最終話 祝福

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最終話 祝福

 クリスマスイブの早朝。  シャルルドゴール空港は、ジャパンフェスタへ向かう観光客でごった返していた。  しかも予想外の積雪量で交通網が麻痺し、人の動きがいつにも増して悪い。  そんな魔窟(まくつ)に降り立った金髪の青年が、大きなアルミ製のトランクケースを片手に、手早く通信ガジェットを開いた。  均衡が取れた精悍な顔立だが、(ひたい)から左目にかけて残る大きな傷跡が、彼を浮世離れさせる。  パリッとした黒いコートは一番上までしっかりとボタンがされ、几帳面な性格が滲み出ているようだ。  その隣では、人工的なピンク色の髪を二つに縛った愛らしい少女が頬を膨らませている。  彼女の両眼に光るのは宇宙の石、ミティアライト。 「もう! どうしてせっかくの聖夜におフランス連中の手伝いなんてしなくちゃいけないんですかぁ!」 「人手が足りないのはどこも一緒だろ。それにクリスマスではしゃぐフィリップさんの近くにいても、(ろく)なことがない」 「それは同意しますけどぉ」  去年は「善良な摂食種(イート)くんへクリスマスプレゼント届けに行こう!」と破天荒なことを言い出したフィリップに連れられ、一日中クリスマスチキン配りに従事させられた。チキンと言ってもドイツで食べられるのはガチョウの方だが。  季節柄大量消費されるガチョウの丸焼き。そこに微かに付着した魂の残滓(ざんし)を温厚な摂食種(イート)に配り歩こうだなんて、さすが狂犬の考えることはウィットに富んでいて(はなは)だ理解し難い。  挙句の果てにはガチョウの肉をミュンヘン中に落としていく不審者として、三人は優秀な警官のご厄介になってしまった。  そんなアホらしい聖夜を迎えるくらいなら、真面目に仕事をしていた方がいくらか気晴らしになるだろう。  ドイツ支部の精鋭であるユリウスとカタリナには、聖夜を共に過ごす恋人などいないのだから。 「……まったく。何で電話に出ないんだ、あいつ」 「クロエ先輩ですぅ? ユリウス先輩、相当嫌われてますからねぇ」 「いくら彼女でもそれくらいの分別はあると信じたいが……」  そもそも向こうから応援を頼まれて来ているのに。  フランス人は時間にルーズと聞くが、呼び出すだけ呼び出して放置とはいかがなものなのか。  ユリウスが眉間のシワを深めていると、通信ガジェットから着信音が鳴る。  噂をすれば、フランスの癇癪(かんしゃく)女からの折り返しだ。文句の一つでも言ってやろうと通話ボタンを押す。 「おいクロエ、今どこに――」 『応援ってドイツのワンコだったの? ならもう必要ないわよ』 「……何?」  開口一番に挨拶もなく、まさかの一言。  相変わらずの態度に詰め寄る気概も削がれるというものだ。 「ちょっと待て、こっちは時間通りに到着したんだが」 『遅いのよ、まったく! もうとっくに片付いてますぅ! 徹夜組舐めないで!』 「何の話だ……?」  ちっとも理解できない。しかもいつもに増して機嫌が悪い。  ユリウスがフリーズしている間に、電話口の向こう側では『姉様、代わってください』と弟の方の声がした。 『ロマンス・インパクトは深夜に決着がつきました。連絡が遅れてすみません。ちょっと……色々と立て込んでまして』  ミシェルに代わった通話口の奥からは、なぜか「びぇえええええ゛え゛っ」というクロエの慟哭(どうこく)が聞こえる。  相変わらずわけのわからない姉弟だと、ユリウスは溜め息を(こぼ)した。 「解決したのなら構わないが……」 「ユリウス先輩、私にも貸してください」  カタリナはガジェットを受け取ると、ビデオ通話に切り替える。  空中へ光学投影された映像に映ったのは、姉のために似合わないサイバーサングラスをかける健気な少年。  年齢に合わせて全身換装を繰り返しているカタリナと違い、彼は寄宿舎で口喧嘩をしていた姿のままだ。 「ミシェルは相変わらずお姉さん離れが出来ていないんですねぇ」 『カタリナ……』  少しむっとした様子を見せる友人に、少女は安心したように微笑んだ。  大丈夫。彼はまだ、冷たい機械に染まりきっていない。 「お誕生日おめでとうございます、ミシェル」  人の年輪を刻める間は、失いたくない温もりがある。  同じような境遇にある二人が心と信じるものを通わせる様子を、ユリウスとクロエはじっと見守っていた。 * * * * * *  ドイツ支部の二人との通信を切った瞬間、クロエは自宅のテーブルに突っ伏して再びわんわんと泣き始めた。  