戻らないかたち

2/4
前へ
/23ページ
次へ
 すぐ後ろで声がして、ゆっくり振り向く。眠そうな顔で砂野がソファーの背に手をついていた。ぎしり、と軋む音。  目が合い、数秒。 「……結婚秒読みらしいぞ」 「そんなわけ無い。この人、カメラマンと付き合ってるから」 「え、じゃあお前は?」 「寧ろ俺が聞きたい。俺、なに?」 「いや、お前は砂野……」  そういう話をしてるわけではないと、言いながら気付く。へら、と砂野が笑った。 「てかさ」 「何だよ」 「おはよ」  気の抜ける朝の挨拶だった。  腹が減っているらしい砂野に食パンとサラダと目玉焼きのプレートを用意すると、目を輝かせて喜んでいた。 「城山は? 食べないの」 「あー皿が一枚しかない」  人を招くことのない部屋なので、スリッパも皿もタオルも一人分で足りるほどしかない。もちろん、ベッドの幅も。 「半分使う?」 「いや、いい」  サラダを寄せて本気で半分空けようとする砂野に笑い、俺は断った。目の前で美味そうに食べて貰えれば、こっちはトースト一枚で十分だった。 「じゃあ皿買ってこようかな」 「やめてくれ……」 「えーなんで」 「狭い家だから」 「狭い……じゃあ家来る?」  家、と言われる場所がどこなのか。一瞬、判断出来なかった。 「え、砂野の家?」 「実家じゃないよ、もう」 「どっちだとしても行かねえよ」 「まあ、俺の家来てもつまんないだろうけど……」  それならこの家の方がつまらないに決まっている。テレビもなければゲーム機も雑誌も無い。猫ベッドや猫玩具の場所だけが充実している。 「あ、でっかいホットプレートでも買ってあれやろう。チーズダッカルビ」 「想像だけで胃がもたれる。友達とやれ」 「じゃあ友達誘って良い?」 「いや俺以外と」 「城山居ないとつまんないじゃん」  そんなことを言われたのは初めてで、砂野に言われたのが初めてというわけではなく、人生で言われたのが初めてで、苦笑してしまう。  そんなわけないだろ、この前再会したばかりなのに。 「すごい、顔に『んなわけない』って書いてある」 「……読むな」  けらけらと楽しそうに笑う砂野に呆れる。 「久しぶりの休みなんだろ。家帰ってゆっくり休めよ」 「城山がずっと帰れって言ってくるにゃ」  近くを通ったユズさんを抱き上げて、顔の前に持ってくる。不服そうな表情でこちらを見ている。ユズさんごめん、でもこいつ一応俳優だから爪だけは引っ込ませておいて。 「ひどいにゃ」 「ユズさん、抱っこ嫌いだから」 「え?」  ぐねんと身体を捩り、ユズさんが砂野に猫パンチを繰り出した。すとん、と床におりてソファーへと上り、毛づくろいをする。 「全身筋肉じゃん、猫すご。まあまあ痛い」 「冗談なしに、今日四時には店行くから」 「俺も手伝う?」 「しなくて良い。お前は帰れ」 「じゃー皿買ってこようかなー」 「……あのな、砂野」  コーヒーの入ったマグカップへ目をやるが、中身は空になっていた。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加