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「吉田さん。すぐにできるようになりますから、大丈夫ですよ。今日は教室の雰囲気や他の生徒さんのお名前を覚えて下されば、それで十分ですからね」
すると吉田さんは恥ずかしそうな、申し訳なさそうな顔をした。
「先生。お気遣い、ありがとうございます。それじゃあ、焦らずに頑張ってみます」
☆
吉田さんが入学されてされてから、あっという間に時間が過ぎた。11月になり、本格的に秋の気配を感じるようになった。
今月の授業を終えた私は、カルチャーセンターの事務室に戻ると、ため息をついた。私は吉田さんの指導方法に、頭を悩ませていた。
吉田さんはあれから休まずに教室に通っていたが、なかなか小説が上達しなかった。私が何度教えても、起承転結の簡単なお話を考えることもできない。
それならばと私は「起承転結関係なく、自由に話を書いてみましょうか」と吉田さんに言った。しかし吉田さんは「なにかお題がないと書けません」と困った顔をした。
私もこれまで色々な生徒さんを見てきたが、ここまで指導が難しい生徒さんは初めてだった。
なんとかしようと、私は吉田さんにつきっきりで指導をした。しかしその分他の生徒さんに手がまわらず、授業の進行に支障が出てきた。
「さて、どうしたものかしら」と私が呟くと、事務室の扉がノックされた。「失礼します」という声とともに部屋に入ってきたのは、黒川芳枝さんだった。
黒川さんは、小説教室が始まった頃から来て下さっている、主婦の女性だ。年は私より一回り上だが、肌にはりがあって、とても若々しい。目も大きくて、まるでモデルさんのようだ。
黒川さんは私の机まで歩いてくると、もじもじした様子で私に言った。
「千葉先生。お忙しいところ、すみません。実は吉田さんのことでご相談があるんです」
私はそこまで聞いて、胸がドキリとした。私には黒川さんがこれから話す内容になんとなく分かった。
「最近先生が教えて下さる時間が減って、少し残念です。吉田さんも一生懸命やられていると思いますが、私たちだって上手くなりたいんです。先生、私たちへの指導もお願いします」
私は本当に申し訳ないという思いで、黒川さんに頭を下げた。
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