異変

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異変

「なんだい、なんだかんだで死んだのかと思ってたよ」 「うっせー」  命からがら住まいのアパートへと帰ってきたニールは、大家のそんな言葉に出迎えられた。  ニールが生贄にされかけたことを、彼女らは知っている。それもそうだ、ある日帰宅してすぐに教会の連中が来訪し、その後大家やライラが見ている前で連れて行かれたのだから。  その事実を改めて噛みしめるはめになるとは。ニールは思わずため息をついた。 「なんだかんだ生きて帰ってきそうな気はしてたからね、部屋はそのまんまにしてるよ」  アパート内へと案内する大家は、階段を指し示しながら言う。  大雑把な掃除はしているけれど、ライラから頼まれた範囲は手を付けたこと。  先程地震があったから、積んである荷物が崩れている可能性があるということ。  それから、相変わらず隣室の奴と大家以外は住んでいないこと。 「あたしに感謝するんだね」 「……うーっす」 「捨てといて、って言ってた雑誌は?」 「は?」 「それは捨てといたよ」 「おいライラ、なんの雑誌を捨てろって言ったんだよ」 「さー、ニールの部屋で作戦会議といきますかー」 「おい待て」  一言文句を言ってやろうと思い手を伸ばしたが、時既に遅し。  ライラは軽い足取りでニールの部屋へと足を踏み入れていた。何も掴むことのなかった腕をそっとおろし、ニールも自室へと入っていく。  この部屋に帰ってくるのも何日ぶりだろうか。実際不在にしていた日数より長く家を開けていたような気がする。  家に置いてあるものはたしかに一部は地震で崩れているようだが、それ以外に手を付けられている様子はない。ライラが捨てといてと言ったらしい雑誌はどこにもないあたり、それもきちっと実行されたということなのだろう。  ライラの野郎、俺の雑誌返せ。ニールは心底そう思った。 「で、ニール。事情説明してもらえる?」 「んあ、そうだったな。そうそう」  ずれかけていたニールの思考を引き戻したのは、当のライラの一言だった。  そうだ、家にも帰ってきたんだ。いい加減事情説明をしなくては。  机の中央、ライラにも全容が見えるであろう位置にランタンを置く。明かりが少しだけ揺らめいた気がした。  そうして、ランタンのつくりをニール自身もようやく確認した。  旧型のランタンに近い、そのように見える。だが、旧型のランタンにはない模様がかさに刻まれているようだ。アカデミーの授業で見たような覚えはあるが、どの教科書のどのページに載っていたかまでは覚えていない。教師がなにか熱弁していたことだけが印象に残っている。  このランタンについて、ニールにわかっていることはたった一つだ。 「火種を託そうって言われたんだよ。幽霊によ」 「ふーん……」  ライラがランタンに触れようと手を伸ばす。  まさにその指先がランタンに触れようとしたときだ、バチッと音がする。ライラは訝しげな表情をしているが、ニールにはそれが不思議でならない。ただの冬場の風物詩みたいなものじゃあないのか?  再び、ライラの指先がランタンをとらえようとする。しかし、またバチッと音がする。ライラの指は、それに触れることすらできないらしい。 「……これ、ニールにしか持てないみたいだねぇ」 「まじかよ……」  まじだよ、火花散ってたじゃん。ライラははっきりとそう言った。  よくよく思い出せば、先程ライラがランタンに触れようとしたとき、たしかに火花が出ていたような気がする。あれはランタンの拒絶の意思だったのだろうか。などという仮説を立ててみるが、ニールには結局そのランタンに触れられるのは自分だけであるという事実しかわからない。考えるのも面倒だ。考えることはライラに任せるに限る。  そうは思うが。  思うのだが。 「あと僕にはこれが呪術具みたいなもんってことしかわっかりませーん」  ライラは適当な調子で、かつはっきりと答えを出した。 「はぁ!? お前俺よりアカデミーの成績いいだろうが!?」 「それとこれとは別。というか? 魔術考古学の教科書でも見ないような文様の道具の詳細が一学生にわかるとでも?」  ライラが立ち上がる。そしてにじり寄ってくる。ぶっちゃけこれの詳細がわかってたほうが怖くない? などと笑顔で言いながら、ライラがにじり寄ってくる。  もしかしなくてもキレてるな、こいつ。ニールは思わず両手を上げた。降参のポーズで目を泳がせ、ライラの尋問(ニールにとってはこうも思えている)への返答をする。 