朝からずっとこの調子の姉に、ミシェルはどうしようかと首を捻る。 「姉様、そんなに落ち込まないでください」 「無理よ、私はミシェルが欲しい物一つ手に入れられない駄目なお姉ちゃんだもの!」  感情的になった彼女は、額をかち割る勢いでテーブルへ何度も叩きつける。  せっかくのミシェルの誕生日に、クロエがここまで乱心している理由とは……。 「ペンギンたちがちゃんとマナーを守っていれば、絶対勝てたのに!!」  呪い殺しそうなほどの恨み節で語るは、午前0時開戦の新型サイーバーサングラスを賭けたクリック戦争。  徹夜組ペンギンを撃退している間に、なんと開始3分で売り切れてしまったのだ。  まさかの不戦敗にクロエは発狂し絶叫。  フランチェスカはミシェルの応急処置をしながら「本当に愉快な姉弟ですね」と淡々と呟いた。 「手に入らなかったものは仕方ないです。僕は全く気にしてませんよ」 「私が気にするの! 誕生日会の準備も全然できなかったわ! レストランの予約だって間に合わなかったのよ!? こんなのお姉ちゃん失格よぉ!!!」  両手で顔を(おお)い、再び泣きじゃくり始めたクロエ。  全てはペンギンのせいであって、彼女の怠慢ではない。それがわかっているのにどうして責められようか。  それに――ミシェルが本当に欲しかったものは、サイバーサングラスではないのだ。  彼はクロエの傍に膝をつくと、血圧の上昇で顔を真っ赤にしながら顔をぐちゃぐちゃにする姉の手を握った。 「ミシェル……?」 「ごめんなさいクロエ姉様。僕、嘘を吐いていました」  ぱちり、とゆっくり瞬きしたクロエをじっと見つめ返す。  いつだってミシェルを見守ってくれた金の瞳。  それを見ていると、心臓の代わりにバッテリーが埋め込まれた胸に火が灯るようだった。 「僕が本当に欲しかったのは、サイバーサングラスなんかじゃないんです。ずっとずっと、願っていることがあって……」 「そう、なの……? 教えてちょうだいミシェル、あなたが望むなら何だって叶えてあげたいの!」  切願するクロエは詰め寄るようにして声を震わせた。  そんな彼女の手を握る力を強め、ミシェルは生まれて初めて本当の願いを口にする。  もう後悔しないように、この身体で生きていく真っ当な理由を作れるように。そう自分の墓に誓ったから。 「クロエ姉様に、誰よりも幸せになってほしいんです」 「え……」  呆ける顔すら美しくて、ミシェルは思わず口元が緩んでしまう。  きっと、考えたこともないのだろう。 「人と違う幸せでもいいです。すごくちっぽけなことでも、変だなって思われることでも。姉様が幸せになってくれることが、僕の唯一の望みです。それ以外は要りません」  クロエが身を粉にして弟の幸せを祈るように、ミシェルもまた、いつだって彼女の幸せを願っていた。  粗末な毛布の中だろうと、配線に繋がれたアトリエだろうと。  どんな場所にでも、どんな身体でも。彼が望むのは、たった一つ。 「僕のお願い、叶えてくれますか?」  その問いが、未だに彼女を(さいな)む地獄の夜と重なった。  だが、胸が裂かれそうなあの(むご)い願いとは全く違う。  クロエはひくりと震える唇を結び、自分の手を包むミシェルの指先に額をくっつける。  祈るような仕草にも見えた。  どんな形であろうと、生きていることへの祝福を。  こんな身体にした愚かな姉を(ゆる)してくれる無償の愛に、感謝を。  どれだけ伝えても伝えきれない。どんな言葉を選んでも物足りない。  押し潰されそうなほど巨大に膨らんだ愛情が、涙となって溢れ出た。  ミシェルは自分の指先をしっとりと濡らす感覚に、思わず苦笑してしまう。 「さっそく泣いてるんですか? 僕、姉様の笑顔が見たいなぁ」 「グスッ……じゃあ、ここ」  そう言ってクロエが指をさしたのは、自分の前髪。  一瞬何を求められているのかわからず、思わず指でそっと撫でる。すると「ちがう」と不満の声が。 「ミシェルからの祝福をちょうだい」  急にワガママになった姉が、ミシェルはどうしようもなく愛おしい。  与えてくれるばかりだった人から何かを求められる喜びを、初めて知った。  細く柔らかな前髪を()いて現れた形の良い額。テーブルにたくさんぶつけさせいで、少し赤くなっている。  期待で(とろ)ける金の瞳に見つめられて、少しだけ気恥ずかしい。でも、それ以上に―― 「大好きです、クロエ姉様」  そっと押し付けられた薄い唇を感じて、クロエは口元を綻ばせた。  優しい共依存の銀髪姉弟は、ミルクとオイルの匂いがする。
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