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8.後輩以上恋人未満
若王子の許嫁の名前は、北條さんというらしい。直接聞いた。
伊万里たちは屋上でお弁当を食べている。もう会うのはやめようと教室でクラスメイトと食事していたのに、「俺の弁当はどうした」とわざわざ迎えに来られて、首根っこを掴まれたまま伊万里は連行された。そういうことが何回か続いた。
「許嫁の人とはご飯食べに言ったりしないんですか?」
「お前、どうしてそんなこと聞くんだ? そりゃあ昔はよく食事会で会ったが、それだけだ」
若王子には不思議そうにされたが、別に意味があって聞いたわけではない。
「学校の生徒でもないのに何度か先輩に逢いに来ていますよね? だから普段どういう付き合いなのか、気になって……」
実は、校内で北條と一緒にいる若王子のことを何度か見かけた。そうなるとどんどん伊万里の心は意固地になっていく。
「ふうん、お前、まさかヤキモチじゃないだろうな?」
むに、とほっぺを摘ままれた。
「ち、違います! 俺、別に先輩に興味なんかないですもん!」
「そうか? じゃあ、購買の限定メロンパンも要らないな?」
目の前にいい匂いのする紙袋を差し出されて、咄嗟に掴もうとした。でも、スッ、と引っ込められる。若王子は意地悪だ。伊万里はますます不貞腐れる。
「先輩、とうとう購買のおばちゃんを恐喝して手に入れたんですか?」
購買のデラックスメロンパンはとても人気で、先着十人しか購入できない。チョコチップのメロンパンの中には、ホイップクリームが入っている。
そんなレアなメロンパンがふたつ分、どんな徳を積んだのだろう……と考えて、若王子がわざわざ欲しいものを手に入れるのにわざわざ徳なんて積む筈ないか、と考え直した。
「バカ言え、脅したのは俺に逆らった一年のホルン男子だ。おばちゃんは脅してない」
「うーん、それって人を脅したことには変わりないような……」
伊万里は見てしまったのだ。若王子が何度か、北條さんとやらに抱き着かれているところを。
見たところ若王子はあまり彼に興味なさそうだが、幼馴染ならそんなものかも知れないし、どんな関係か聞く勇気もない。でも、なんとなく落ち込んだ。伊万里は今、悲しい気持ちなのだ。
「で、要らないのか、メロンパン」
「ほ、欲しい!」
落ち込んでいるのに、餌付けされてしまう。そんな単純な自分が憎かった。
「ずいぶんと冴えない顔だな。甘い物でも食べてリセットしろ。お前が辛気臭い顔だと、みんな調子が狂うからな」
伊万里は若王子に逢いたくないのに、若王子の方から伊万里のところへやってくる。そんなことが何回も続くと意思が弱くなってしまう。
夏のコンクールが終わったら三年生は引退している訳で、部活動には姿を見せないのが常なのだが、若王子はどういう訳かフラフラと吹奏楽部に現れた。遊びに来ているというが、やっていることは副部長だった頃と変わらない。
サボっている部員を見つけては難癖を付け、音色が気に食わない者がいれば徹底的に指導する。鬼の教官の如きふるまいは当然、新部長たちには煙たがられていた。
だけど伊万里たち一年生からしてみれば誰が威張るかの違いだけだ。だったら慣れている若王子の方が対処しやすい。若王子が自由に振舞っているのを微笑ましく眺めながら、伊万里は呑気にサックスの手入れをしていた。
「フンフン、あれ、若王子先輩? もう後輩いびりは終わったんですか?」
もしかしたら優秀すぎて受験シーズンでも、ヒマなんだろうか。伊万里はそう思って近づいてきた若王子のことを見る。彼は何故か怒っていた。
「佐伯! お前、マーチングのメンバーに入ってないじゃないか。落ちたのか」
伊万里のことを見つけた若王子は、嬉々として近づいてくる。
「はい。だって俺、サックス吹いたまま歩けないんですもん」
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