甘い闇

1/4
前へ
/23ページ
次へ

甘い闇

 鰹節を嬉しそうに食べるユズさんを見る。  あの夜、柚子が丘クリニックの傍を通ったとき、ビニール袋がガサガサと揺れる音がした。風か、とそれを見下げると何か動いたような気がして、その後に小さく鳴く声が聞こえた。  俺はその時まだサラリーマンで、終電に乗って帰っていたところだった。疲れているからそう見えただけだろう、と緩めた歩を元へ戻そうとした。  いやでも。  やはり立ち止まってビニール袋に近づいた。次は明確にガサガサと動く何かが居て、中を見た。  袋と同じ小さな白い猫。いつからここにいるのか、どうしてこんな方法でここに置かれたのか。俺は想像を止めて、現実を見た。  猫は訴える相手が来たことに気付いたのか、先程より大きな声で鳴き始めた。俺は疲れていた。だから、袋から抱き上げてしまった。  今の家はペット禁止だから出ないといけない。そもそも猫なんて飼ったことがない。この小さな猫が何を食べられるのかも分からない。  それでも、置いていけなかった。  俺は心が弱い。未だに飯に執着しているところがあるし、何が欲しいわけでもないのに金を娯楽に費やせない。いつから全てを奪われる日がくるのが怖いから。  家に帰り、ネットで調べた通り飯をやるとユズさんはガツガツ食べていた。どこかその様子に砂野を重ねている自分がいた。  仕事辞めて、店やろうかな。  そう決心したのも、そのときだった。  くあ、と大きく欠伸をして砂野がソファーの端に座る俺の膝の上に雪崩れこんでくる。 「あー眠い」 「ベッドで寝れば」 「城山が添い寝してくれるんなら」 「あ、そういえば」  思い出してその顔を見る。相変わらず綺麗な顔だ。 「首に歯型つけんな」 「あれ、ばれた」 「須磨さんに言われたからまだ良かったものの」 「須磨さんって誰?」 「うちのパートさん」 「うちの」  ああ、あの。と、砂野は合点がいったようにこちらを見た。 「うちの」 「なんで二回言う」 「うちの彰って言ってみて」 「は?」 「良いから、ほら」  腹筋だけで上体を起こした砂野が隣に座り直し、促してくる。  その言葉に、もうひとつ思い出した。 「嫌だ」 「なんで」 「まだ言いたいことはある。あの瀬戸ってマネージャーに知られて良かったのか?」 「え、何が」  何が、じゃない。知られたことはひとつだ。 「ここに来てることと、俺と……」 「あー大丈夫。あの人、仕事できる人だから。うまくやってくれるよ、味方につけといた方が良い」 「俺は連絡先聞かれた時点で、縁を切れって言われると思ってた」 「そんなことしない。言われたら俺に最初にちゃんと言って」  顔を覗き込まれた。笑顔だが、目が笑っていない。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加