第10話 骨が燃えても

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第10話 骨が燃えても

 12月24日と聞いて何を思い浮かべるだろう。  そう、クリスマスイブだ。  だがクロエは違う。 「ミシェルが成人する記念すべき日なのに、どうして国民の祝日じゃないの!?」  本気でこんなことを言っている彼女にとって、その日はキリストの降誕祭などではない。愛する弟の前では神の子すらおまけのようなもの。国事である。国を挙げて祝って(しか)るべきだ。  ――なのに、それなのに! 「しんちょくはーーーーーー!?!?」 「しんちょくっしんちょくっしんちょくっ」 「しんちょくぅぅぅううううう!!」  市内の路地裏に追い込んだペンギンが狂ったように喚く。  それに一切耳を貸さないクロエの弾丸が、白い腹を貫いた。  ペンギンの狙いはジャパンフェスタ――そう踏んだノエル姉弟は市内のパトロールを強化し、目につくペンギンを片っ端に駆除していった。  デイドリーマーズ用の弾を食らって内側から爆散した3匹をミシェルがアイデバイスに記録すると、サイバーサングラスに表示されたカウンターが動く。これでトータル89匹目。 「さすがです、姉様」 「当然よ」  ガトリング銃を構えたクロエは得意げに言うが、その顔色は優れない。  開催日が近づくにつれ、ペンギンの数は目に見えて増加している。手あたり次第に駆除してもきりがないほどに。  一体どれほど巨大な群れに成長しているのか。いくら脆弱な摂食種(イート)と言えど、二人には脅威に思えた。しかも群れの統率者である喫食種(テイスト)の姿は未だ確認できていない。  ペンギンによる連日の進捗お問い合わせは焦りという不安要素となって、着実に効果を表している。クロエは先日のトマに対する失言を少しだけ悔いた。  しかも何の因果かイベント当日はミシェルの誕生日で、ついでのついでにクリスマスイブでもある。 「国民の祝日どころかペンギン共の晩餐会だなんて!」とクロエが頭を掻き(むし)ったのは、言うまでもない。  そしてとうとう、ジャパンフェスタが前日に迫った。  根城にしている教会の一室をプロジェクターの光が満たす。  今日も36体のペンギンを駆除した二人は、明日の開催に向けて対策を練っていた。  大きなスクリーンへ投影された会場図に、剣呑(けんのん)なゴールデンアイが向けられる。 「よりにもよって会場がノール・ヴィルパントなんて……広すぎて警護のしようがないじゃない」  パリの北部に位置するノール・ヴィルパント展示場。  グルメやファッションの出展など、さまざまなイベントが開催される大型施設だ。  約25万㎡にも及ぶ広大な会場を守り切るには、それ相応の人員がいる。 「配置可能なフランス支部のウォッチャーは私たちを入れて5人。フランチェスカ様が本部に掛け合って増員してくださったのが8人。どちらにせよ穴だらけね」 「そうとも言えませんよ」  連日連夜のペンギン駆除で艶を損なった銀髪を撫でるクロエを安心させるよう、ミシェルが別の見取り図を表示させる。 「会場は八つのホールで形成されますが、WEB小説のブースはこの第2ホールだけ。来場者との交流もかねて、イベント中は基本的に自分のブースを離れないと聞きました」  中央広場を囲むよう180度の放射状に伸びる七棟のホールと別館。  その中の「第2ホール」の表示をレーザーポインターが指した。  WEB小説家を一か所に集めておくに越したことはない。一人一人を守る余裕はないのだから。 「シャルルドゴール空港が近いこともあって、障害になるような建物が周囲にないのも幸運です。ペンギンが第2ホールを目指してやって来ることを見越して、その手前に防衛線を展開させましょう」 「おびき寄せて一網打尽ってわけね。たしかにちまちま駆除するよりは効率がいいかも。ところで、入場者規制はどうするの?」 「出入口を裏側の駐車場に絞って、人の導線を回避するのが最善策でしょう。もう運営側には根回し済みです。正面広場も改修工事の名目で閉鎖してもらいます」 「さすが私のミシェル! それなら何とかなりそうね」  (わず)かだが見通しが立って、クロエはあからさまにほっとした様子を見せる。  フランチェスカに大見えを切った手前、無様な結果だけは避けたかったのだ。  各地へ散っている仲間たちも明け方には集結する。本部からの応援も同じ頃合いに到着するだろう。  少し肩の力を抜き、疲れ切った様子のクロエが椅子に背中をもたれさせた。 「ミシェル、ごめんね。フランチェスカ様のところに一人で行かせるようになってしまって……」 「予定も詰まっていますし、仕方ないです。明日の作戦のためにも今日中にメンテナンスを済ませた方が良いと、フランチェスカ様も配慮してくれたじゃないですか」  いつもなら必ずクロエも同伴でフランチェスカの屋敷を訪れるのだが、今回ばかりはペンギン駆除の準備に追われてそれが叶わなかった。  だがミシェルにとっては僥倖(ぎょうこう)だ。あの得体の知れない偽善者の魔の手から、何かと染まりやすい姉を遠ざけることができるのだから。  そんな考えはおくびにも出さず、着替えなどをまとめたレザーのボストンバックを肩に担ぐ。  メンテナンスは朝までかかる予定だ。 「それじゃあ姉様、行ってきます」 「気をつけてね。変な奴に声をかけられてもついていっちゃだめよ。必ず大通りを通って、裏道は絶対に使わないこと。無事に着いたらちゃんと連絡してね。