のセットアップを始めた。 「僕がスリープしてる間、いつも姉様と何をしているんです?」  クロエは誤魔化すばかりで教えてくれないから。こういう機会でない限り、もう一人の当事者を問い詰めることなどできない。  試験台に腰掛けたミシェルは、淡々とメンテナンスの準備をする背中を見つめた。 「添い寝です」 「添い寝?」 「ええ、添い寝」  それを鵜呑(うの)みにすると思われているなら心外だ。  結局、フランチェスカも真実を話す気などないのだろう。  ミシェルはそう結論づけて、不満気な表情で仰向けになった。  相手は特に気にする様子もなく、まな板の上に置かれた上質な(こい)を見下ろす。 「あなたを手掛けたことで、私の寿命は50年延びました」  そう言いながら、白い肘にある小さな穴へ針のような専用器具を差し込む。  ストッパーが解かれた腕が外れ、配線やオイル(くだ)が詰まった関節部が露わになった。  接続部を慎重に外す指先は素手だが、人肌の温もりは一切感じられない。 「あなたはまだ生まれたばかりのサイボーグ。肉体を惜しんでいるうちは理解できないと思いますが、自分が何者なのか忘れてしまった時ほど、人肌が恋しくなるものです」 「それを姉様で解消しないでください」 「ノエルが望んだことです」 「あなたがそう差し向けた」 「選んだのも彼女です」  (らち)が明かない問答はしばらく続いた。  身体中をまさぐられているミシェルでさえ、フランチェスカという存在の全容を知らない。  一体いつから肉体を捨て、自分自身を忘れ去るほど長い時を過ごしているのか。得体が知れないということに関しては、デイドリーマーズと遜色ない。  むしろこうして言葉を交わせるからこそ、(かえ)ってその不気味さが際立つ。 「人間性を捨ててまでフランチェスカ様をそうも突き動かすものは、一体何なのですか」  グリスが塗られた刷毛(はけ)で五感の端子を撫でられると、ぞわりとした悪寒が押し寄せた。  あからさまに顔をしかめるミシェルの反応を見ながら、次にフランチェスカは革布で丁寧に塗り込んでいく。  そして普段の淡々とした口ぶりで言った。 「復讐です」 「復讐……?」 「あの化け物共をこの地球上から一匹残らず(ほうむ)り去るまで、私の復讐は続くのです」  無機質な仮面に押し込まれた得体の知れない腹の中を覗き見たミシェルは、正直に言うと拍子抜けしてしまった。 (あなたほどの人が、そんな原始的な感情に支配されて人間であることをやめるなんて……)  だからこそ、これ以上クロエをのめり込ませてはいけない。  妄信的な彼女のことだ。フランチェスカと運命を共にすると言い出しかねない。  復讐などという空虚で冷たい炎に、わざわざ身を焼かれる必要はないのだ。そんな呪いは、血の通わない自分たちのような存在が請け負おう。 「ノエルがいないと案外饒舌(じょうぜつ)なのですね、M2」 「その言葉、そっくりそのままお返しします」 「無駄口を叩けないように舌を取ってしまいましょうか」 「そんなことをしたら姉様が黙っていませんよ」 「冗談です」  全く冗談に聞こえない声色のまま、メンテナンスは進む。  四肢を順番に取り外し、内部を清掃して新しいオイルとバッテリーに入れ替える。その間にスキャニングが完了した。  前回のメンテナンスから今日までに脳へ蓄積された情報のバックアップを取り、精査する。記憶を電子情報化できるのもミティアライトの恩恵だ。  サイボーグやヒューマノイドの重要機関である七色に光る石がなぜ『瞳』などという外部へ(さら)される部位に設計されたのかと聞かれたら、ロボット工学者たちのロマンとしか答えようがない。  そうして全身のメンテナンスを始めて、2時間ほどが経過した。  腕や足などの一部を機械化している一般人が徐々に増えてきているが、ミシェルのように全身サイボーグ化した事例はまだ珍しい。  技術的に困難という側面もあるが、人類はまだその領域に足を踏み入れるのを躊躇(ちゅうちょ)している。  本来ミシェルも脳だけを残すのではなく、人格を含む全てをデータ化してヒューマノイドとなった方が、整備面でも色々と効率的だ。  生身の部分と機械的な技術を繋ぐのは、単純にアンドロイドを作ることより難しい。  それでもわざわざ困難な道を選ばざるを得ないのには理由があった。  不可視の怪物が視えるウォッチャーにとって、目とは眼球ではなく脳を指す。  情報転写式具現装置(リアライズ)の原理をはじめ、デイドリーマーズの存在は理解度に依存する。  そのためウォッチャーには生まれながらに怪物の情報が脳に植えつけられているというのが、有識者によるここ最近の見解だ。  脳さえあればデイドリーマーズの視認能力を失わないことを最初に証明してみせたのがフランチェスカの全身換装であり、証拠の裏打ちとなったのはミシェルの実績。今となっては「上層部はウォッチャーのサイボーグ化に積極的だ」という(おぞ)ましい声も聞こえる。  どこまでを想定していたのかはわからないが、全ての事象がフランチェスカの望むまま帰結しているように思える。ミシェルが疑念を抱くのも無理はない。 「さて、終わりましたよ。あとは再起動してスリープモードに――」  機械人形の名技師がそう告げた瞬間、アトリエに電子的な警報音が鳴り響いた。  フランチェスカは一度その場を離れ、部屋の隅で赤く点滅するホログラム投影機の電源を入れる。 『フランチェスカ統括!』 「どうしました」  若いサイボーグはメンテナンスが終わった手足を軽く動かしながら、その会話に聞き耳を立てる。  相手は統括部の人間だろうか。かっちりとした黒のスーツを着た男性のホログラムが顔を青くしている。 『それが……市内のペンギン型が一斉に移動を開始しました! ノール・ヴィルパントへ向かっています!』 「何ですって!?」  今度はミシェルが驚愕(きょうがく)の声を上げて、試験台から飛び降りた。  ジャパンフェスタは明日からのはず。結局は怪物相手に人間の理屈など通用しないということか。 『目視で確認できるだけで500……いや、600体が最短距離で市内を北上中! このままでは先頭が30分足らずで会場に到着します!』 「会場には今、クロエ姉様しかいないんです……僕が行きます!」  バックアップ後のスリープに移行している時間はない。  検査着から着替えて今にも屋敷から飛び出そうとするミシェルだったが――。 「待ちなさい」  温度のない声が、彼を引き留めた。  苛立った様子で振り返った自分の作品に、フランチェスカは仮面の奥で光る七色の瞳を細める。 「人手が必要でしょう。私も出ます」 「フランチェスカ様が……?」  懐疑的な声で返すミシェル。彼はフランチェスカの戦う姿を見たことがない。欧州監視哨(おうしゅうかんししょう)のトップに座してから、その銃口はずっと冷たいままだ。  だが、クロエとミシェルの二人だけでは心許ないのもまた事実。今は少しでも戦力が欲しい。 「こちらへ」と言って素早くローブを(ひるがえ)したフランチェスカを追い、ミシェルは無心でアトリエの外へ飛び出した。
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