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2.
その後の三番バッターをなんとかファーストフライに打ち取り、迎えるバッターは四番・東條。
すでに本大会で八本ものホームランを放っている、プロ大注目のスラッガーだ。
──ちなみに今日は、長打を含むヒット二本にフォアボールふたつ。全ての打席で塁に出られている。
耳の奥が痛くなるような拍手に迎えられ、東條はゆっくりとバッターボックスに立った。
同じ高校生とは思えない体格。こいつが打席に立つたびに、無意識に身構えている自分がいる。
(できればインコースを攻めたい……けど、今の不二にそれを要求するのは……)
満塁の場面。ごちゃごちゃ考えたところで、とにかく勝負するしかない。
やっとツーアウトまで来た。
あとひとつアウトを取れば、日本一になれる。
俺はミットを思いきり殴り、気合を入れ直した。
(よし! いくぞ!)
──しかし、東條はしぶとかった。
きっちりとボール球を見送られ、カウントはあっという間にツースリー。
鈍り始めている不二のストレートを、五球続けてファウルにされたとき──。
俺は、ふと思った。
(……あのボール、解禁するか)
なぜそんなことを思ったのか。
ずっと炎天下のグラウンドにいるせいか。鳴り続ける『サウスポー』のせいか。
分からないが、俺はサインを送っていた。
マウンドの上で、不二はポカンとした顔をしている。
うなずきもせず、首を振りもしない不二の元に、俺は再び駆け寄った。
「おい。どうしたんだよ。サイン出してるだろ」
「ど……どうしたはこっちのセリフだよ!」
不二はグラブで口元を覆いながら、動揺を隠しきれていなかった。
「今の状況、分かってるの⁉ 一点差、ツーアウト満塁! フルカウント! ここでナックルボールなんて、どうかしてる!」
ナックルボール──。
それは回転を加えず投げる、不規則に軌道が変化する『魔球』だ。
「だって、ストレートじゃファウルでねばられるだけだ。東條、絶対変化球待ってるし。適当なカーブなんか投げてみろ、あっという間にスタンドに持っていかれるぞ」
「でも……監督は、投げるなって」
そう。ナックルボールは、監督から禁止されていた。
『魔球』ゆえに、キャッチングがものすごく難しい。
投げた本人にも、どんな変化をするか分からないのだ。危なすぎて使えないということで、監督は練習すらさせてくれなかった。
「あんな置物みたいな監督の言うこと、気にしなくていい」
「サラッと失礼なこと言うなよ……っていうか結城、ほとんどキャッチできないじゃん」
ナックルボールは、全体練習の後に、こっそりふたりで練習していたのだが。
実のところ……確かに不二の言うとおり、まともにキャッチできたことはほとんどない。
──しかし、だからこそ、『絶対に打たれない』という確信があった。
「ツーアウトなんだ。もし捕り損ねても、どこかでアウトが取れればいい」
「……ストライクゾーンに行くかどうかも分からない。押し出しで同点だよ」
「それは他のボールでも同じだ。それならいっそ、三振を狙いにいったほうがいい」
「…………」
「なあ。今ここで三振が取れる可能性があるのは、まだ見せてないナックルだけだろ」
ゴクリと、不二は喉を鳴らした。
なんだか、マウンドの周りだけがスッと静かになったように感じた。
「……三振。取れるかな。東條から」
「取れる。だから解禁してやれ。おまえの魔球を」
「何カッコつけてんの」
くすくすと、不二は笑った。
ようやくいつも通りの笑顔が見られて、俺はホッとした。
他の野手たちにも声をかけ、定位置に戻る。
マスクを被って腰を下げ、キャッチャーミットをど真ん中に構える。
コースの指示はしない。だって、どこに行くかは誰にも分からない。
それがナックルボールだから。
不二が左手でボールを握り、振りかぶる。
(…………!)
投げられたボールは一見、スライダー気味に曲がってきた。
変化球を待っていたであろう東條は、軌道に合わせて力いっぱいバットを振りぬく。
しかし、球はそこからほとんど落ちず、スイングは空を切った。
あとは俺がキャッチすれば、三振。ゲームセット──だったのだが。
(……ここで落ちんのかよっ⁉)
まさに『魔球』。
ボールは俺の手元で突然ガクンと高度を落とし、ミットにかすりもしなかった。
急いで体で止めようとしたが、白球は無情にも、足元をすり抜けていった。
すぐにマスクを上げ、背後に転がったボールを追いかける。
三塁ランナーが突っこんでくる。スタンドからは、大絶叫のような声援。
(本塁は間に合わない!)
東條は、振り逃げで一塁に走っている。
とにかくワンアウト取れば勝ちなんだ──!
必死にボールを投げたあと、なぜか、全てがスローモーションに見えた。
(…………あ)
一塁手が伸ばしたグラブの上を、ボールが通りすぎる。
さらに転がる間に、二塁にいたランナーも生還。
一塁側のベンチから、相手高校の選手たちが叫びながら飛びだしてくる。
──逆転、サヨナラ負け。
ずっと目指してきた日本一目前。
俺のエラー二つが招いた、痛い痛い、悔しすぎる敗戦。
チームメイトに合わせる顔がなく、ただただ頭が真っ白になり──いつの間にか俺は、膝から地面に崩れ落ちていた。
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