それから……」 「姉様、僕は明日で18歳になるんですよ」  まるでお遣いに行く幼児を見守るような過保護っぷりに、ミシェルが堪らずぴしゃりと言い放った。  重そうな睫毛(まつげ)に彩られた瞳がぱちりと瞬きして、困ったように笑う。 「あぁ……そう、そうだった。いやね、私ったら。……フランチェスカ様にくれぐれもよろしく伝えてちょうだい」 「はい。姉様も準備はほどほどにして、休める時に休んでくださいね」 「ええ。いってらっしゃい、ミシェル」  身体を乗り換えてから片時も(そば)を離れたことがなかった大切な弟。  その小さな背中をドアが(さえぎ)るのを見送って、一人になったクロエは大きく息を吐き出した。 * * * * *  フランチェスカの邸宅はパリ郊外にある。  大通りにずらりと並ぶ無人タクシーを使えば2時間もかからない。  だがミシェルは、クロエがいないこの珍しい機会に立ち寄りたい場所があった。  向かったのは、左岸のビジネス街を静観するモンパルナス墓地。  (おごそ)かな門を抜けると、自然の緑に彩られた清廉な空気が立ち込める。  喧騒に満ちた街のど真ん中に建っているのを忘れそうなほど、まるで別世界だ。  観光客や犬の散歩をしている住民とすれ違いながら、日の入りを迎えて薄暗くなった霊園を歩く。  ミシェルがこの場を訪れたのは、これが初めてだった。クロエは近寄ろうともしないから。  案内看板を眺め、記憶データの奥底にしまわれた番号を引っ張り出す。  そして様々な墓石が並ぶ小道をしばらく進んだ先に、それを見つけた。  献花で(にぎ)やかな隣人とは対照的に、誰も訪れることのないこじんまりとした墓標。  雑草で荒れ放題な現状を哀れに思った管理人が手入れをしてくれたのかもしれない。枯れ草が(すみ)で山になっている。  ミシェルは墓の前に膝をついて、冷たい石に刻まれた自分の名前を指でなぞった。  それを掻き消すように残る銃弾の痕――きっとクロエの仕業(しわざ)だろう。 (ここに、僕の骨がある)  換装に必要な脳以外は燃やしてしまったと、フランチェスカが言っていた。それが条例だから。  土地の確保が困難なことから、死者の(とむら)いは土葬から火葬へと移り変わっている。  それでも常に満員状態である市内の墓地に場所を用意するのは苦労しただろう。もしかしたらフランチェスカの助けもあったのかもしれない。ずいぶん用意の良いことだと、冷え切った頭の片隅で悪態を()く。  そこへ、一人の老人が近づいてきた。 「おやおや。その墓にお客さんとは、こりゃあ珍しい」  ミシェルが視線だけを老人に移す。  簡素なシャツとスラックスに年季の入ったエプロン。両手には(ほうき)塵取(ちりと)りが。管理人の一人だろう。  軽く会釈(えしゃく)をすると、彼は柔和な目元によりいっそう深い(しわ)を作った。 「その人の親戚かい?」 「ええ、まぁ」 「墓石がボロボロで驚いただろう? いたずらなのか、困ったもんだ。死者にこそ最上級の敬意を払うべきだろうに」  その死者本人であるミシェルが何と返そうか考えていると、老人は慌てて言葉を紡ぐ。 「ああ、すまん。こうして君が訪ねてくれたことで、彼も救われているだろう。享年は……十歳か。ちょうど坊ちゃんと同じくらいの歳だな」  同い年どころか本人なのだが。  そんなことを言えば、この優しそうな老人は腰を抜かしてしまいそうだ。 「いつの時代も、子どもの死ほどしんどいものはない。やり残したことが選べないくらい、やりたいこともたくさんあっただろうに」  そう言いながら胸の前で十字を切る仕草をする老人を横目に、ミシェルは当時の自分に想いを()せる。  やりたいことが選べる状況ではなかった。  常に死神の大鎌に怯えることしかできない圧倒的弱者。そんな死に損ないのために、姉は大人に搾取され続けた。  何も成せないままあっけなく朽ち果てた肉体はもうない。身体の末端から感覚がなくなり、意識が暗く寒い場所へ連れていかれる記憶が、はっきりと脳に刻み込まれている。  ミシェル・デュ・ノエルはあの日、確かに死んだのだ。  じゃあ、今生きている自分は何なのだろう。  この墓石よりも冷たい身体に宿るのは本物の心なのか、それともプログラミングされた何かなのか――ミシェルはたまに、わからなくなる。 「坊ちゃんは、本当にやりたいことやるんだぞ」 「本当に、やりたいこと……?」 「ああ。叶う望みだけを唱えるのは簡単だが、(むな)しいもんだ。本当にやりたいことを諦めちゃいかん。どんなことも、生きてるうちにしかできんのだから」  肉体があった頃のミシェルが、本当に望んでいたこと――。  温かい家に、食べきれないほどの食事、それと未来を憂うことのないお金。気の置けない友人も欲しかった。  そういったありきたりな願いが(あふ)れた記憶の先に、必ず大切な後ろ姿が浮かぶ。  いつも傷だらけなのに、それでも穢れを知らないように美しく笑う、大好きな人。  ――地獄の底で震えながら、ずっと祈り続けた望みがある。  それを叶えるために戻って来たと思えば、ミシェルは少しだけ機械の身体が軽くなったような気がした。  墓の前から立ち上がり、サングラスを外して老人と向かい合う。  彼は少年の両目に()め込まれた宇宙の石を見て、大きく目を見開いた。 「ありがとうございました。少し、わかった気がします」 「お、お前さん……」  老人は何かを察したのか、言葉を探しあぐねている。  そんな彼に姉と瓜二つの美しい微笑(ほほえ)みで返したミシェルは、自分の墓を後にした。
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