あの日が私たちの人生を大きく変えた。

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あの日が私たちの人生を大きく変えた。

昼時の喫茶店は家族連れやカップルたちで埋め尽くされていた。コロナのまん延防止措置が解除されたため、みんな今のうちに外食をしようと考えたのだろう。私たちもその中の1人だ。 紗季からのお誘いで、私と紗季と先輩の3人でランチに行った。何か大事な話があるなという私の予感は的中した。 先輩から、「俺ら結婚するんだ。キューピットの夜凪さんに真っ先に報告したいねって紗季と話してさ」と言う。 紗季も「そうそう!美穂に一番に報告したかったんだ」と大きく頷く。 「お、おめで…とう」と声が震えてしまった。すぐにバッグからハンカチを取り出し、涙を拭く。 「何泣いてんのー」と言いながら紗季は私の隣に席を移動して私の頭を撫でる。 「指輪してるの気づいたら、そうなのかなとは思ってたけど。実際に言われると嬉しくってさ」と言って、私の視界がまたぼやけた。 あれ、止まらないなと言いながらハンカチで顔を隠す。 正面に座っている先輩は、そんな私を見て泣きすぎやろと笑い「夜凪さんのおかげだよ。ありがとう」といった。 その言葉を聞いてまた涙が出てきた。「ちょっと!そんなこと言われたらまた泣いちゃうじゃないですか」と冗談めかしていった。 紗季と先輩は「いやいや、もう泣いてるから」と2人同時にツッコんできた。 ありがとう、もう大丈夫だよと紗季に伝えて、先輩の隣に紗季を戻す。 「もう両親に挨拶には行ったんですか?」と先輩に尋ねる。紗季が急に笑い出し、「聞いてよ、聞いてよ」と言いながら先輩の肩を叩く。 「ヒロ君めっちゃビビってさ、む、む、娘さんとけ、結婚させてくださいって噛み噛みだったんだよ」と先輩のモノマネをしながら状況を伝える。 クオリティーの高さに思わず吹き出してしまった。紗季の趣味が人間観察なだけあって、人の特徴を捉えるのがうまい。 先輩は恥ずかしそうに笑いながら、「仕方ないだろ。紗季のお義父さんめっちゃムキムキやからビビるやろ」という。 「あー、そういえば紗季のお父さん高校の体育教師ですもんね」と先輩のフォローをする。 「さっきまで泣いてたかと思うと、次はめっちゃニヤニヤしてるー」と紗季が言う。 「顔に出てた?お似合いだなって思っちゃってね」と言い、指輪みせてとお願いする。 紗季はまんざらでもない顔で左手を差し出す。シンプルなデザインだが、ピンクゴールドの指輪は彼女の白い肌によく似合っている。 先輩と紗季に芸能人が婚約会見のときによくするポーズをしてもらい、写真を撮った。 私は記者になった風を装って、「大翔さんは紗季さんに何と言ってプロポーズしたんですか?」と質問をし、マイクの代わりにおしぼりを先輩のほうに向ける。 「急に婚約会見が始まった」といって紗季が笑う。 「やっぱり気になるよね。恥ずかしいからあんまり言いたくはないんだけど」と少し困ったような表情で先輩がいう。 「ドラマのようにロマンチックではなかったよねー」と紗季がいたずら好きな小学生のような顔をしていう。 「それは悪かったな」 「嘘、嘘!すねないでよー」 「ちょっとー、勝手に2人の世界に入らないでくださいね。私もいるんですから」とイチャイチャし出した2人を制する。 ごめん、ごめんといって2人は私の方を向く。 「俺らが初めて出会ったあの公園でプロポーズしたんだ。夜凪さんは嫌なこと思い出すかもしれないけど…」 「そんなことないですよ。私にとっても思い出の場所です」といった。気を遣ったわけではなく、心からそう思っている。 「それにきつかったのは先輩も同じじゃないですか」と言って、アイスカフェモカを一口飲む。 「あの日紗季も言ってたけど、あんなに後輩のことを考えてくれる人っていないですよ」 「そういってもらえると助かるよ」 「2人とも苦しんでたもんね。それを引き合わせた私ってファインプレーじゃない?」と紗季がおちゃらける。場が暗くなりそうだったから明るくしようと考えてくれたのだろう。 「紗季には感謝しかないな」 「紗季には感謝してもしきれないよ」 先輩と私の言葉がハモる。 私達が素直に感謝を伝えると思っていなかったのか、驚いたように一瞬大きく目を開いた。その後、顔を少し上に向けた。 バッグを手に取り、「私ちょっとお手洗いに行ってくるね」と言った。 