「そですね……」 「わかればよろしい」  ライラは笑顔のまま椅子に座った。  怖えよ。ニールは心底そう思ったが、思うだけに留めておくことにした。言ったらどうなるかなんて、だいたい想像がつく。  コンコン、とライラが机を叩く。この幼馴染は真面目に考えをまとめている時、そうしてしまう癖がある。つまり、何か思いついたということだろうか。頬杖をついて、ニールはライラの様子を見守る。やがて、ライラが口を開いた。 「だとすると、図書館かな。あたるのは」 「お前結構乗り気なのなんなん」 「僕はニールのために動いてやろうとしているんだけど?」 「はい……」  軽く額をこづかれた。  そういえばそうだった。謎の言葉と共にランタンを託されたのは、持つ人を選ぶランタンを持てるのは。当事者は、ライラではなくニール本人だ。  一応、ニールも真面目に考えていないわけではない。ライラとはベクトルが違うだけで。ただ、その思考はライラの仕草を観察するという行為や、売り言葉に買い言葉でいくどとなく散っている。  唐突に、階段の方から音がした。トントン、と誰かが登ってくる音。とはいえ、今現在ここに来る人間は一人しかいない。  やがて、部屋の扉がノックされる。内開きのそれを開ければ、少々不機嫌な表情をした大家が立っていた。 「生きてるからってうるさいよニール」 「なんで俺にだけ文句言うんだよババア」 「家出小僧を無条件でここに住まわせてやってたのはどこの誰だと思ってるんだい」  軽く額をこづかれる。  今日は厄日かなんかか? そう思うニールの後ろから、ライラの声がした。 「あ、大家さーん。僕らもうちょいしたらちょっと外の様子見に行ってくるから」 「ん? ああ、そうかい」  なんでこいつ楽しそうなんだよ。ライラの声色を聞いて、ニールはため息をつく。  しかし自分の周辺は自分のこの様子など考慮してくれないらしい。 「だったら、一つ頼まれておくれよ。ニール」 「俺かよ」 「この部屋の主はあんただろうがい」  ごもっとも。ニールは話の続きをおとなしく待つことにした。 「例の探偵もどきいわく、昇降口のほうが騒がしいらしいんだけどね。本当かどうか様子見てきておくれよ」 「昇降口? 非常事態でもあそこは大丈夫なんじゃねえの」 「大家さんがいいたいのは、非常事態だからこそってことでしょ」  この街は窪地に築かれている。かつて機関車が開通するとなった際、どうしても高台に線路を引く必要があったそうだ。それを解決する策として作られたものが、駅と街をつなぐ昇降装置である。アカデミーでも学ぶし、親世代の昔話でも散々聞いている話だ。昇降装置はよっぽどじゃない限り止まらないから大丈夫、と。  つまり、大家やライラが言っているとおりなのだろう。しかし隣人は昇降口が騒がしいのを知っていてなぜ自分で行かないのか。内心そう思うニールだが。 「まあそういうことだね。わかったらちゃんと見てくるんだよ」  有無を言わさず大家にお使いを押し付けられた。  とはいえ、文句を言って断る理由はない。快諾する理由もないのだが。そういう状況なら、普通に請け負ったほうがいいような気がするというだけ。へいへいと適当に返事を返して、ニールはしたくを始める。  携帯工具、筆記用具、携帯食料。それから、ランタン。紛失する可能性を考えたら、手元においておくべきだ。 「先に昇降口見に行ってからがいいよね、図書館」 「マジで行くのかよ」 「アカデミーで学んでないことは図書館で調べるほうが早いんですけど?」 「あっはい」 ◇  コンコン、アパートの階段に靴音が二つ響く。 「……火種、って言葉が鍵なのかもな」 「何、ニール。ようやく真面目にやる気になった?」 「真面目にやる気も何もやらねえといけないあれだろこれ」 一応、ニールも真面目に考えていないわけではない。ライラとはベクトルが違うだけで。ただ、その思考はライラのように今ここにある現物を手がかりにどうにかしていこうというものに至らない。 (それに、マジの頼まれごとの可能性がある以上、無下にするのは気分悪いしな……)  自分は、己に託された願いが真剣なものである可能性を捨てきれない。そういう思考に至るというだけの話だ。  思い出すのは頼まれたときの幽霊の姿だ。冷たく低く重いがどこか澄んだ声、紡がれる願い。それの本質はニールにはわからない。だが、それを汲み取ることはできるはずだ。 「すごい」 「なんだよライラ」 「ニールがまともだ」 「うるせえ」  カラン。足音に合わせてランタンの金具が鳴った。
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