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 その後の三番バッターをなんとかファーストフライに打ち取り、迎えるバッターは四番・東條(とうじょう)。  すでに本大会で八本ものホームランを放っている、プロ大注目のスラッガーだ。  ──ちなみに今日は、長打を含むヒット二本にフォアボールふたつ。全ての打席で塁に出られている。  耳の奥が痛くなるような拍手に迎えられ、東條はゆっくりとバッターボックスに立った。  同じ高校生とは思えない体格。こいつが打席に立つたびに、無意識に身構えている自分がいる。 (できればインコースを攻めたい……けど、今の不二にそれを要求するのは……)  満塁の場面。ごちゃごちゃ考えたところで、とにかく勝負するしかない。  やっとツーアウトまで来た。  あとひとつアウトを取れば、日本一になれる。  俺はミットを思いきり殴り、気合を入れ直した。 (よし! いくぞ!)  ──しかし、東條はしぶとかった。  きっちりとボール球を見送られ、カウントはあっという間にツースリー。  鈍り始めている不二のストレートを、五球続けてファウルにされたとき──。  俺は、ふと思った。 (……あのボール、解禁するか)  なぜそんなことを思ったのか。  ずっと炎天下のグラウンドにいるせいか。鳴り続ける『サウスポー』のせいか。  分からないが、俺はサインを送っていた。  マウンドの上で、不二はポカンとした顔をしている。  うなずきもせず、首を振りもしない不二の元に、俺は再び駆け寄った。 「おい。どうしたんだよ。サイン出してるだろ」 「ど……どうしたはこっちのセリフだよ!」  不二はグラブで口元を覆いながら、動揺を隠しきれていなかった。 「今の状況、分かってるの⁉ 一点差、ツーアウト満塁! フルカウント! ここでナックルボールなんて、どうかしてる!」  ナックルボール──。  それは回転を加えず投げる、不規則に軌道が変化する『魔球』だ。 「だって、ストレートじゃファウルでねばられるだけだ。東條、絶対変化球待ってるし。適当なカーブなんか投げてみろ、あっという間にスタンドに持っていかれるぞ」 「でも……監督は、投げるなって」  そう。ナックルボールは、監督から禁止されていた。 『魔球』ゆえに、キャッチングがものすごく難しい。  投げた本人にも、どんな変化をするか分からないのだ。危なすぎて使えないということで、監督は練習すらさせてくれなかった。 「あんな置物みたいな監督の言うこと、気にしなくていい」 「サラッと失礼なこと言うなよ……っていうか結城、ほとんどキャッチできないじゃん」  ナックルボールは、全体練習の後に、こっそりふたりで練習していたのだが。  実のところ……確かに不二の言うとおり、まともにキャッチできたことはほとんどない。  ──しかし、だからこそ、『絶対に打たれない』という確信があった。 「ツーアウトなんだ。もし捕り損ねても、どこかでアウトが取れればいい」 「……ストライクゾーンに行くかどうかも分からない。押し出しで同点だよ」 「それは他のボールでも同じだ。それならいっそ、三振を狙いにいったほうがいい」 「…………」 「なあ。今ここで三振が取れる可能性があるのは、まだ見せてないナックルだけだろ」  ゴクリと、不二は喉を鳴らした。  なんだか、マウンドの周りだけがスッと静かになったように感じた。 「……三振。取れるかな。東條から」 「取れる。だから解禁してやれ。おまえの魔球を」 「何カッコつけてんの」  くすくすと、不二は笑った。  ようやくいつも通りの笑顔が見られて、俺はホッとした。  他の野手たちにも声をかけ、定位置に戻る。  マスクを被って腰を下げ、キャッチャーミットをど真ん中に構える。  コースの指示はしない。だって、どこに行くかは誰にも分からない。  それがナックルボールだから。  不二が左手でボールを握り、振りかぶる。   (…………!)  投げられたボールは一見、スライダー気味に曲がってきた。  変化球を待っていたであろう東條は、軌道に合わせて力いっぱいバットを振りぬく。  しかし、球はそこからほとんど落ちず、スイングは空を切った。  あとは俺がキャッチすれば、三振。ゲームセット──だったのだが。 (……ここで落ちんのかよっ⁉)  まさに『魔球』。  ボールは俺の手元で突然ガクンと高度を落とし、ミットにかすりもしなかった。  急いで体で止めようとしたが、白球は無情にも、足元をすり抜けていった。  すぐにマスクを上げ、背後に転がったボールを追いかける。  三塁ランナーが突っこんでくる。スタンドからは、大絶叫のような声援。 (本塁は間に合わない!)  東條は、振り逃げで一塁に走っている。  とにかくワンアウト取れば勝ちなんだ──!  必死にボールを投げたあと、なぜか、全てがスローモーションに見えた。 (…………あ)  一塁手が伸ばしたグラブの上を、ボールが通りすぎる。  さらに転がる間に、二塁にいたランナーも生還。  一塁側のベンチから、相手高校の選手たちが叫びながら飛びだしてくる。  ──逆転、サヨナラ負け。  ずっと目指してきた日本一目前。  俺のエラー二つが招いた、痛い痛い、悔しすぎる敗戦。  チームメイトに合わせる顔がなく、ただただ頭が真っ白になり──いつの間にか俺は、膝から地面に崩れ落ちていた。
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