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若王子グループは大手楽器メーカーで、幅広く楽器製造や販売、ピアノ教室まで手掛けている。清純派女優の伊勢香穂子は超が付くほどの有名人だ。
若い頃はドラマの主演や歌手活動がメインだったが、今は映画女優として銀幕に花を咲かせている。その息子が、この意地悪な若王子先輩という訳だ。
「確かに目が伊勢香穂子にそっくりですね!」
伊万里の中にすとんといくつかの納得が降りてきた。それと同時に、どうやら伊万里は地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「……何か文句でもあるのか?」
「も、文句なんてないです!」
彼はおそらく、初対面の人全員に伊万里と同じことを言われているのだろう。なんで著名人の息子がこんな公立高校にいるのだろうという疑問はあったが、それこそ野暮というものだ。伊万里は本格的に怒られる前に、一目散に三年生たちの前から退散した。
『楽器を触ったことのない初心者でも大歓迎、優しく先輩たちが指導します』
そうポスタ―に書いてあったから入部したのに、実際三年生の指導は厳しかった。
これは入部してから知ったことだが、この学校の吹奏楽部は下手な運動部よりも年功序列で、練習が厳しいらしい。
まず新入部員たちは自分の希望楽器を決め、オーディションを行う。希望とはまったく違う楽器になることもあったが、伊万里の場合は希望通りのサックスだ。
そこからはそれぞれの楽器リーダーの元、基礎練習に励むことになるのだが……それに加え、朝の練習も課せられていた。自主練習とは謳っているものの、出ないと三年生の先輩に叱られる。実質それは放課後の部活動と変わらなかった。
朝から校庭の外周を走る。運動部に入ったクラスメイトからは「俺たちよりも走り込みしてるね」と言われるほど、吹奏楽部の基礎訓練は厳しかった。走り込みに筋トレ、文化部に入ったとは思えない運動量に目を剥く。それは、どうやら伊万里だけではなかったらしい。
「お、俺たちの楽器は、肺活量がそこまで必要ではないと思います……っ」
ある日、コントラバスの男子が震え声で言う。あーあ、余計なことを言わなければいいのに。部員たちがそんな空気に包まれる。若王子は彼のせっかくの反抗を鼻で笑った。
「肺活量は関係ない。どうせ運動する習慣も付いていないんだろう、奏者は身体が資本だ。お前ら一年のほとんどが楽器をきちんと支えられていない。弾き方にヘンな癖が付くぞ」
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