「恥ずかしくなって逃亡か」と先輩がからかう。そんなんじゃないよといい、紗季は席を立った。 私と先輩だけが残された。賑やかだった場所に一瞬静寂が訪れた。私はアイスカフェモカを、先輩はコーヒーを飲んだ。 「私が落ち込んでいるときに言われた言葉を今でもちゃんと覚えてますよ」と先輩の目を見ていう。 「俺なんか言ったっけな」 「看護師なのに人の痛みがわからない人が多い気がする。だけど、夜凪さんは違う。今はキツいかもしれないけどいつかその経験が生きてくるって」 「俺何もできなかったくせにめちゃくちゃ偉そうなこといってるな」といって、後頭部を掻く。 「そんなことないですよ。その言葉のおかげで、今も看護師として働けてます!」 「俺もあの日公園で夜凪さんと話せたおかげでためになったことがあるよ」 「えっ!なんですか?」 「大丈夫じゃないっていったら、使えないやつだって思われるんじゃないかって言葉。俺、大丈夫?って何気なく聞いてたけど、相手の立場になって考えれてなかったなーって反省した」 おまたせー、といって紗季が戻ってくる。 「2人で何を語ってたの?」と聞いてくる。 「あの公園であった日が私たちの人生を大きく変えたねーっていう話だよ。あの日がなかったら私も先輩も自分を責め続けてただろうし、紗季と先輩が出会うこともなかったんだよね」と私が答える。 「やっぱ、私のファインプレーじゃん!」と紗季がいい、3人とも笑う。 ウエイターが「お冷のおかわりはいかがですか?」と聞きに来た。 大丈夫ですといって頭を下げる。時計を見ると3時を過ぎていた。話に夢中で2時間以上も滞在していたので、お開きにすることにした。 帰り際に、「あ、肝心なこと言うの忘れてた」と紗季がいう。先輩もあっ!と声を上げる。 「友人代表のスピーチお願いしていいかな?」と先輩がいう。紗季もお願いといって両手を合わせる。「私でいいのなら」と言って了承した。 『大翔さん、紗季、結婚おめでとうございます。2人から結婚すると聞いたときは嬉しさのあまり思わず泣いてしまいました。私は社会人2年目の5月に鬱病になりました。そんな私に手を差し伸べてくれたのは職場の先輩である大翔さんと中学からの親友である紗季でした。2人は私のヒーローであり、命の恩人』とまで書いて、筆が止まる。 うーん、これでいいのかなぁと呟く。この部屋には私1人しかいないため、当然返事など返ってこない。 話が急すぎないか、結婚式というおめでたい場で鬱病になった話は重すぎないかと自分自身にツッコミを入れる。 スピーチを引き受けたのはいいのだが、言いたいことはたくさんあり、どうまとめればいいのかわからず悪戦苦闘している。 床にはくしゃくしゃになった紙くずがいくつも転がっている。書くことで色々な記憶やその時の想いが蘇ってくる。  『こんなはずじゃなかった』と思わず呟いてしまった投稿。缶ビール、缶チューハイを片手に公園で3人で撮った写真。浴衣姿で撮った花火大会の写真。芸人の婚約会見風の写真。 SNSやアルバムを見返して、より正確な情報を補う。思い出したら胸が痛む記憶もある。だけど、紗季や先輩のおかげで乗り越えることができた。忘れないように丁寧に振り返る。 2人のことを語るには私が鬱病になった話をする必要がある。 社会人2年目の5月。私の心が壊れた。多少の不安は抱えながらも、ついに看護師として働くんだ!と胸を躍らせていた頃から、たったの1年しか経ってない。 大学の頃から付き合っていた秀治との同棲生活もスタートさせた。 お互いの仕事が安定したら結婚するんだろうなと思っていた。 2人とも実家暮らしだったため、一から家具を揃えた。 「家族が増えたらって考えると少し大きめのほうがいいよね」なんて会話をして買ったソファ。お揃いのマグカップやお皿たち、本棚にはお互いが好きなマンガや小説をたくさん並べた。 二人のお気に入りが詰まった部屋は幸せで溢れていた。 何もかもが順調にことが運ぶはずだった。 「美穂の大丈夫って全然大丈夫じゃないから、溜め込まずに何でも話せよ」って彼は言ってくれた。 私はその言葉に甘えて、よく愚痴を聞いてもらっていた。 「大変だったな」と言って抱きしめてくれることで救われていた。 仕事は予想以上に大変だった。患者さんと接するのは楽しいのだが、看護師同士の人間関係が厄介だった。朝からみんなの前で、「夜凪さんこないだも注意したよね?なんで同じ失敗をするの?」 「すみません」 「謝って欲しいんじゃないのよ。なんでかって聞いてるの?」 真っ直ぐすぎる正論は、暴力的だった。容赦なくダメージを喰らわせてくる。私に逃げ場を与えてくれない。 秀治が家に帰ってこない日が次第に増えていった。ある日、「会うといつも愚痴ばっかり。俺も仕事で疲れてるんだよ」と言われて、振られた。 お気に入りのもので溢れていた部屋は、自分の居場所ではない気がして、居心地が悪かった。どこにいても嫌でも秀治を思い出してしまう。 家族にもいつ結婚するのか楽しみにされていたため、別れたことをなかなか言い出せなかった。 心の拠り所がなくなってしまった私は、すぐにおかしくなってしまった。明日仕事だと思うと眠れなかった。 職場に近づくにつれ、足取りは重くなり、呼吸が苦しくなった。 そんな私を見て、上司から心療内科の受診を勧められた。鬱病と診断されたときはまさか私が、と思った。 鬱病は心の風邪だから誰にでも罹ることは知ってはいたが、自分がなるとは思ってもいなかった。 『こんなはずじゃなかった』と思わずSNSに投稿した。それを見た紗季がすぐに電話をしてくれた。 「なんですぐ助けてって言わなかったの?私たち親友じゃなかったの?」と紗季は涙ながらに私を説教して、抱きしめてくれた。 リハビリを兼ねて、ご飯やドライブに誘ってくれて、部屋の外へ連れ出してくれた。 少しずつだが、生活リズムが整ってきた。あれだけ眠れなかった夜も、薬は手放せないが眠れるようになった。 物事の渦中では見えなかったことが、少し距離を置くことで気付くことが多々あった。 職場も嫌な人は1人、2人くらいで、私のことを心配してくれる人のほうが多かった。同期とは愚痴を言い合いながらも一緒に頑張ろうと励まし合っていた。 仕事の合間に先輩とマンガやドラマの話をするのが楽しかった。 心に余裕がなくなると、視野が狭くなり嫌なことだけに焦点がいってしまっていた。 同期が先輩も何もできなかったって落ち込んでいることを教えてもらったときは申し訳なくて仕方なかった。 私は自分の弱さを責め、先輩は何もできなかった自分の無力さを責めていた。そんな2人を紗季が引き合わせてくれた。 わざと部屋着にほぼすっぴん状態で、公園にいた先輩に接触して、話を聞き出してくれた。電話越しにそれを聞き、こんなにも私のことを考えてくれていたことを知って、泣きそうになった。私も仕事の合間に先輩と話すことで、救われていたことを伝えることができた。 約束通り3人で花火大会に行った。紗季は「こないだのリベンジをするんだ!」と今まで以上に気合いが入っており、化粧バッチリだった。その帰り道、「私、先輩のこと好きになっちゃった」と私に告げてきた。 私はわざと驚いたフリをしたが、そんなの紗季の行動や顔を見ていたら丸わかりだった。伊達に何年も親友をやっていない。 紗季は「美穂は先輩のことどう思ってるの?」と訊いてきた。 確か、「感謝してもしきれないとは思ってるけど、恋愛感情はないよ」というような内容を言ったと思う。  紗季には言えなかったが、実は先輩のことが気になっている時期もあった。だけど、それは恋愛感情ではなかった。…と思う。  コロナも重なり、お互い会える回数は減ったが、電話やメッセージでちょくちょく経過報告があった。 結婚の報告のときもだったが、付き合ったと報告があったときも嬉しくて泣いてしまった。 私の知らない2人だけの思い出が積み上げられ、めでたく結ばれた。 「さて、ここからはゲストの方にも参加してもらい、お2人の結婚をお祝いしてもらいたいと思います。まずはじめに、新郎の大翔さんの元職場の後輩であり、新婦の親友でもある夜凪美穂様、よろしくお願いします」と司会が言う。 落ち着けー、私。早口になるなよと心の中で念じる。移動中に先輩と紗季が軽く手を振ってきた。紗季は何かを口パクで伝えてきた。私が緊張しているのが伝わってきたのだろう。「頑張れ」で合ってるはずだ。私は軽く頷いた。先輩と目が合ったとき、プロポーズの言葉聞きそびれたことを思い出した。2人のおかげで緊張がほぐれた。 便箋から手紙を取り出し、マイクの前に立つ。目の前の2人が末永く幸せであることを心から願って、手紙を読む。
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